#9 ただただ辛いこともあるよね
みなさん、お久しぶりです。
前回投稿からだいぶ開きましたが、いかがお過ごしですか。
………
私はと言いますと、それなりに忙しく、充実(?)した日々を過ごしていました。
ただ、#7.8を読んでいただけると分かるように、メンタル荒れ荒れ期から少し時間が経ち、色々思うことは常日頃ありました。
そして、今の率直な感想としては、「なんとも言えない」そんな気分です。
落ち着いたのか、はたまた諦めているのか、落ち込んでいるのか。前を見ているのか、過去に戻りたいのか。
自分でもよく分かってはおりません。
なので、ここで一つ自分の思考整理も兼ねて(noteはそれしかしてない)、今の心境をあるがままに書き連ねようと思っております。
1.正直辛いです。
弱音を漏らすことを許してください。
とても辛いのです。
私のXを見てくださる方はご存知かもしれませんが、私の最近の投稿はどこぞの哲学者?心理学者?みたいなものばかりです。
「生きるとは楽しむこと」
「全てを受け止めよう」
「立ち止まったって良い」
といった言葉を日々投稿してます。
ただ正直なお話、これらの言葉は全て自分自身をそう納得させようと必死に紡いでいる言葉でしかありません。
ただただ辛いのです。
何の為に生きるのかわからなくなることばかりです
なぜ自分はこんなにも辛い状況に置かれているのか
必死に頑張ってはいます。
でも、誰も理解はしてくれない。
そんな負の感情だらけなのです。
愚かですよね。
わかってます。
はい、今自分にあるものが見えていないことも心のどこかでは分かっているのです。
私には常に一緒にいてくれ、何かあったら相談に乗ってくれる家族がいる。日々の愚痴や相談をあるがままに相談できるそんな親友、友人もいます。(もちろん色々言われたりもします)
衣食住にも困ってはいないし、明るい未来だって描けるだけの時間のゆとりやそれなりの体力・スキルもあるはず。
なのに、辛いんです。
行動しなくてはならないから。
将来の幸せのために今を踏ん張るのが辛いんです。
2.結局は皆んな自分のことしか考えていない
辛さの一番の理由はこれかもしれません。
私自身がそうであるように、私の身の回りにいる人は皆んな自分のことしか考えていません。
家族だって友人だって、相談には乗ってくれるけれど、みんな結局は「自分が幸せになるかどうか」そのことに意識が回っています。
それが無性に悲しくなります。
かつての私は
「みんながお互いの幸せを心の底から祝える」
そんな世界を夢見てました。
でも、現実は違うことに最近気がつきました。
みんな自分と比較して「自分の幸せを噛み締める」ための材料の一つとしてしか見てくれない。
利用することしか考えていない。
それが悲しくてなりません。
………
実は、私は最近、とある裏切りを経験しました。
それからですかね。
人を信用するのが怖くなりましたし、自分自身も人を裏切ることに対して躊躇を感じなくなりました。
所詮、人なんてそんなもん
そうやって折り合いをつけることでしかその裏切りを受け入れることができなかったから。
最初は良かったのです。
ですが時間が経つにつれ、私の首をどんどん絞めてきます。
この人は私を利用しているのか
あの人は私をどう見ているのか
そんなことを考えるのが怖くて、他人に対して深く考えることをやめたのです。
ですが、そうなると私自身が孤独になることを指すのです。それが寂しくて、辛くて、生きることを時たま嫌になる程、しんどくて仕方がありません。
3.他人は自分を映す鏡
「他人は自分を映す鏡」と言いますよね。
その通りかもしれません。
その過去の裏切りだって私が蒔いた種ではあるのかもしれません。
私が何より人を信用してなかったのかもしれません。
ただ信用しようと当時努力をしました。
でも、結果的には都合よく裏切られました。
……
それが辛かった。
信じたかったのです。
一度くらい人を心の底から。
頼ってみたかった
信頼したかった
のに、裏切られた
ですが、最近その自分の認識の過ちに気付きました。
一方的に利用しようとしていたのは他の誰でもない、私自身だった。
そのことにも気づきました。
いや、正直わからないです。
当時の私は必死だったから。
何を考えていたのか、今の自分とそう変わりはありませんが、過去の私とは違う考え方をする自分になったことだけは確かです。
とうとう、自分が背けてきたものと向き合う時が来たのだと思っています。
「他人なんかどうでも良い」
「自分だけが幸せならそれで良い」
そう考えているのは他人ではなく、私自身なのかもしれない。
そう思うから、そういうふうにしか世界を見れないし、周りにもそういう思い込みをしてしまうのかもしれません。(少なくとも私の周りは似たもの同士なので、身勝手な人が多いです)
そんな醜い自分を受け入れるのか、はたまた排除すべきなのか。
自己防衛本能が強くプライドが高い私にとって、
人から傷つけられたり
人のご機嫌を取ったり
人から貶されることは何よりも耐え難いことなのだと最近気がつきました。
そんな私も、最近まで自分がプライドが高い人間であることにすら気づいていなかった。
呆れますね笑。
だって、長いこと、私は自分の私利私欲を満たすような、欲深い人間、自分のことしか考えていないような人間が大嫌いでした。
ですが、それはきっと誰よりも欲深い自分自身のことだったのかもしれません。
人は誰だって周りから評価されたい。
愛されたい。
尊重されたい。
そうなんだと思います。
そして、それは悪いことでもないのです。
なぜなら皆が持っているものだから。
そんな気持ちがあることを受け入れてあげよう、今はただそう思います。
承認欲求だって悪いことじゃない。
巷じゃ悪いことのように、恥ずかしいことのように言うけれど、最近の私は決して悪いことだとは思わなくなりました。
自分を愛することや自分が良い思いをしたいと思うことは決して悪いことではないと思っています。
だからこそ人は頑張れると思うから。
4.さいごに
私の願いはこれでした。
私は自分の力で幸せになりたい。
とどのつまり、自分だけでも幸せになりたい。
そんな愚かな気持ちと私は向き合っていく努力をしているからこそ、私は今辛い。
そして、私が幸せになるためには、私は他の誰よりも誇れるものを持たなければならない、そんな汚い欲望にまみれているのです。
私は一体何がしたいんでしょうか。
自分がよくわかりません。
「与える」努力をしろ。
よくそう言いますよね。
言われてみれば、私は誰かに「与える」ことをしたことがあるのでしょうか。
私はいつだって一方的に与えられる人生を送ってきたから、与え方がわかりません。
正解を知らないのです。
与えることに抵抗することのない人間になりたい。
頑張りたい。
でも、本音は頑張りたくない。
今の自分をそのまま受け入れたい。
愚かな欲望を持っている自分をそのまま受け止めたい、そう思ってしまいます。
……
それでは、長くなり失礼しました。
話が飛んでしまい、大半読みづらかったと思います。
私の率直な思いを書きました。
気分を損ねた方は申し訳ありません。
私でもよくわからないのです。
だから、ひとまずおやすみなさい。
今日もお疲れ様です。
明日も無事に過ごせるように祈ってます。
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