日本人の中にある「自由」の遺伝子

美術家・会田誠が語る、こういう日本の「最古層」=縄文還元主義はどうかな? それが日本の現代アート界を(岡本太郎以来)トップダウンで支配しているのは、確かだが(私には、関係ないが)。

会田誠@makotoaida·8時間
そういう意味で日本列島の「保守」の最古層は縄文に求めるべきで、現在にも生きている人々に照らせば、アイヌと琉球の文化にその古層の有様を探るヒントがからくも残っている、というのが実情だろう。
https://twitter.com/makotoaida/status/1591466141867966466

Facebookで語られていた彦坂尚嘉さんの芸術分析だと、アイヌと琉球は「文明」度が、非常に高いということ。対して、「縄文文化」そのものに対する彦坂氏の評価は低い。「想像界しかない」あるいは、それ以前の「狂気」とさえ。まあ、確かに、岡本太郎の「絶筆」を見ると、そういう領域だが。

参照。彦坂氏の最新のYoutube動画。

【岡本太郎徹底批評】2022年の岡本太郎展の意味を考える。彦坂尚嘉+糸崎公朗
https://www.youtube.com/watch?v=vBgOSVQK-ZE&t=831s

Wikipedia“アイヌ文化”には、こうある。

近年、アイヌ社会が極端な富の偏在を伴う格差社会だったのではないかとの説が発表されている。瀬川拓郎は文献資料や墓の発掘調査結果などから、近世アイヌ社会はカモイと呼ばれる首長、その下の階層であるニシパ、平民、そして隷属民であるウタレという4つの階層に分かれており、カモイに富が集中していたのではないかと指摘している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アイヌ文化

池田信夫氏の最近の表現では「縄文・文化遺伝子」は、平和で平等の指向性ということだが、これと矛盾する。

池田氏のブログより抜粋。

「遺伝的にはアイヌと琉球人が遺伝的に近いことがわかっている。」

「弥生人が大陸から来たことは間違いないが、それが「騎馬民族」のような征服民族だったわけではない。侵略戦争が行われた形跡はなく、縄文人は弥生人とまじわり、平和的に今の日本人になったと思われる。」

「現代の日本人は単一民族ではなく、遺伝的には縄文人と弥生人の複合民族だと考えたほうがいい。コロナ対策でも、ゼロリスクを求める大衆に対して、自由を求める少数の人々が辛うじてバランスをとっているのが救いである。日本人の「最古層」には、自由を求めるノマドの文化遺伝子もあるのだ」

池田信夫 blog
https://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/52064897.html

[追記] 参照。

「蝦夷の子孫であることが、蝦夷の後裔であることが、なぜわるいのであろう。アイヌと同血であり、同文化であるということを、なぜ恥としなくてはならないのか」(『日本の深層』)という梅原氏の訴えは、当時としては先進的な考えだったと言える。

しかしながら、現在では、アイヌは「日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族」と定義されている(内閣官房アイヌ総合政策室)。アイヌ文化を縄文文化と結びつけ、日本文化の基盤とみなすことは、ことによると「文化盗用」と批判されかねない。この点でも梅原説、そして同説を起点とする昨今の「縄文ブーム」を相対化していく姿勢が求められよう。

呉座 勇一 通俗日本論の研究⑧:梅原猛『怨霊と縄文』『日本の深層』 https://agora-web.jp/archives/221117040633.html

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