私のやりたいこと

ちいさな池の、水辺や静かな水面の中で
色んな生き物や植物が共生するように
自然と築かれた秩序でもって続くひそやかで豊かな場所。
もしそこに相容れないものがやってきたら秩序は乱されてしまうけど
人間には言葉が、こころがあるから
生きるための争いだってみんな生きて越えられる、
手を取りあえるはずと思うのはあまりに浅はかだろうか。

いつまでたっても根が子どもなのか
そういう理想を叶えられるものと信じてしまう。
世界のまるごとでそれを成し遂げるのはきわめて難しくても、
身近な世界なら出来ると思う。

家族や友人、恋人、身近で大切な人たちと
自分の持てる限りの愛で接する。
長い時間一緒にいたって、その時間は決して永遠じゃないから。

そして、日々働いていて出会うお客さんみたいに
限られた時間しか共有しない人であっても
あるいは直接顔を合わせず、モノ(今の私だったら料理や飲み物、もしかしたら音楽)を介して関わる場合も
その時間が心地良く幸福なものであるよう丁寧に向き合う。

自分とは考えが異なると感じた人の、目を見て声を聞く。

私にできるのはそれくらい些細なこと。
だけど意味があると思えるからやりたいし、やっていく。

自分の行動、生活を変えることから始めて、いずれ
手に負えないやるせない出来事の多い毎日に
優しくありたくて傷ついてしまう人たちの心を癒せるようなモノを
ごく自然に人と人とがいられるような場所を、作る仕事がしたい。
これは夢というより、目標。

具体的なこと、浮かんだアイデアをいくつか自分専用のノートに書いてる。こういうのは出来るだけ具体的な方がいいって聞くから、それなりにイメージを膨らませて、調べたりもして。そうすると、俄然現実にするぞって気持ちになるから不思議だね

今まで分からないまま歩を進めてきた「やりたいこと」を思い描ける様になった分
まずは自分のこころが前を向いたのを感じている。
目標から遡っていけば、ひとつずつ
やるべきことも見えてくる。
ちょっとわくわくしてる。

コロナで一変してしまった日々を過ごすうちに
自分に向けていた矢印を外側や両方向に向けられるようになってきたのは
少なくともいい変化だから、
綺麗事めいていてももうそれでいいんだ。

(あのときの拠り所はもう
現実よりずっと複雑で醜くなってしまったから
現実を、触れられる世界を美しくしていくしかないでしょう。)

それでは、またね。

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