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ええかげん備忘録「養老孟司さん」

こんばんは。
タイトルに「養老孟司さん」と書いてはみたが、
ご著書を全く読んでいない。
みなさんは読まれたろうか。バカの壁。

2003年の発行なのですね。二十年前。
私は何をしていたか。
ジャズマン「マイルス・デイヴィス」のオリジナルCDコンプリートを
目ざし、寝床でもヘッドホンつけて聴いていたかと。
これもひとつのバカでしょう。

出てきたYouTubeと適当な選択で動画を眺めてましたが、
どういった流れか「養老孟司」さんのチャンネル。

いいかげんなメモしか残ってませんが、備忘録。

大脳辺縁系が壊れた人が、その状態を言語化する。
『自分が水になったように感じる。』
(行き着くところは、宇宙との一体感。)

「私」とは何か?
「原始の私」とは、案内板と、矢印。
空間マップと、現在どこにいるかを示すもの、だけ。

臨死体験では、自分の身体と、それを見ている自分がいる。
「自分」とは一人じゃない。(複数いる)

右脳と左脳をつなぐ太いつながり「脳梁」が断絶すると、
右脳と左脳は別々の考え方をするので、行動も別々になる。
結果、左脳が右半身を動かすが、右脳は左半身を使い、
左脳の考え・行動とは、逆の行動をとったりする。
(何もしていないことになる。)

言葉(文字)とは、
目で見た意味合いと、耳で聴いた意味合いが一致する現象。
目は、光あるところの現実映像を「瞬間」的に切り取る。
その瞬間とは「永遠」でもある。
耳は、振動を感じる。目と耳の役割は異なる。
にもかかわらず、言葉(文字)という共通のものがある。
目の情報と、耳の情報を、脳で統合するために、
「時間」と「空間」という概念がある。
「時間」は、「目」が、「耳」のことを理解するための概念。
「空間」は、「耳」が、「目」のことを理解するための概念。比喩。

走り書きメモ。動画見てる時は、知らないことを教えてもらったなぁ、
ということで、脳が「イヒッ💡」と音を立てていた。

少し前に「メッセージ」というSF映画を見たんですけど。
宇宙人が出てきます。で、その宇宙人の「時間」に対する認識と、
地球人の「時間」に対する認識が違う、
というようなことを主人公が言って、
それ以上つっこんだ話にはなってませんでしたが、気になった。
今、「時間が流れているように感じているけど、本当のところは流れてなかったとしたら、この今は、どういう状態なおか?」とか考え、
考えても、よく分かりませんが。
イタリアの理論物理学者が『時間は存在しない』という本を
出されてるのですね。。。

あと、少しだけ記憶に残っていた。
人間関係の中だけで「幸せ」を求めてしまうと、
人間関係のちょっとしたことで「不幸」にもなってしまう。
現代人には、「花鳥風月」への思いがない。
幸せを「人間関係」と「自然」へ、半々で求められれば、
人間関係で、少しギクシャクしても、
「自然」に救われることがある。

私が、川辺の水鳥を愛でるのは、まさしくこれですね。
太陽は、花鳥風月から外れるかもしれないが、
私は、朝日にも救われる。

うん、いいですね、養老孟司先生。

それでは、お休みなさい。🌗