一人で仕事をするな!

オマル マン氏との対談、第34回目(前回からの、延長戦)。

O「なんだか、Twitterの雰囲気も1週間で様変わりした。ひとことでいうと、暗い。」

K「そうですか。肌で感じる?」

O「有名Twitterユーザーもなんだか「苦しそう」。肌で感じますね。」

K「私も、池内恵のを読んでいて、元気がないなと。バイデンの当のアメリカが、はっきりしないからでしょうか。」

O「茂木もバグってきてますね。動画で今回の戦争は「実験」っていってる。あいつの動画、ウクライナ語に翻訳して、ウクライナ人に見せたい。」

K「「実験」と。当事者への「共感」の欠如?」

O「池内もそうですね。苛立ちも。茂木は、メッキが剥がれてきて、正体が。」

K「やはり、何のかんの、皆アメリカの出方に依存している。それがないと、元気がなくなる。」

O「逆に、いまのTwitterの「歴史の現場」感は半端ない。今まで穴に潜っていたアカデミアの俊英も、穴から出てきている。肌で感じでいるのでしょう。」

K「国際政治の常道では、強気に出る場合にははっきりと牽制球を投げる、まだ未決定の場合なら沈黙と。それが今回は、「介入したらやばいので、アメリカは介入しません」と言ってしまった。これがロシアのウクライナ侵攻を悲劇の方向へ後押ししてしまったのでは、という批判が国際政治の研究者らから出ている状況。」

O「バイデンがモンロー主義に傾倒していくのだとしたら、はっきりいって、プーチン並みですね。」

K「穴から出てきている、感じがしますね。」

O「この人とか。(https://twitter.com/SugioNIDS)」

「1週間程前は、池内はお前らのいってることは古い。とか言って威張っていた。ここ2~3日は「いや。まてよ...」と。」

K「既に、コロナ禍で、アメリカのアート世界の今後の出方も、「不明感」が漂う。日本人の中に。」

O「本当に19世紀型のパワーポリティクスに戻るの?マジで!? という感じなのかも。」

K「イギリスは、外相がはっきりした口調でメッセージを発していますね。」

イギリスUK in Japan日本@UKinJapan· 3月11日
イギリスの政府機関

「ロシアによるウクライナ侵略は、9.11レベルのパラダイムシフトである。我々の今日の対応が、この先の未来を決めることになる」

訪米中のトラス外相は米シンクタンクで、プーチン大統領の侵略を止めるために、世界が協力しなければならないとスピーチしました。
https://twitter.com/UKinJapan/status/1502162501437321219

O「なんだか、イギリスが活き活きしている(笑)。イギリス主導...」

K「しかも、女性が前面に出て、という特徴。」

O「自分でもまさかと思いつつ、キッシンジャーに依拠して、発言したが、」

K「茂木健一郎氏の最近の動画で、私が注目したのはソクラテスの「無知の知」のような主張の部分ですね。」

O「かしこぶってる奴ら!ファック!という動画ですよね。」

 K「そうです。」

賢くない人たちが賢いふりをするのが人類にとっての最大の不幸
https://www.youtube.com/watch?v=yXvk4bpJI2Q

「ロシアによるウクライナ侵攻以後の、識者の発言で私が最も注目したのは(対談「Fakkin! bullshit! TokYo,Boy!」(https://note.com/naar/n/n035d73233084)でも私が言及した)、国際安全保障論の神保謙氏の議論でした。再度、引用。

神保 謙 (Ken JIMBO)@kenj0126· 3月1日
返信先: @tnak0214さん, @show_muranoさん
米ホワイトハウスが情報暴露によって事態の好転を期待したとしたら、その想定の方が心配です。抑止理論上は介入の意思と能力を示すか、介入意思が確定できないのであればその意思を不明確(曖昧)にするのが通常です。介入意思がないことを明確にする、というのはちょっと理解できないのですよね。
https://twitter.com/kenj0126/status/1498474266173800451

「「無知の知」(オマル マンさんが、この対談でも1月頃に先駆けて主張していた「馬鹿のくせに計算するな」、また、ロシアによる侵攻後もキッシンジャーの例示による、共通したテーゼ)の今日いよいよ実感される重要性とともに。」

