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サザエさんが教えてくれること

自分でも、なぜそうだったのかよくわからない行動をしていた時期があった。

さかのぼること13年前、大学を卒業したわたしは就活もせず、渡米して、ニューヨークで暮らし始めた。
ニューヨークにいたのは約3年間で、その間に5回引っ越した。ニューヨークの地価はべらぼうに高いので、もちろんすべてルームシェア。ときには数名でルームシェアしているアパートメントのリビングに住んでいたこともあった(割と普通のはなし)。

ニューヨークでの暮らしは楽しかった。

お金がないということだけがしんどかったけれど、ちょこちょこ稼いでつつましく暮らすくらいであればなんとかなったし、若くて健康な自分ひとりの暮らしくらい、お金で解決できないときにはお金以外のなにか(誰かの親切とか、好意とか、下心とか、おたがいさまな相互扶助関係とか)で意外となんとかなるものなのであった。

朝夕問わず若さゆえの体力と無鉄砲さにものを言わせて遊びまわり、ときにはがむしゃらに勉強し、思い出したくもない恋もした。

そんな日々のなかで、なぜかわたしは家でひとりになると、狂ったようにサザエさんを見続けていた。

当時は(今も?)You Tubeにサザエさんを何話も何話もつなげた40分間くらいの動画がいくつか転がっていて、わたしはそれをひまさえあれば順番に、なんどもなんども見た。

食事を作りながら、食事しながら、ベッドに寝ころびながら。


・・・あれはなんだったのだろうか。
自分でも、その動機がわからない。いやわからなくてよかったんだけれど、昨日、突然わかったような気がした。

***


先週、両親と子どもたちを連れて、思い出づくりの旅行をした。

5歳の長男ともうすぐ2歳の次男は始終にこにこしていて、しあわせそうで、両親もしあわせそうで、楽しそうで、かけがえのない、どんどん通り過ぎていくしあわせをぎゅぎゅっと濃縮したような二泊三日でほんとうに楽しかった。

そして、帰ってきて、幸福と幸運の余韻でぼうっとなっているなかで、狂ったようにサザエさんを見続けていた気ままでたのしい過ぎ去った日々を、突然思い出した。

当時わたしは、両親とほとんど連絡を取っていなかった。
生まれ故郷とも両親とも距離をおいて、結婚するつもりだった恋人とは渡米前に別れ、彼と飼っていた犬とも別れ、ニューヨークでは恋人はいないかいたとしてもとっても不誠実で、就活もせずに渡米してしまったので将来どうやって食べていけるかわからなくて途方に暮れて、それでももうしばらくここでこうしていたいと思って生きていた。

そんな自分勝手でエゴにまみれた不安定な毎日のなかで、サザエさんはわたしにとって、安定した愛と思いやりにあふれた、すこやかで、幸福で、不安のない暮らしの象徴だったのかもしれない。

登場人物の顔ぶれがほとんどかわらない、時間の経過がほとんどない、アニメのなかの家族の幸福な暮らし。
いま、いまを積み重ねていく世界中のあまたの日常のなかで、わたしが、わたしの価値観においていちばん幸福で幸運だと思われるところだけを見たいように見ている。そんな感じ。

***


わたしはあのころ、まさに「仰げば尊し」的な価値観のなかにいた。
身を立て名をあげ、走り続けたいと思っていた。
それが人生だと思っていた。


しかし、それから13年経ってみると、いまわたしがいちばん守りたいのは、誰かとわかりあってわかちあって暮らし続けていける、そういう何気ない、でも維持するのはいちばん難しい毎日である。
人生において身を立て名をあげられなくても、何者にもなれなくても、そこさえ守り抜ければ、どうやら幸福なようなのだ。

そう思ういま、わたしはサザエさんを暇さえあれば見る、という生活をしていない。

それは、わたしのそばに、すくなくとも週に一回、日曜の夕暮れどきに笑い合えるひとたちがいるからかもしれない。

それはとても幸運で、幸福で、気を抜いたらこぼれ落ちて行ってしまいそうで、いまはサザエさんを見るたびに、そういう喜びと不安が入り混じった感情を抱いている。

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