「人間」への執着心、「人間」の過去へのいかなる執着心も、芸術成立とは何ら関係を結ばないと私には思われる。
「近代美術」は「ノイズ」信仰。それ(=人間)への執着は(彦坂尚嘉氏が指摘するように)「現代」ではなく今後は「伝統美術」になる。例としてのゲオルグ・バゼリッツ。AIの技術革命により、近代の鍍金が落ち、その抑圧の下にあったレオナルド・ダ・ヴィンチ(のスフマート)、ドミニク・アングルらの本質が再び全面に出てくる。
「近代美術」=「ノイズ」=「人間」信仰の現在における本格的な終焉は、「ノイズ」「無頼」がなんだただの「マザコン」だった、という滑稽の姿として露呈する。しかし「マザコン」は「無頼」者(集団)を救済しない。原理的に、できない。そうして「滑稽」が「悲劇」と背中合わせの形になる。
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