いい人ってなんだ
就活をしていて面接官に言われた一言。
「なぜそんなにいい人なんですか?」
おそらく優しい人とか、自他当然に生きてるような人とかを意味していたのだと思う。人は誰しも自己的な側面があるし、私だって例外ではない。
しかし、友人にも「〜はなんでそんなに優しいの」や「怒ることあるの」と言われることが多く、周りからの印象は何があっても怒らない仏様のような人物にうつるようなのだ。なぜだろう。
「嫌い」がほとんど存在しない
そもそも好き嫌いがほとんどない。
食べ物も人も拒否反応が出ることは滅多になく、「これは苦いけど食感か好きだな」とか「発言は厳しめだけど、論点捉えていて凄いな」と言った具合にいい所を見つけて、いいじゃんと思える。
そうすると、あら不思議。苦手かも…と思った点は気にならなくなってしまう。こういうものなのねと割とすんなり受けとめられる性格のようだ。
人を認める
私は嫉妬という感情が不足している。周りには人の成功を羨む人もいるし、相手を蹴落としてでも上がってやるという驚くような人もいると生きてきて学んだ。しかし、私はすごいと思ったらすごい!と伝えるし、私にはできないと思ったらそうなりたいなと言ってしまう。
嫉妬しないのかと聞かれることもあり考えてみたが、周りの言う嫉妬レベルには到達しないと分かった。わりきるのが早いのか、嫉妬するほど人に興味を持たないのか、どちらか若しくは両方なのだろう。
感情移入する
何かを頑張っている人がいれば、私も全力で応援する。感動ものの作品ではマスカラをしている目元がパンダになるんじゃないかというくらいぼろぼろ泣く。
登校中に出会う鳥や猫に挨拶をするのはいつものことだし、迷子になっている犬がいれば大丈夫かーと声をかけずにはいられなかったりする(*田舎出身の私にとって身近な彼らは住人としてカウントされるに値する存在だ)
留学生と一緒に過ごす時間が長かったのだが、留学生の前のめりな姿勢に惹きつけられて、つきっきりで大学のレポートや課題のサポートをしていて日付が変わるまで一緒ということもあった。
そんなふうに毎日を過ごしていたら、いつのまにか俗に言う「いい人」になっていた。
いい人で私自身はいいのか?
最近は「いい人」というワードがすごく引っかかるようになってきた。
選択肢が増える「好き嫌いがないこと」は幸せだし、周りからも褒められることが多かったから良いことだと思って生きてきた。自分の長所だなと本気で思っていた。それなのに、好き嫌いがはっきりしている人を羨ましく思うようになった。
選ぶ時に時間をかけずに合わないものを除外できて、自分自身が好きなものに没頭できるような人になれたらな、そんなふうに考えるようになってきた。
好き嫌い操られないような人間へと育ててくれた両親には心から感謝している。だけど、本当に私はこれでいいのか。
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