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"楽しい"と"競争"

皆様、どうもNaohiroから”ゆみむ”に名前変わりました。

特に意味はありませんが、お願いいたします。

さて、今日は自分が寂しい人間だなぁと思う1つの思考癖をさらしてみたいと思います。


それは、楽しいと思う感情の偏差値を測ること

具体的に言うと、もし今、ダーツを趣味で始めるとしたら、握手会の中のこの場面くらい楽しさだろうなぁとかで比較することですかね。

体験を比較して、楽しさの順列をつけるという行為を指しています。


最近は、楽しいという感情自体があまり湧いてこなく、

「結局、人と話しているのが一番楽しいのではないか」という結論に至ろうとしております。(それが美人であればなお嬉しい)

握手会やスポーツなどはあくまで話題を広げるため。

もしくは、会うための理由づくりなのではないかということ。


僕は、昔から競争する世界で、理不尽なことは多く経験してきたほうなので、ゲームなどの生産性のない趣味を惰性と捉えてしまう節があります。(それを言ったらほぼすべての趣味がそうじゃないかと自分でも思います。)

能力のない自分が競争の世界で勝つには、時間を犠牲にする必要があると分かりきっていたからです。


ただ、これは日常にありふれた「楽しい」という感情を生み出すきっかけを殺す思考でもあります。

競争する気力がなくなったり、競争が終わったりした時点で何も残りません。効率性を求めすぎた人がつまらなそうにみえるアレと同じことなのかもしれませんね。

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そういえば、僕はアイドルである中村麗乃さんを推すことにも「競争」という観点をより多く持ち込んでいました。

40人を超えるグループの中で、競争を強いられる世界の中で、「楽しい」という感情は充実からくるものではないといけないと思いこんでいたような気もします。

自分が楽観的に生きていくだけなら「比較」はいらないけど、競争する勇気があるなら「比較」は必要なんだと思います。


本人は思考を重ねた結果、楽観的な「楽しさ」が正であると捉えた方だと僕は思っています。

多分、競争する苦しさから生まれる勝利という名の価値を楽しさと捉える僕とは相性が悪いのでしょう。そりゃ干されるわけですね笑

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話がそれましたが、最近は競争する気力もなくなり、楽しさというものが分からなくなってきています。


昔、友達と「自殺は精神的な寿命だよね」という話をしたことがありますが、精神的な寿命についても深く考えてみると面白いかもしれません。

僕は、これ以上思考すると袋小路になってしまいそうなので、一旦やめておきます。笑


ではでは。

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