最後の時まで
「おばあちゃんが危ないかも。かなり悪いみたい」
と言われ、入院している病院に親族が集まった。
病院に着くと母や叔母、いとこは泣いていた。
祖母の呼吸は荒く時々数秒くらい止まることもあり、顔はとても苦しそうだった。
もう本当に長くはないんだな、、、
そう思うと私も涙が出てきた。祖母に曾孫を見せてあげたかったなぁと思うともっともっと涙が出てきた。
その日から数日が経ち、今日も祖母は酸素や栄養を送られて、何とか自発呼吸を続けている。
私は後悔のないように毎日病院に通っている。
いつが最後になってもおかしくないんだなぁ
と毎回思う。
もう話すことも自分の口でご飯を食べることも出来ないし、長年住んだ家にも戻れないし、祖母が笑うことはもうこの先ずっとないんだ…とぼんやり考える。
私が身近な人の死を初めて経験したのは小学生の時で、それ以降は近しい身内の死というものがない。祖母の死がもう直前に迫っているこの状況がとても怖くもあり、それと同時に覚悟する時間を与えられている気もしている。
お見舞いに行くと、もう話せなくなってただ苦しそうに呼吸する祖母を見て色々なことを思う。
人間の最後って何を感じるんだろう
祖母は今何を思っているんだろう
なにか夢を見ているのかな
祖母の人生は幸せだったのかな
死んだらどこへ行くんだろう
祖母の顔をみているとなぜかふと
私が小学生の時に風邪で学校を休んだ日、祖母の家で看病されていたあの時を思い出した。(親は共働きで風邪をひくとよく祖父母がみてくれた)
私が寝ていると祖母と祖父が交互に部屋を覗きに来て私のことを看病してくれた遠い記憶…
何故今こんなこと思い出すんだろう
祖母の命はあと何日くらい持つのだろう。
そんなことを考えながら過ごす日常は
なんだか胸がざわざわソワソワして時々涙も出そうになってボーっとしてしまう。
だけどこの今が、祖母の死を受け入れる準備期間のようなものなのかなと思う。
ある日本当に突然、大切な人を亡くしてしまう人のことを考えると、私は祖母がもう長くないんだなと分かっているこの状況はまだ恵まれているのではないかと思えた
毎日病院へいくと
日に日に悪くなっていく身体の状態を見て辛くなってしまう。
けれど最後まで祖母が生きぬくところを見なければと思う。
おばあちゃん。
6人の孫と6人の曾孫がいるおばあちゃん
私はその中の孫の1人でしかないけれど
いい孫じゃなかったかもしれないけれど
今まで沢山の愛情と思い出をありがとう。
最後の時までみんながそばにいるから
どうか苦しまないでその時を迎えて欲しいな。
痛かったり苦しかったりしませんように。
最後の時まできっとあと少し。
しっかりと見送ってあげたい
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