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備忘録「女性・ネイティブ・他者」トリン.T.ミンハ 著(1995 岩波書店)
千夜千冊:1826夜(意表篇)
本の字面は追ったが、正直、よく理解出来なかった。
それなので、note にまとめようとしたが、出来なかった。
夏頃読んだ。秋が過ぎ、今は冬。今日は、大晦日。
訳者あとがきの抜粋だけでもしておこう。(訳者:竹村和子)
アイデンティティからロケーションへ
トリン・T・ミンハ ー、ヴェトナムに生まれ、育ち、
ヴェトナム戦争が激化した1970年にアメリカに移りー、
大学で比較文学、音楽(作曲・民族音楽・応用音楽)を学びー、
77年から80年まで、セネガルの首都ダカールの国立芸術院で音楽を教えー、
本書は、人類学、フェミニズム、ポストコロニアリズム、
ポストモダンの批評理論、表象論などさまざまのカテゴリーを横断し、
それらの権力の磁場に絡めとられないように
(それがどんなに既成の権力構造を転覆させる意図を
もつものだとしても)、たくみにすり抜け、
そして本書をどの分野に分類するか、作者をどう同定するかという、
アイデンティフィケーションの行為そのものに、強い疑義を発する書きもの
フェミニズムのなかの女
(・・・)
女性の解放が、その社会での中心的人種・民族・階級・性志向をもった
女性の解放だけにとどまり、少数派の女性の解放は無視される場合が多い(リベラル・フェミニズム)。
(・・・)
分離主義を取る場合も、ユートピア的未来像のなかに、先の人種・民族・
階級・性志向の上での、女のなかの差異を消してしまう危険性がある。
(・・・)
対立項を打ち立てたうえでの解放運動は、
男根中心主義やロゴス中心主義の亜流にすぎず、
真の女の声の発露にはなっていないと弾劾する。
(・・・)
あらゆる形の二項対立を基礎づけている既存の「言語」の桎梏を断ち切ったものでなければならず、言語自体を解体する革新性を秘めたものとならなければならない。それは、無、不在、肉体、瞬間に、声を与えることである。
(・・・)
他者表象とトリンの書きもの
(・・・)
『ルアッサンブラージュ』のスクリプトの冒頭に象徴的に示されている。
私は何かについて語ろうと思わない
ただその近くに寄り添って、語りたいのだ
「おばあちゃんの物語」は、
おばあちゃんからお母さんへ、お母さんから娘へ、娘からその娘へと、
彼女たちの「身体」のリズムに合わせて伝えられる
(・・・)
自分のなかの異種混淆性、自分のなかのリズムと響きあう語りなのだ。
だから彼女たちが語る物語は、
「言語を当たり前のものとするのを拒絶する言語」という意味で、
「詩」なのだ。
言語の抑圧操作を言語によって解体していこうとするトリンの試みは、
難解という印象を与えるかもしれない。
(・・・)
本書は、強力な書物だ。
強靭な批判力と緻密な理論に基礎づけられ、
かつしなやかに既存のイデオロギーの取り込みから身をかわす
柔軟な書きものである。