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アニメ『ゆゆ式』は、いかにして「ノーイベント・グッドライフ」を美しく演出したか?


『ゆゆ式』は、傑作「日常系アニメ」だ!



ゆずこ・縁(ゆかり)・唯の魅力あふれる3人から成る「情報処理部」が織りなす軽妙な会話劇と、彼女らを取り巻く世界の優しい味わい。本当に面白いんですよ……

何が良いって、本作には僕が思う「日常系」らしさが高純度で結実しているのです!台詞・キャラクター・空気感、そして何よりも演出!

台詞回しや掛け合いの面白さといった、原作由来であろう素晴らしいポイントに加え、とにかく映像面の仕上がりが際立っていました。もう、生半可じゃない!!!

3話のウォータースライダー作画、えげつない!!


本作の魅力は何か?と問われれば、やはりまず挙がるのは「キュートなキャラクター達による会話劇」でしょう。

日常系っぽい温かさにあふれながらも、コミカルさに振り切った瞬間も多い独特のテンション感はまさに唯一無二ですから。

しかしそういった会話の面白さは、原作でも同じ事。いくら声優さんによる演技のブーストがあるとはいえ、完全にアニメ版独自の面白さとは言い難いかと。


日常系アニメを語るというとき、多くの人はキャラクターの可愛らしさや台詞、設定などに集中しがちな印象があります。あとは批評クンぶったオタクが「キャラの自宅が高級すぎる」と難癖つけたりね。

しかしそれって本当に「日常系”アニメ”」の魅力を語り尽くせているのか?と、僕はずっと疑問に思っていたんですよね。

「日常系」を語るなら、それでいいんですよ。
でも「日常系”アニメ”」を語るなら、その程度ではいけないでしょ!


アニメーションを語るというのに作画や演出から成る「画面」を語らずにいられるか!!という話なんです。

音の話をしない音楽評、文章に触れない書評は退屈ですから!
アニメの感想だって映像の話をどんどん語っていくべきだと思います。

というわけですので今回の記事では、主にキャラクターではなくアニメーション演出を軸に語っていきたいと思います。


ではTVアニメ『ゆゆ式』の演出は何が凄いのか?

それは、一般的な萌えアニメとは一線を画す程ストイックに「日常系」を演出しようとする演出スタイルだと考えます。

もう1歩深く切り込むなら、本作のテーマである「ノーイベント・グッドライフ」を徹底して追求した、研ぎ澄まされた演出が凄いんです。

日常を揺るがすような事件は起きない。それでも心地よい日常。そんな作品世界を的確に美しく演出しているのです。


本作の演出スタイルを敢えてふんわりと評するならば、「作品世界とキャラクターへの品の良い演出的な目配せ」とでも評したい。

僕はアニメにおいてこれこそが、「日常系」の手触りを生む鍵だと感じています。


そしてこうした「鍵」を『ゆゆ式』はシナリオだけでなく映像面でもグッと握りしめて、最終回まで離すことがありませんでした。

キャラクターと作品世界を尊重しながら描く丁寧さが、フィルムの端々に滲んでいた。

そう、このアニメは徹底的に「日常の感覚」を描く意識が張り巡らされた、芳醇かつ美しいアニメーションなのです!!



ところで「キャラクターを尊重」というと、アニメファン的にはやはり『けいおん!』『聲の形』などで監督を務めた大天才・山田尚子の発言を想起する人が多いのではないでしょうか。

「アニメーションで描かれた作品世界の中を実写のカメラで撮影する」意識で描かれる精緻で圧倒的な山田監督の演出力は、まさに世界レベル。

そんな彼女がキャラクター・作品世界について語っている2つの発言をピックアップしてみましょう。


わたしは、キャラクターが観てほしくないときには観せないでおこう。周りの空気で観せようと思うんです。(中略)恥ずかしがっていたり、悩んでいたり。

『アニメスタイル003』p24より 太字は引用者による 「観」の誤用は原文ママ


(実在感を生むのは)キャラクターとその世界を(愛するということ)、ですね。(中略)興味本位で撮らない。

『キネマ旬報 2024年8月号』p23より 括弧内・太字は引用者による


前者は2013年『たまこまーけっと』が放送された時期の記事で、後者は今月(2024年8月)公開された記事での発言。

この2発言の間には10年近くの月日が経っている訳ですが、山田監督の芯がひとつもブレていないことに驚かされますね。

ちなみに山田監督の最新作『きみの色』は8/30公開!!!ぜひ劇場で観てね!!!!!!


