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佐藤哲朗(nāgita)
2016年12月10日 15:51
しまじ もくらい/1838~1911年/雨田(他多数)/浄土真宗本願寺派(西)/『三条教則批判建白書』『仏教各宗綱要』/政教分離を唱えた真宗指導者山口県佐波郡和田村、西本願寺専照寺に生まれる。後年、仏教学者の島地大等を養子に迎えるが、黙雷も他寺に婿入りしてから出世した。明治元年(1868)31歳のとき、赤松連城らと本山諸制度の改革を建議し、郷国の防長二州の本山末寺の改革を断行。明治3年(187
2016年12月10日 15:44
きよさわ まんし/1863~1903/骸骨・臘扇など/真宗大谷派(東)/『宗教哲学骸骨』『精神主義』/『歎異抄』を再評価した真宗思想家満之は、尾張藩士の子として名古屋に生まれた。明治11年(1878)学問を続けるため東本願寺の僧侶となり、留学生として東京大学を卒業し大学院に進む。在学中は井上円了らと哲学館(現・東洋大学)の創設に参与する。明治21年(1888)京都府尋常中学校長に赴任、三河大浜