できるけどやらない

私は若者支援をするNPOで働いている。この団体に入ってもう1年2ヶ月が経った。新しくスタッフが3人も入ってきて、私は先輩になってしまった。

先日チームで大きな会議をしたのだけど、キーワードの1つに「できるけどやらない」が上がった。
これは大切だ、と思った。

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①できないけどやる
②できないからやらない
③できるからやる
④できるけどやらない

①はツライ。できればしたくない。誰かにお願いしたい。
②は違う。やるべきことならやった方がいい。
③が自分の仕事に多いとラクだね。
④は線引きが難しいけど、とっても大事だね。

私はきっと②③④が多くて、他の人よりも④の割合が少し多いかもしれない。
「できるけどやらない」ことが、結構ある。

それを「バウンダリー(他者と自分との境界線)がしっかりしている」で片付けられるのは気に食わないんだけど、できることとできないこと、やることとやらないことの線引きは割とはっきりしている方だと思う。

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例えば、1人の話を永遠に聞き続ける、とか。

私は(嫌だけど)きっと聞き続けられる。でも、それが本人のためになるだろうかと考えるとそうではないからやらない。途中で切ったり、「今ずっと1人で話してるね」と、伝えたりする。

エゴだと言われればそれまでだけど、それが若者たちにとって良いことだと思ってやっている。私なりに1年2ヶ月かけて少しずつ作り上げてきた基準に沿って、若者と接している。私の行動によって、今や未来の若者に不要な悲しい思いをさせたくないから。

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あとはあだ名で呼ばない、とかもそう。
別に初めましてでパッとあだ名を決めて本人が喜ぶ呼び方をしてもいいし、なんならその方が仲良くなるスピードは早いのかもしれないけれど、うーん。

呼び方に頼らなくても、関係性を築ける力が自分にはあると、そう思っているのかもしれない。
奢り、慢心、プライドと思われるかもしれないけれど、いつも近くで見てくれている人たちには分かってもらえると思う。あだ名がなくても、私は人と仲良くなれる。(もちろんあってもいい。むしろ私自身はあだ名で呼ばれたら嬉しく思う。矛盾かな。)

だから私は名前で呼ぶ。今までも、これからも。

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