閑話休題。


山田尚子が語る「実在感」こそ、日常系アニメを映像面において日常系たらしめる要素のひとつだと、僕は思います。

先ほど自分が使った「日常の感覚」という言葉は、実はアニメ『ゆゆ式』監督である「かおり」さんが使った言葉なんですが、これも「実在感」を指す言葉であろうと。


ちなみにアニメにおける「日常の感覚」「実在感」を生む演出とはどのようなものか、この記事では「絶対これです!」と言い切る(ひとつの答えを出す)ことはしません。

あくまで演出は作品らしさを活かすためにあるもの。ならば作品によって「どうしたら日常の感覚が出るか?」の解答は違って当たり前ですからね。



私も『ゆゆ式』にて初めて監督を務めた「かおり」さんの演出スタイルと、山田監督のスタイルが似ているとは、決して思いません。

似ていると言えなくも無い「実在感」を求めている両者ですが、やはり(あるいは当然?)そのアプローチは違うのです。

カット毎に細かく被写界深度を設定することで実際のカメラがもたらす効果を演出に昇華する山田監督と、殆どのカットでパンフォーカスが採用されている『ゆゆ式』とでは、もうまるっきり対極とすら考えられますからね。

隣り合っている二人のカットであっても
ピント意識を欠かさない山田尚子『リズと青い鳥』
一方『ゆゆ式』は奥行き感に満ちたカットでも
モブにまでピントが合っている(=パンフォーカス)


上の図を見れば、その違いは一目瞭然でしょう。『ゆゆ式』は出崎監督ライクな「モブを簡略化して描く手法」を用いており、決してフォトリアルを志向している作品ではないと分かりますから。


しかしここでの比較に、優劣を付ける意図はありません。
むしろその「差」に価値があるとすら思うのです!

確かに山田監督の映像は比類がないほど美しい。ですが、同時に全てのアニメがそんなリッチな処理を選択できるわけがありません。

『ゆゆ式』には『ゆゆ式』なりの美学がある。
作品によって、どのように「実在感」を醸し出すかは異なります。

その演出美学を選択することで、制作陣が持つリソースを活かした面白いアニメが作れるのであれば、こんなに素晴らしいことはないと思います。





ここで少し、ここまでの話を整理してみましょうか。

ここまで自分は『ゆゆ式』は「作品世界とそこに住むキャラクター達を尊重する」演出スタイルが映像に現れているアニメであると語ってきました。

そしてこうした気配りこそが「日常系アニメ」らしい演出なのだと。

ここからはその「世界とキャラを尊重する」演出スタイルについて、より具体的に語っていきたいと思います。




『ゆゆ式』における「繋ぎ(トランジション)」の美学



カットとは、カメラが動き出してから止まるまでの映像を指します。
これが連なることで「シーン」が構成されるのです。

身近な例として文章で例えると、「カット」が「単語」

それが意味のあるひとつの連なりとなった「シーン」が、いわばひとつの「文章」……あるいは「段落」といったところでしょうか?

その「シーン」がまた連なることで、「シーケンス」が構成されて「作品」となる。文章のように映像も、こういう風に構成されている訳です。

↓上図はこちらのサイトより引用させて頂きました。
https://kotatsu.info/2022-06-09-movie-terminology/


ここで考えてみたいのは、如何に「カット/シーン繋ぎ」が重要かということです。文章においても接続詞ひとつで、読みやすさって変わるでしょう?

それに文章の例えを引っ張ると、どこで段落分けするか、段落間のブリッジをどうするかも大事。

個性あふれる作品を魅力的に演出するにあたって、「繋ぎ」は重要な要素なのです。


カット繋ぎひとつで映像に強烈な気持ちよさが生まれたり、作品の色がグッと分かりやすく提示されたりする。

そういったカット繋ぎの中でも、特にポップかつ便利であるが故に多用されがちなのは「ワイプ」ではないでしょうか?

画面を拭き取るようにして場面を転換するこの繋ぎは、作品やシーンによって個性がよく出るため、注目してみると楽しいんです。


例えば僕が過去の記事でも触れた『お兄ちゃんはおしまい!』OPにおける、手で画面を拭き取るようにしてカットが変わる「ワイプ」のトランジション!

ただ単にさらりと次カットへ繋ぐワイプではなく、作画によってぐぐぐ……と敢えて「タメ」させる快感と言ったら!

この「繋ぎ」は単に気持ちいいだけに留まらず、本作の「作画で魅せます」というスタイルを一撃で端的に表した素晴らしいトランジション。


『おにまい』の例は原作が普通の漫画でしたが、ではより『ゆゆ式』に近い、4コマ漫画を原作に持つアニメにおける「ワイプ」はどうでしょう?

ここでは2010年に放送されたTVアニメ『B型H系』におけるワイプを参照しながら、語っていきたいと思います。
なんで数ある4コマ漫画原作アニメの中でコレを選んだかと言うと、シンプルにえっちで大好きだからです!!!!



