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凡人なら大卒資格はゲットした方がいい

 大学の同級生に会ったとき、学者を目指してる人でしたが、今の大学の先生の役割は、「高校の生活指導の先生みたいだ。」と言っていました。

 今の大学は、「面倒見の良い大学」というフレーズもあるくらいで、大学が学生の面倒を見るというのが当たり前のようです。

 私が大学に入った頃は、「大学に入ったら、大人と同様。自分の面倒は自分で見ろ。」という風潮でしたから、昨今の変化には、大学生が成熟できない時代の雰囲気があるのでしょうか。
 ※私が大学生の頃は、成人年齢は20歳でしたから、通常の大学入りたての人は、法律上の成人(=大人)ではありませんでした。

 とはいえ、大学には大学の価値があるとは感じています。

 私たちが大学生の頃より、今の大学生は、きちんと授業に出席し、きちんと課題をこなしているのは、本当のようです。
 ※この2~3年の感染症禍の中、物理的に出席できない状況はともかくとして…。

 「単に授業に出るくらいなら、本を読め。」と、大学の先生に言われて、私などはそれを文字どおり実践し、授業には後ろの方の席で出席し、そこで本を読んでいました。
 ※先生たちは、そのことを認識していましたが、注意されることもなく、むしろ、尊重するような風潮でした。

 私は、大学は受け身で勉強するところではなく、主体的に問題を発見するところだと思っていますが、今は時代が違うんですかね。

 とはいえ、現実問題として、大学卒業には、単にお金には換えられない一定の価値があります。

 私は、ホ○エモンさんが、大学中退した後、お金ばかりを追求した起業家になった背景には、大学を卒業できなかったこと自体があったと感じています。

 大学を卒業できなかった代償として、お金ばかりに執着するようになったように見えるんですね。

 もし、氏が大学を卒業していたら、あれほど過激な立ち回りはしなかったであろうと考えてしまうのですね。まぁ、凡人の私には、偉そうに語る資格はないのですが…。

 大学卒業には、具体的にどれだけ勉強したかは人それぞれでしょうが、一定の研鑽を積み、卒業までこぎ着けたという結果が伴っているものですから、そこには、すごい意味があるものだと考えています。
 ※卒業まで結構苦労しましたから、私の場合、余計に、大学卒業の価値について、そう感じてしまうのでしょうね。

 今の学生がいくら以前より真面目になったとはいえ、途中で、残念ながら、学業未達になる者もいるはずなんです。

 でも、卒業に苦労した者として、学業未達になりそうな人、心がいささか折れかかっている人に言いたいのですね。

 学生は、お金(=授業料)を払う方ですから、お客様なんです。

 お客様ということは、手厚くもてなされているんです(今の生活指導的・過保護的な大学の風潮を見ればわかります。)。

 それが、社会に出れば、一転、お客様をもてなし、わがままを聞く立場になるのです。

 どちらが楽かは直ちに理解できましょう。

 ですので、先に例に出したような傑出した天才でもない限り、-通常の凡人ならなおさら-何としても、大学卒業の資格をゲットするように、うまく立ち回ってください。

 大学生の楽な立場もしのげないようでは、社会はもっと厳しいですが、その厳しい社会においても、大学卒業の資格は、まずまずの水戸黄門の印籠代わりになりますよ。

 大学卒業資格をゲットせよ!! 悪いこと言わない、凡人ならなおさらですよ。

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