自分と“限界”の閾値が異なる人


限界について、ふと感じたことがある。
言い換えれば、その人の容量?と言ったりもするのかな。

それぞれの人が持つ容量は異なるから、キャパオーバーになるタイミングも異なって当然のことだと思う。

だけど私が問題だと思うのは、自分よりも容量が低いと思う相手、つまり、“自分よりも限界を感じやすく、容量がない”と感じる人と出会った時にどう対応するか、ということ。

文章にしてみると、なんだか人を見下しているようで少しもやりとしてしまうのだけど、そのように感じる場面が日常に在るのは確かで。

世の中様々な人がいる。
社会に出て感じたのだけれど、年齢を重ねたから人生の渋みがでるというわけでもないし、年齢を重ねたから器量がよくなる、というわけでもないらしい。

そこで私は困ってしまった。
自分よりも一回りも歳上の上司のミスをカバーする瞬間。もう限界だと弱音を吐く新人さんの話を聞く時。

こんなこともできないのか、どうしてこの人は自分の世界のものさししか持っていないような言い方をするのだろう、こんなもやもや感情を抱いていた。

だけど気がついた。

自分よりも目上の先輩や、組織のトップがイライラしているような時、何を思って辛く若手に当たるのか。
それは、“自分よりも努力をしていない人が弱音を吐いている”ことに対する怒りからくるのではないか、と。

特に仕事をしていると、どうしても余裕のない場面に陥ることが多い。余裕がない時にこそ人の本来の性格が出るとよく言うけれど、余裕がない時にイライラしてしまうのは、相手の自分よりも劣っている、と思うところに注目してしまいやすいからじゃないのかなと。

言ってしまえば、弱いものいじめなのかな。
自分は相手より優れていると思うことで自分を正当化する、と言ってしまえば言い過ぎなのかもしれないけど、そのような心理なんじゃないかな、と思い始めた。

後輩の弱音を素直に受け止めてあげられないのは、私自身がまだまだ未熟だから。

目上の人が自分に辛く当たるとき、とても嫌な気持ちになるけれど、裏を返せば、自分も似たようなことをしてしまっているのではないか。

後輩の愚痴を聞いて寄り添えない自分の未来って、あんまり明るくないのかなとも思う。

本当の意味での強い人
本当の意味での優しい人

そういう人って、きっと他人への優劣にポイントを当てて生きてない気がする。

常に自分と向き合って、どんな時も思いやる心を持っている。

私も本当の意味で強くて優しい人になりたい。


ここまで読んでくださりありがとうございました。

ぽかぽかの昼下がり、ぼんやりとこんなことを考えながら掃除をしています。

今日もみなさんにとって素敵な1日になりますように🌱

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?