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仕事をするということ

連休前日、先月のお給料が振り込まれた。
先月はかなり残業をしてしまったから、残業代がかさみ
額面よりもかなり多くのお給料が振り込まれていた。


そこで、一度先月の自分の働きぶりを振り返る。
先月は割と頑張っていたかもしれない。記事をかいて、撮影のディレクションも進め、効果を見込める成果物を作れていたかもしれない。

だが実際、自分は振り込まれた額のお給料分の
効果を生み出そうと必死になっていただろうか。
目の前のタスクを急いで消化しようと、行動とかける時間分の
効果をあまり深く考えずに、作業をしていたかもしれない。


働いた時間に対してお給料が払われている中、その一時間、一時間は会社の利益を生む、お金を生み出せていただろうか。仕事とは、会社に対して自分が生み出した価値や効果に対してお給料が払われるべきだ。


これは、今日清塚信也のコンサートにいって特にそう感じた。
私はきよりん(清塚信也)は、生粋のエンターテイナーと思う。
コンサートホールにいた3時間。短い時間ではあるけれど、
彼はありったけの力を、技量を振り絞って、
観客を、私たちを喜ばせようとしてくれた。

この3時間には1万を払う価値が、非常にあった。
それ以上に払っていいほどだ。
また次回もライブに行こうと、未来に私が生み出す価値までも
生み出した3時間だった。


仕事とは、こうあるべきなのだなと思った。


会社員は、仕事を自分でとってくるまでもなく、そこに仕事があるし、毎日当たり前に、そこに会社があって、当たり前のような顔をして毎日出勤している。だけどそれは本当は当たり前ではなくて、会社の経営層やみんなが働いて、社会に対して価値を生み出し続けているから、この当たり前が存在するのだと思う。


きよりんのような、無形で、かつ価値を生み出す活動をしている方は、その大変さと、必死さと、懸命さと、責任と、楽しさを毎日いだいて、日々仕事をしているのだと思う。


将来長い目でみたとき、人間の大半の仕事はAIに代替されるという。つい最近、会社で使用しているチャットGPTが育ち、私が何時間もかけてかくような文章を、チャットGPTが書いているのをいみて、心から恐怖を感じた。私、仕事なくなる。チャットGPTの方が圧倒的に賢い。チャットGPTを使いこなせるような、人が残っていく。


諸々の感じたことが重なった、今日このごろ。
誰かにこのことについて、話したい。
いま目の前に並べてもらっている仕事に、
ひとつひとつ効果や価値を考えて、対峙したいと思う。

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