「この間、対談では並行してアートの問題も語ってきた。ハーストにより表象される「愚行」=「芸術の不可能性」の「偽装」としての。」

「「交易」における、「情報の機密性」保持の原則(ハイエクの提示による)についても、再度ここで考察する必要性。」

「美術における、「情報の機密性」=表現の「基礎」の部分だと私は提示した。これは、「入門」的なものではなく、むしろ進行する「発明」的なもの。オマル マンさんが言及した(藝大を例に)「バカテク」というのは、その欠如というように。」

「この辺の「知」を総合する必要性がある。「知」の結集。」

「私は美術史の「傍流」としてのデュシャン-ボイス-ハーストという、ある種のエスカレーションについても対談で提示した。それに対して、美術史の「正統」としての、フランシス・ピカビア-マイク・ケリーの線を私は強調。ピカビア=ケリーの「ダダ」的部分ですね。ダダの正統性という「伝統」。その保持。」

「(真性の)「切断」の導入。」

O「真性の切断として、その最たるものとして、私は加藤さんと「運動」しているつもりです。」

K「オマル マンさん、ありがとうございます。」

O「こちらこそ。私がこの対談で見据えた「茂木健一郎」についても、やはり活動の一環という意識。彼を「選定」した理由も、今加藤さんが展開した言説と、密接に関わりがあるのです。私はほぼ半年かけて、そのほとんどのリソースを割いて、茂木健一郎を「調査」した。まったく、まぐれの「当て勘」でやっているわけではないのです。じつは。この対談に、彼は奇妙なほど、対抗心を燃やしている。加藤さんも認めると思いますが。」

K「私は最初、茂木氏の名をオマル マンさんが挙げるのを、よくは分からなかった。「(理系の知識の)アドバンテージがある」という文脈提示、オマル マンさんから。茂木氏の発言に接してみて、私は「身体性」能力に注目した。識者の中では、異例ともいえる。」

O「茂木は、あの類いの人間のなかでは異例なのですが、「仕事ができる」人です。「仕事」のレベルの話になると、議論の余地があるとしても。加藤さんの提示されたテーゼも、やはり「仕事」と密接につながっている。彼はどこかで、レベルアップしたいともがいている。」

K「なるほど。レベルの如何を問わず、アクチュアリティがある。現実化、それが最大の茂木氏の美点。」

O「この運動の主宰者としては、日本のアートシーンのなかでもっとも「有能」な加藤さんこそが、やはりふさわしい。私が、某アート界の「シバター」に見切りをつけた理由も、そこにある。」

 K「アート界の「シバター」、重要な参照項ではあった。」

O「茂木の身体性=動ける、という美点につきます。ただ一方で、彼は「一人で仕事をしたがる」という点が、はっきりとマイナス。たまに「孤児」の状態に陥っている。」

「主に藝大を拠点に大量発生している「バカテク」、というのも私からみると「孤児」状態ですね。」

K「なるほど、「一人で仕事をしたがる」というのは、現在においてはマイナスということ。顕著に。オマル マンさんには、それが見えると。これも、これまでの対談(約半年)の内容を振り返り援用すると、(「孤児」の)複雑性ではなく、(「歴史」と直結した)「個」の複数性の、現代における優位性の考慮、ということになる。」

「「孤児」の集合は、バラバラ。その本質は。いくらセクトを組んでも。互いに「明後日」の方を向いている。」

O「「意味を問うな、とにかく踊れ!」といっても一人で踊っているのですよね。アドラー的に言えば半分正解、半分誤りですね。ダンスをする相手が必要。踊るには。茂木は、発達障害的と加藤さんとたびたび話をしているが、まさにここに集約する。そしてそのダンスの相手が「異種」であることが、「本質」。」

「同族と傷を舐めあってもしょうがない。某シラス対談みたいな。」

K「アスペルガーを自認する、ゲイリー・ニューマンのステージ上の「孤児」のダンスを私は想起する。」

O「顔で「あっ!孤児だ!」と。」

K「顔でも分かりますね。」

O「わかります。孤児の顔がある。」

「ストリートチルドレンのままでは駄目です。それでは芸術は成立しない。」

K「養育機関が重要。「孤児」の集合を解体し。」

O「重要ですね。いまだと「孤児」の「保護」ばかりが手厚い。」

K「保護機関と化している、現代アート界自体が、美術館・美術雑誌等と複合し。「緊急避難」的措置といえば、美名にもなるが。実情は、インテリによる当事者の美術機構への集団的「人質」化。美術評論家・椹木野衣氏も、「自分は美術教育については、分からない」と言う。告白。」

