現実的な望み

オマル マン氏との対談、第38回目。

K「オマル マンさん、こんにちは。(先日オマル マンさんから教わった)「抑止」の専門家から、現在以下の思考が出てきていることは、私は大変興味深い。」

高橋 杉雄@SugioNIDS·13時間
どうにも気になるのが化学兵器。可能性としてはキエフへの第二次攻勢が失敗して膠着化したときが危険と思っていたが、いまの様子を見てみるとそのあとで第三次攻勢を実施できるとは思えない。となると危ないのは第二次攻勢の時。

高橋 杉雄@SugioNIDS·13時間
返信先: @SugioNIDSさん
いま死物狂いで最後のギャンブルとして第二次攻勢の準備をしているのだとすれば、その効果を最大化するために、攻勢発起のタイミングで使う、あるいは準備段階で補給線への攻撃を排除するために化学兵器を使う(具体的な地名は控えます)オプションが頭から離れない。

高橋 杉雄@SugioNIDS·13時間
もう1つ、ウクライナが反攻に転じて前線が崩れたときも可能性がある(反攻の余力があれば)。

それを抑止できるかもしれない方法は1つだけある。覚悟が必要だが。けれど1つある。(これも具体的に書くのは控えます)

実行するのは正確なインテリジェンスが入ってからでもよいが、今でもいいと思う。

高橋 杉雄@SugioNIDS·13時間
もし、化学兵器シナリオが現実化したら。

そうなったら、私を含め、日米欧の抑止屋は、これまで15年ほど積み重ねてきた議論を反映した対応策を、本当に必要なときに実現できなかったという事実を、これからの人生で背負い続けることになるだろうな。
https://twitter.com/SugioNIDS/status/1505183012295565313

「国際安全保障論・高橋杉雄氏。」

高橋 杉雄@SugioNIDS·1時間
一般論として、事実関係ではなく、「今後どうすれば」という問いについての専門家の見解は「マークシート式問題集の別冊解答」ではなく、せいぜい「論述問題の解答例」。なぜなら元の「問い」に単一の解答は存在しないから。世界はそんなに単純じゃない。

高橋 杉雄@SugioNIDS·1時間
専門家の側もそういうスタンスが必要じゃないかな。

文字通り、みんなで議論し、考えていかないと。

高橋 杉雄@SugioNIDS·28分
もちろん事実関係についての正確な知識は大前提。
https://twitter.com/SugioNIDS/status/1505357116801896448

「美術家として、核や化学兵器についてではないが、10年代以後特に、私は「抑止」ということについて、具体的に美術のフィールドにおける諸事象を対象として、主に考えるようになっていた。」

「ここを語るのは確かに難しいのだが。しかし、「沈黙」あるいは(長期)「忘却」(=思考からの集団的・暗黙裡の「逃走」)ばかりが場を占めているように、私には感じられる。」

「例えば、10年代に私が触れた中井久夫の「昇華」についての思考が、再び回帰してくる。」

【昇華について】己が創ったものは自己の外化であり、自己等価物、より正確にいえば自己の過去のさまざまな問題の解決失敗の等価物、一言にしていえば「自己の傷跡の集大成」である。それらはすべて新しい独特の重荷となりうる。それらはもはや廃棄すべくもないとすれば、代わって自己破壊への拒みがたい傾斜が生まれても不思議ではない。老いたサマセット・モームは「人を殺すのは記憶の重みである」と言い残して自殺しているサリヴァンは、フロイトがあれほど讃美した昇華を無条件な善ではないとして、それが代償的満足である以上、真の満足は得られず、つのる欲求不満によって無窮動的な追求に陥りやすいこと、また「わが仏尊し」的な視野狭窄に陥りやすいことを指摘している。それは、多くの創造による癒しが最後には破壊に終わる機微を述べているように思われる。

中井久夫「『創造と癒し序説』―創作の生理学に向けて」『アリアドネからの糸』

「私が、「芸術」成立には、「抑制」の要素が中核的に重要だと、自己の実践及び言説においていつも表明しようとすることは、これと関係がある。これは「芸術」の内容の豊かさと、おそらく矛盾しない。」

O「加藤さん、こんにちは! 「抑制」の要素こそ中核、というのは至言ですね。「抑制」を欠く者は、それぞれの己の思い描く「正義」を説くことに汲々とする。象徴界の消失ですね。」

