プーチン・国家・ユートピア

オマル マン氏との対談、第40回目。

K「オマルマンさん、こんにちは。池田信夫氏が、プーチンに関連してドストエフスキーに言及しています。」

池田信夫@ikedanob·3月28日
池田信夫 blog : プーチンという「大審問官」
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/52066443.html https://twitter.com/ikedanob/status/1508334505475534851

ウクライナの人民も、西欧から押しつけられた自由に苦しんでいる。プーチンという大審問官は、人民を服従させてその苦しみを終わらせ、彼らを自由という牢獄から救い出すのだ。

“おまえは自由の約束とやらをたずさえたまま、手ぶらで向かっている。ところが人間は単純で、生まれつき恥知らずときているから、その約束の意味がわからずに、かえっておののくばかりだった。なぜなら人間にとって、人間社会にとって、自由ほど耐えがたいものはいまだかつて何もなかったからだ!”(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』からの引用)

「「自由ほど耐えがたいものはない」という言葉には、私はどこか懐かしい響きがあります。三島由紀夫が、このフレーズを唱えていた記憶。」

「今、内海健『金閣を焼かねばならぬ 林養賢と三島由紀夫』(2020年)を半分読んだところで、前半は金閣寺に放火した僧侶・林養賢についてでした。林は犯行後、統合失調症を発症したとされる。発症前の前駆期に放火が行われたと内海。内海は、これを「自由」=狂気への跳躍と見る。因果連鎖には回収されないものと。」

「内海は「拒食症」の例も引き、症例は当初の「ダイエット」という名目を通り越し、オートノミーに従い放置すれば死に至ることも起こり得ると。そのような類似としての提示。」

O「加藤さん、こんにちは! 今回、池田がドストエフスキーに言及するのは、先月あたり、ロシア文学者の沼野充義が、今回の有事に際して、朴訥すぎる発言をしてプチ炎上したことも、関係しているかもしれませんね。」

Satoshi Ikeuchi 池内恵@chutoislam·3月13日
文学者が「国民性」とか気軽に使っていいのか。
業界の実力者のこういうあらゆる方面からおかしな発言を、日々に私を付け狙って揚げ足とって論い揶揄し続けるロシア関係の現役の教授・准教授がピタリと黙って一言も批判しないのは、人文系業界の不自由さを示す。
引用ツイート

Mitsuyoshi Numano@MitsuNumano · 3月11日
ロシアで悪いことがあると、日本ではロシア語学習者は激減する。嫌なものからは逃げるのが国民性だ。アメリカでは逆に学習者が増えるという。ロシア語の重要性が増し、その知識がキャリアにも有利になるというポジティヴ思考というべきか。日本ではロシア語をやっているだけで、変人扱いされかねない。

Satoshi Ikeuchi 池内恵@chutoislam·3月13日
だいたい冷戦期にハーバードに行ったんだから、その「敵性言語」「敵の文化」の研究に膨大な軍事関連予算が投じられていて、それで自分も勉強できたという構造を、少しは自己相対化をできないものなのか。まさかそこまで社会構造を把握できない人が人文学界きっての切れ者国際派だったのか。

Satoshi Ikeuchi 池内恵@chutoislam·3月13日
返信先: @chutoislamさん
ロシア文学者が「政府が悪い国民性が悪い」と、結構な研究費使いながらごたく並べている間に、こちらは外部予算とって本部と交渉して若手ロシア研究者のポストを一つ作り出したんだよ。やればできるんだが人文学者は足引っ張るだけ。それでポスト減らされて「政府が悪い国民性が悪い」の永遠リピート
https://twitter.com/chutoislam/status/1502949699027931137

K「その辺り、私も目にしていました。ロシア文学界隈の、危機感の表れでしょうね。」

O「あらためて、内海氏の「目の付け所」にも注目ですね。」

K「そうですね。「自由意志」に関して、決定論を超える(=それに変更を加える)可能性として、一般にはそれは存在しなものであるとされながら、ポジティブに、このロシアのウクライナ侵攻に絡めて言及されることはありますが、内海氏のアプローチは方向が異なりますね。」

「茂木健一郎氏。」

#プーチン大統領 に改心を期待することと #自由意志 否定の科学はどう両立するのか
https://www.youtube.com/watch?v=UKspS0I0KC4

「ちなみに、こんな記事もありましたが。」

「自由意志」は存在する(ただし、ほんの0.2秒間だけ):研究結果 https://wired.jp/2016/06/13/free-will-research/

「内海氏の上述の前著である『さまよえる自己』(2012年)でも、ベンジャミン・リベットの実験は言及されていて、私は関心を持ちました。」

O「今回の有事に際して、池内と東の決裂、も改めて注目したいところですね。」

K「そうですね。しかし、私は論点は正確には把握していません。」

O「ここ数年、東と池内とは、奇妙にウマが合っていた感じがあったのですが、今回のような有事に際しては、双方に妥協できない価値観の相違が生まれたと。他方で、東と茂木とは、依然として「ウマが合う」仲ですね。」