O「近代のカテドラル(大聖堂)は、消費社会なのですよね。近代以前の「伝統」が消え失せて、消費することで、自己の病をいやす大衆が出てきた。この傾向は、まずはブルジョアジーに。次に中流層、そして労働者層へ。」

K「あいトリ2019に見られた、「政治」は、解体ではなく一つの糾合のシステムとして機能したが、それが現在はどうなのか?という問題。」

O「ポイントはブルジョアジー(上流層)がその”発症源”であるということ。」

K「消費することで、自己の病をいやす=自己の病の増幅でもあるという問題。閉じたその集団規模が大きくなるほど、その危険も増す。」

O「あいトリ2019で起きた「暴動」とは何だったのか?アートの「消費」を中止されたことへの怒りが(かなりの部分)あったとは思う。」

K「そうですね、「応急措置」の「応急措置」か。「敵」がでっち上げられた。あるいは、運よく自動的に迷い込んだ。「ガソリン携行缶を持って、お邪魔する」という。」

O「禍々しいが、実験としては、お粗末だとも。わかりやす過ぎる。」

K「「敵」が特定し、現実化すると、集団は結束を強められるという、紋切り型の手法。「応急措置」の「応急措置」。対症療法的。」

O「「応急措置」の規模感でしたね。。街で暴動がおきたわけでもなく。オモロイ人たちが狂って雄叫びをあげたわけでもなし。」

K「あれは、現代アート業界が縋り付いた最後の手段。大村知事・河村市長、その他世間の大多数を巻き込んでの。大事業=から騒ぎ。」

「「症状」としての、末期。あれは、日本美術史としての、明確な切断面。「断層」の出現だった。」

O「ハイソサエティにしてから、病巣化しているという。病原菌はハイソサエティということなのか。」

K「チンポムなどは、その頂上で、以前から超ハイソサエティ化していますよね。」

O「そうですね。屹立している。あまのじゃくのカリカチュアとして「屹立する」という戦略。」

K「背後で、森美術館や豊田市美術館との連携。」

O「やはり同質の思考が働いている。あいとりと。」

K「共同路線ですね。」

O「見覚え、アリ!というやつ。」

K「対談前回からの文脈で言えば、上野千鶴子的、ポルシェ・「海外」を併せ纏った「大先生」化。「古い」。」

O「「古い」。そのウィルスの元は、「ブルジョア社会」ということ。それも海外の。」

「男と女の性の戦争、というイメージも、もとはたどればブルジョアジーだし。」

K「「有閑マダム」とかの、死語の世界の現実化。」

O「「消費」によってつながれば、まるく納まる。というシステムですね。」

K「(秘められた)消費物の頂上としての、「男と女の性の戦争」という贅沢品という、どこを切っても金太郎飴の構造。原型としての「家庭内闘争」。」

O「私の家族にもいえることです。おそらくは、それが自覚できない程にまで「病」が多種多様にわたり、総ての人間が犯されている。消費でしか救いがない。」

K「左翼インテリの父、海外輸入の権威=「大先生」的フェミニストの母、という雛形。」

O「大森の酒場で呑む、飲み潰れる息子。」

K「そのような「末路」の雛形も、散見される。」

O「真昼間に「磯丸水産」で呑んでる団塊ジュニア世代。」

「「孤児」の集合を解体するには「消費」をやめさせるしかない。おそらく。」

「消費ではない。人薬が必要。」

K「そうですね。茂木健一郎にも、それを教えたい。」

O「彼もやはり、汚染されてる可能性がある。そして、じつはそうではないのが松本人志や有吉。ストイック。だから有吉に、夏目三久もぞっこんになる。」

K「名古屋で「旅ラン」をしていた。名古屋駅周辺を走っていた、動画で、茂木氏。途中「以前から目をつけていた」というみたらし団子屋で立ち止まり、我慢。ここは私は面白かった。」

O「爆笑ですね。」

K「良い笑。」

O「走ってる割に、デブ。というのも良い。」

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