K「象徴界の消失ですね。」

O「「議論をしよう!」と他人に呼びかけたがる人ほど、実際にまともに議論する気がない。茂木健一郎氏がそうですが。その背景にはまず、「抑制」を表現することの困難さがある。」

「他人の意見を聞かない」と批判する人の方が意見を聞いていないという事実
https://www.youtube.com/watch?v=lUhCpi66hkU

K「あ、そうですか、茂木氏。議論も、「応酬」だけだと中々生産的な議論は成立確かにしませんね。」

O「茂木氏の「人の話の聞かなさ」はたびたび業界人にすら揶揄される。「ギラギラ」。「応酬」を至上命題としている業界体質の弊が大きい。」

K「「ギラギラ」を、お互いのポジションから与え合って、収束してしまうということか。」

O「開口一番、ギラギラですからね。これは、美術業界も変わらないかもしれませんね。芸能界も、言論界も。」

K「原型は、「朝生」(80年代後半以後〜)?」

O「朝生、だとしたら(笑)、いよいよ絶望感が深い。もともと田原総一郎はドキュメンタリー作家で、撮影中にアナーキストの女とセックスをするとか、そういう過剰性で売り出した。ギラギラの雄みたいな人ですからね。」

K「そこでも、さらに原型が顔を出していますね。根治しがたい・・。」

O「「下品」が、秘密の合言葉。うん、根治不能。秘密の暗号「S・E・X」。メープルソープなどは、じつはその対極といってよいと思う。上品。」

K「「小さな自己目的の為に、それぞれの「正論」を利用している。」

「上品は、やはり「抑制」でしょう。モノトーンにする。その他、等。」

O「「若い」ともいえるのかもしれません。悪い意味で、若年寄りなのか。自覚が足りなすぎですよね。だから下品。」

K「メープルソープは、初期からモノクロのみ(しかし、逆説的に色気がある)。」

O「メープルソープって、性的な倒錯がない。完璧な自己認識を持っている。あの若さで。個人的に、そこに驚くが。」

K「そうですね。どう見ても、暴走・錯乱していない。若い時から。」

O「茂木は自分をロジャーペンローズとか言ってる。○○○○。」

「だから、メイプルソープが強力な性的魅力(男女問わずに向けて)をもっていたのも頷ける。」

K「メープルソープは、後年のインタビュー動画で、結構感情を顕にしているシーンがある。社会の「同性愛差別」について。その圧力が恒常的に意識にあるから、残すべき表現における「抑制」が生じる、という逆説。」

O「圧力に対峙している。圧力というのは、「疑惑」、「軽蔑」、その他。」

K「そうですね。これは「逃げる」という方向とは違うので。」

O「メイプルソープは笑い者にはならない。」

K「そうですね。諸々の「圧力」から逃げて、外苑駅でオマル マンさんを微笑とともに見つめる浅田彰の眼差し。」

O「あるいは、笑い者にされても、それを完璧に自覚できる認識力があると感じさせる。天才だから。」

「笑い者にされていることに無自覚な茂木、浅田。」

K「陰では、確かにそういう可能性は大きい。」

O 「ここ最近は特にひどい。両者とも。「どうしたんですか?」との声もチラホラ。」

K「一方的なものは、やはり笑われますね。今日。相手にぶっかけて、気持ち良さそうだったね、という後味を衆人に与える。」

O「バカどもには英雄とされる。」

K「『人のセックスを笑うな』という小説のタイトルがかつてあったが、中身は私は知らないが、浅田彰がこのタイトルを絶賛していた記憶。」

O「そのタイトルも、なんだか、こじれてるだけですね。」

K「メープルソープとは、限りなくねじれの位置にある。全く、交差しない。」

O「本当にそうですね。メープルソープはカメラで写真を撮る。」

K「浅田本人は、メープルソープが羨望の対象。作家本体も、作品も。」

O「自分をインテリだと思っているからでしょうね。浅田の場合は。本当のインテリ、知りたいという深い探求をしているのはメープルソープ。」

K「浅田彰は、自分の身体的属性を呪っている。告白的に。自分のクローンがもしいたら、対面したくないと。ニューヨークに行っても、メープルソープとは違って、全くモテないと。」