K「「プーチンは悪」に関して?」

O「具体的には、そのあとの、一連のやりとりですね。」

茂木健一郎
先日大炎上した私のツイートについて、大切なお話があります
https://wiss.news/m/kenmogi/981?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=220317&fbclid=IwAR3Z3L3azyDvEMIWIa81d6bbR_ZYSIcRlGTPUkQ5UKjEuRfgNaR8N-PAiSw

上の私のツイートに関連して、東浩紀さんは次のようなコメントをツイッター上で書いてくださった。

 「そういえば茂木さんが炎上しているようですが、主に歴史的なことばかりやっている人文系の人間としても、この指摘はよくわかります。
というか、「正しい歴史を学べば問題ない」なんて杜撰にいえるひとは、まともな歴史学者や哲学者や文学者にはいないはずだと思う。」

「東ー池内は、いままではオブラートに包んで、「そこ」に関してはノータッチで...、という感じで上手く付き合っていたのだけど、今回に関しては、お互いに譲れない部分が大きすぎたと。ここ1か月弱くらいでしょうか。池内恵の東浩紀への態度は、攻撃性を増すばかりで。」

「上記の茂木の自由意志云々というのも、込みで。より多角的、立体的に把握するうえでヒントになる。」

K「東氏がそういう態度に出るのは、これまでの姿勢から理解ができますね。」

O「そうですね。東にしても、池内にしても、お互いに「二重性」を孕んでいる。その二重性の質において、今回は不整合が出た。他方で茂木健一郎にも「二重性」があって、それは東浩紀と親和性が高いと。」

K「言論人の政治。業界的な話ですよね。」

O「そうですね。ここまでハッキリというのは、重要度が高いと。自由意志に関する「取扱い」という観点で進めても、良いと思うのですが。東と茂木は、自由意志を否定する立場ではないでしょうか。対して池内氏はどうかというと、そもそも、そういう議論には興味がないかもしれない。」

K「そうですか。いわゆるメディア有名人ではない内海氏は臨床の立場から、自由意志が現れる場面とは、端的に「狂気」として捉える。それを崇拝している気配も見られるが。」

O「茂木に見られる、科学者の自由意志の否定というのは、歴史を軽視し、現象を「パラメータ」に還元することで、十全に説明できる、という態度。しかも時に非常に強硬に、この態度を顕示する。内海氏の観点も、質においては共通しているかもしれないですね。」

K「内海氏の、80年代文化に対する親和性。」

O「80年代が神経症的リバイブ、という話は、かねてより、この対談で進めているテーマですよね。」

K「上述書前者で、例として語られるのが、電車で座っていたら眼前に高齢者が現れたとする、道徳的に席を譲るか、寝たフリをして座り続けるか、いずれにせよ自己意識に従っているが、突然立ち上がり走り去ったとしたら、周囲は意味がわからず唖然とするだろう。自由意志とはこういうものと。これは80年代文化的。」

O「東の見える場所で、池内は浅田彰を「粗大ごみ」扱いする。この当て擦りの態度。茂木は、別の動画で「自由意志を信じている奴が陰謀論やオカルトに傾倒していく」と。「それは私は論文でものして、証明した」と言っている。個人的には傲慢な奴だな、としか。」

K「ネットが激しい闘争の場となっていますね(笑)。」

O「池内氏の怒りの矛先は、Twitter上では、東浩紀以外のその他にも向けられているが、とりあえず、東浩紀界隈に限定すると、80年代の流れを汲んでいる論者(東がその正統後継者なのは明らかですが)に共通している質の、傲慢さというか。茂木健一郎の自由意志の否定、歴史を軽視し、現象を「パラメータ」に還元することで、十全に説明できる、という態度も、その一端でしょうが。」

K「うーん、なるほど。東ー茂木のタッグは、とても把握しやすいものですね。旧業界的。伝統的。」

O「議論が稚拙すぎんだろ!ボケナスども!と。」

K「でも、ツイッターの文字数では、議論は深められないでしょうね。会う気もないならなおさら。」

O「だって、東や茂木の、その態度なら、いくらでも「後付け」できるわけです。そんな学問なら、チョロい。」

K「ちょろい印象はあります。」

O「しかし、ある観点からいうと東ー茂木の「地位」は特上ですからね。「二重性」の親和性もあって。その界隈以外の者からすると、イラーっとくると。」

K「私は内海氏の議論に興味があるのですが、内海氏は例えば「真っ白なキャンバスの恐怖」ということを言う。それに似たような表現を、美術家の多くは確かにするかと思いますが。」

「私自身、そのような感覚はそのように誇張するほどない。「収拾がつかなくなる」「止まらなくなる」「画面が埋め尽くされるまで行っても、終わりの感覚がない」ということを、多くの美術家は恐れるのだが。」

