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自分のところに来た人は“+”して返す

 今から四半世紀以上前に亡くなった母は、大変、けんかっ早く、気丈な人でしたが、その気性の荒さと掃除を全くしないことが、おそらく遠因で、がんで長い闘病の末に亡くなりました。

 ただ、けんかっ早いのは確かなんですが、恐ろしく社交性が高く、田舎から嫁いで来るや、あっという間に、地元の女性の親分格になってしまいました。

 母の社交性の高さは、そのポンポン飛び出る(そして、しばしば攻撃的な、ただし、人を魅了するような側面も持つ)会話力もさることながら、経済感覚は高いものの、全くケチなことがなく、料理や金品の振る舞いもかなりなものでした。

 私は、母と違って、ほとんど怒ることがありませんが、小さい頃からそれこそ大学時代まで、可愛げのある子だったんでしょう、しょっちゅう、友達が何人も家に立ち寄る日々でした。
 ※「木下君ちは、塾でもやっているの? 自転車が連なっているけど…。」と、近所で言われるくらいでした。

 そういう友達連中に、母は、気前よく、手料理を振る舞っていました。

 家の中は、はっきり言って、掃除をしない母のことですから、きれいとは言えませんでしたが、逆に、その方が、少々、荒らしても構わないくらいの感覚で、みなさん、お越しになられていたのではないでしょうか(^^)。

 今でも、私のベットのずり落ち防止の柵に、友達が何人も座って、ギシギシやっていたのを見て、母が「すずめのやどり木だね」と言っていたのを思い出します。

 母の社交性の高さには、ひとつのヒントがあります。

 「家に来た人には、手ぶらでは返すな。何か上げなさい。何にもなかったら、マッチ箱ひとつでも上げなさい。」
 ※マッチ箱、というのが、いかにも「昭和」な感じですね。今どき、マッチを使うのは、仏壇に線香を上げるときくらいになってしまいました。時代は流れました…。

 私が、家で留守番などしていると、もう来客がひっきりなしなんです。

 当時は、玄関にカギはかけていませんでしたから、勝手に玄関を開けて、のぞく始末です。すごい時代でしたね。

 そんなこともあったんでしょうか。私が、大学に受かったときは、額にして、20~30万円分の図書券をいただきました。
 ※図書カードではありません。当時は、紙の図書券でした。

 母の長きにわたる闘病時には、時代背景もあったのかもしれませんが、まぁ、たくさんのお見舞いをいただきました(多分、優に百万円を超えると思われます。)。

 母が亡くなったときの葬儀には、単なる専業主婦のおばさんにもかかわらず、何百人もの方が参列していただきました(これも、香典の額が半端じゃなかったです。)。

 いずれも、母の親分肌の人柄だけではなく、「自分のところに来た人には、必ず“+(プラス)”して返す」という、気前の良さが大きく影響していたと思います。

 それが、母の死後、母と病室が同室だったお見合いおばさんの紹介での私の縁談につながり、今の結婚に至っているのですから、何が何につながるかなんて、事前にわかったものではありませんよ(^^)/。

 昔からの言葉に次のようなものがあります。
「積善の家には必ず余慶よけいあり」
※善行を積み重ねた家には、必ず子孫にまで幸福が及ぶということ。


 私は、母のようなけんかっ早さは全くありませんが(ほぼ、怒りません。)、まずまずの社交性はあり、今でも、食事会などの設定は自らしますし(昔からですが、端数は持ちます。)、中元・歳暮も欠かしませんよ。

 少し“+”して相手に返す、大事ですよ。

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