O「それは興味深いですね。浅田彰は、メープルソープに、自己のアルファとしてのオメガを見たのでしょう。ものすごいご執心ぶりですから。」

「「逃走」するのは、心のどこかで、自分が保護対象だからと気付いているからでしょう。」

「メープルソープー浅田と対比で考えると、浅田に顕著なのは、両性具有性の欠如ですね。」

K「そのような「小さな自己」への手厚い「保護」制度を、浅田は日本の一角に80年代以後作ったという言い方ができる。「インテリ層」世界を中心として。その制度化は、美術館にも侵入している。」

「両性具有性の欠如という視点、面白いですね。「浅田は男根中心主義的」と前に学芸員・東谷隆司に言ったら、彼は私にはっきり同意していた。東谷は「柄谷行人は、男根中心主義とちょっと違うのでは?」と、私に返していたが。」

O「本や美術オタクに淫していると、現実の処世を忘れる。柔軟性がない。池内恵が浅田のウクライナについての言及について、嘆いていましたね。会田誠の最近のツイートにも同質の柔軟性の欠如を感じます。柔軟性の欠如=反社会性。」

K「池内恵、そうですね。」

Satoshi Ikeuchi 池内恵@chutoislam·3月17日
しかしバブル期の徒花の「現代思想」の人ならウクライナ人に「逃走しなさい」言うんかいなアホちゃうか、と皮肉書いたら、その頃ちょうど久しぶりに当たったスポットライトの下で本当に真顔で逃走論口走ってたのか…本当に何もなかったんだよ空っぽなんだよ
引用ツイート

たられば@tarareba722 · 3月15日
聞きたくない話でも重要だと思うニュースや発言は呟いてきたのだけど、昨晩のBSフジ『プライムニュース』の浅田彰先生は、(「プーチンが悪なのは間違いないが」「キエフに残って抵抗を続ける人々を尊敬するが」と前置きしつつ)「逃げてほしい」と繰り返していて、チャンネルを変えてしまった。
https://twitter.com/chutoislam/status/1504226409841049601?fbclid=IwAR3AgoExzAJJdiFXGdlph911RH8dTqhdmRihBa7CQH58bPBQqW_GDLP8HSg

「会田もそうですね、頑固化している。」

O「両性具有性があるというのは大変なことだとは思う。たいてい、「偽装」しかしてない。彦坂尚嘉がユングを称賛するのは、わかる。両性具有性のネタ元でしょうね。柄谷もユングに入れ込んでる。」

K「そうなんですか。」

O「上記加藤さんの言及のフロイト問題の解決の糸口みたいな。柄谷ーフロイト(裏のユング信仰)を、以前の対談で(マッハと柄谷との関係の話で)彦坂氏の重要な参照例としての柄谷という話をしましたが、彦坂氏はきっと読んでるじゃないかな?」

K「なるほどね。「昇華」の絶望論(中井久夫)。」

O「でも、上記のふにゃふにゃな連中は「嫌疑」「軽蔑」という「こじれ」の表情をしている。メープルソープのような完璧な両性具有性からは千年の隔たり。本物は、愉快にカメラを撮影している。」

K「パープルームの梅津庸一君は、私が聞いたトークショーで「現代アート=ゴミ」という図式を提出し、問題化していた。梅津君の気になる中心は、ここなんだなと、私には理解ができた。「昇華」が堆積し、自重でやがてすべてがクラッシュする。中井久夫は、最も鋭くこれを言い当てている。」

O「梅津氏が才能があるのは疑いないけど、なんでか「こじれ」が感じられるんですけどね。不可能性ではなく可能性の延長という、やらしさが。」

K「「僕の可能性」の集団的延長として、クラッシュがある。それは例えば彦坂さんなどは、「無芸術」といって先取り・正当化。「これでいいのだ〜」と。」

O「どこにも奇蹟の要素がなく、それで「アート」と。あってもなくてもいいようなものとしてゴミと。」

K「学芸員・東谷隆司の2012年の自死の前兆として、彼の私への発言の一つとして、「アート、正直もうどうでも良くなっている」「わがままなアーティスト様たちの、お世話をするのは、自分はもう嫌になった」という趣旨のものがあった。同時に「俺は本物にしか関わりたくない」とも。「本物」が未だ彼には見えなかったとしても、個人的な発言は真摯なもので、今でも万人が参照する価値があると思う。日本の現代アート界が沈黙を装っていると、私が先に言ったのは、一つには具体例としてこの点。」

「少なくとも、梅津君は、これを公に言語化しているという意味で、私は実は評価がとても高い。東谷は、私への「私語」で終わった。彼を英雄視することは決してできない。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?