O「何もないところからはじめないといけないですからね。」

K「「自由」とは、内海氏のように「狂気」として捉えられる場合と、それへの「切断」の契機と捉えられる場合がある。」

O「彦坂さんは、かつて美術界のとある権力者に関して、その死に際して「何にもなくなってしまった...」と寂寥感を漂わせて、言い残していたと。動画で、嘲笑いながら、その話をしてましたね。」

K「美術批評家か、美術館館長ですね。確か。その人にいじめられたと。」

「ところで、「二重性」って、具体的に。」

O「加藤さんと話をしていて、なんとなくですが整理がついてきたのですよね。」

K「なるほど。」

O「それがないと、現象を読み解けない。茂木も東も、本質はやはり左翼ですが、今はなんとなーく保守みたいな発言もする。」

K「何もないところからはじめるというのは、私の感覚にはない。茂木-東にはある。椹木野衣は「何にもないところから芸術が始まる」と。自殺した学芸員・東谷隆司は、私に対して呆れるほどに、それを信憑して唱え、繰り返していた。「何にもないところから芸術が始まる」と。」

O「真に、なんにもないところからはじめているのは加藤さんでしょうね。私が証人として、それは間違いなく。」

K「茂木も東も「保守」に救済を求めているんですよね。しかし池内から「親」である浅田をいじられると、タッグを組んで反発するという構図。神経症。まさに。」

O「なんにもないところから、はじめていないんですよ。実は。ほとんどの有名人は。金で解決バイヤイヤイ~。おぼっちゃまくんの歌詞ですけど。」

K「そこだ。お手本通りにやっている。強がり。かっこつけ。」

O「六本木あたりの狭くてしょぼいカーストの中で、ウロウロしている人達でしょうよ。」

K「オマル マンさんに、その現場性の「質」は目撃されている。現場人=オマル マン。」

O「ええ。六本木のクラブで、ホリエモンも真後ろで見てますし。」

K「「登録者数が〜」どうのこうのとか。脳内は、会田誠と同じですね。古き、ゼロ年代文化人。」

O「でも、そこが「二重性」なんですよね。そいつらが文化を作ってしまっている。今は。カーストの頂点という錯覚のもとで。」

K「なんとなく、分かってきた。」

O「あんまり、触れてほしくないのでしょうけど。やっぱり自己を図式に回収されたくないでしょうし。」

K「「反権威主義の衣を纏った、その実、権威主義」。私が10年代半ば、リベラルの源流を訪ねてと称して、従姉妹の編集者(河合文化教育研究所)を介して三度会って話した水田洋氏の、私の最終的な結論としての印象。」

O「まさに。」

K「水田氏のもう一つの私の印象。「凶暴性」。私の感覚では水田-浅田-東と、同質のものが引き継がれている。茂木氏はその枝葉の一つ。」

O「バラモン左翼の類型ですね。」

K「そんな感じですね。水田氏は、私にしきりに芸術に関して言及する身振りを見せていた。強いコンプレックス。」

O「上記、カラマーゾフの兄弟の言及と、つながる。」

K「そうですか? 実は私、カラマーゾフの兄弟、通しては読んでいないんです。」

O「池田信夫の肌感かもしれないが、やはり、根拠があると思うのですよ。今、このタイミングで、」

K「水田氏、私の前で「無神論」を称賛していた。」

O「まるで「悪霊」の世界。」

K「そうですか。妹がドストエフスキー研究なので、私は読んでいない。ロシア語ペラペラですが妹。なんか、身内が読んでいるものに、近づけないという感覚はあるんですよね。抽象論だけ話すと、生温いなで私から終わってしまう。」

O「池内が、沼野に反感を覚えるのも、やはりバラモン左翼への憎悪じゃ?という。個人的な勝手な推測...」

K「池田氏のドストエフスキー言及、私はタイムリーに感じた。」

O「そうですね。タイムリーですよね。いろんな類型をひもとく鍵になる。」

「「パッと見、良い人そう」。この属性の知識人は、やばい。」

K「うーん、その領域の「巨人」なんですね。」

O「超ビッグネームですね。」

K「なんか、「多様性」とかの業界用語を、未だに刃物のように振り回すというのは。全員(読んでいなくても)「隠れラカン派」かと、私は思ってしまう。「権威主義的リアリズム」。」

「喧嘩の元は、「親(象徴)の悪口を言うなよ!」と。「悪口は自分で言うから(人から言われたくない)」と。神経症。」

O「そうですね。今回、それが見えてしまいましたね。」

K「単純な奴ら。」

O「そこは、やっぱり、バレたくない(笑)。」

K「おぼこいやつら。」

O「ウケるから。おこぼが。」

K「「可愛い」。」

O「奴らは、アーティストは大嫌い。だって、おこぼって、バレるから。あるある~っと。眺められる不快感に、耐えられない。天敵。」

K「「カジュアルブロック」(笑)。」

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