さてさて原作が4コマ漫画である場合、往々にしてアニメ化するとひとつの問題が発生します。

それは本編中、短いスパンで明確な「オチ(=時間軸の断絶)」部分が散見されてしまうこと。

オチ毎に作品世界は一度終了するといっても過言ではありませんからね。
ぶつ切りのエピソードを繋げ合わせる構成は、下手を打ってしまうと視聴者にパッチワークのような印象を与えてしまうかもしれません。

そこで多くの4コマ原作アニメでは、「オチ」によって断絶された印象を与えかねない各会話シーンを、ポップなイメージアニメーションによるワイプで橋渡ししています。

オチのカットがこちら
そこからタイトルロゴが画面に入ってきて……
文字の中にある隙間から次カット(学校)へ。
スムーズに時間・空間を飛び越える事が出来ていますね!


こうしたワイプのアニメーションは王道っちゃ王道の作りと言えます。
作品毎にマイナーチェンジすることで個性が出るとは言え、取り立てて革新的な演出ではありませんからね。

しかしやはり「王道」として残っているのには理由がある。
この「拭く/上書きする」映像の運動が、とにかく心地良いんですよね。


4コマという短い単位を無理なくつなぎ合わせながら、作品ごとにワイプアニメーションの内容を変更することで、作品の個性も出る。

オリジナリティを出しつつ綺麗にシーンとシーンを繋ぐことで「作品」としての個性が洗練され、よりアニメ作品としての「売り」をダイレクトに視聴者へ伝えることが出来るわけです。

これは『けいおん!』1話より。
シーンがオチたら場面を柄のイメージで閉じて…
ポップなハート型を使って新たなシーンへ!
時間の跳躍と場面転換を同時に、サラリとこなします。



では「ワイプ」について理解が深まったところで、『ゆゆ式』の美学あふれるトランジションの凄さに迫っていきましょう。


『ゆゆ式』におけるシーン転換の特徴、それは…………

徹底的に「飾り立てない」こと。


より具体的に言うならば、「ワイプ繋ぎを使わない/避ける」というのが適切かもしれません。

『B型H系』『けいおん!』のようにポップなワイプも使わない。
あまつさえ先ほどの『おにまい』OPカットのようにド派手なワイプなんて、当然ナシ!


とにかくシーン間の繋ぎがシンプルなんですよね。これは貶めるとかじゃなく、シンプルが故の美があるということ。

あれだけ情報処理部の面々は華やかで「きらら」らしい会話を繰り広げているのに、映像は反比例するように抑制が効いているコントラストの面白さが光っているのです。



ちなみに、かおり監督は公式ガイドブック上で「原作の4コマをどう繋ぐか」について「(基本的に)ネタとネタの間はシチュエーションで繋いだ」(p117)と語りました。

本作はシーンの大半が「部室・教室・唯ちゃんの部屋」におけるシチュエーションで展開されています。

ちょくちょく外出やイベントもあるとはいえ、基本はたったの3つ!舞台となる場所が極めて制限されていることがわかりますよね。


こうしてストーリーが展開されるシチュが限定されていればいるほど、基本的にアニメは強固な時間・空間の連続性を得ていくものです。

敢えてワイプのように派手で、空気感を壊しかねない演出を使わなくとも良いんですね。

多くのシーンでシチュエーションの連続性が保たれているため、ショートエピソードを繋げたアニメ特有の「ツギハギ感」がもたらされづらいのです。


これに加えて言うならば、『ゆゆ式』のシンプルで飾り立てない演出スタイルはカット繋ぎに始まった話ではありません。

ギャグシーンでの目や表情のデフォルメ・変形を派手に用いることも、かなり抑えているように感じられます。

これは元々可愛らしいキャラデザである故に、ちょっとしたデフォルメなら「表情変化」の範疇で済んでしまうということなのかもしれません。

このように、目のデフォルメをする程度に抑えられています


またコミカルなシーンでは原作を意識して漫画的な効果線・イメージBGこそ用いられるものの、基本的に全編通じてパラやフレア(※1)を感じさせるカットは極めて少ない印象です。

※1「パラ」は画面の一部を暗くする・照り返しっぽい色を追加する等の作業。色つきのフィルターを画面にかけているのを想像してみると分かりやすい。

「フレア」は強い光にカメラを向けたときに起こる、光源の周辺が白飛びしたようになる効果のこと。



昨今はこうした撮影処理(※2)が画面に大きく貢献する作品が増えた印象なので、今観ると『ゆゆ式』の極めてシンプルな画面は放送当時よりもクールに映るのかもしれませんね。

※2 撮影とは各部署から上がってきた素材(原画や背景など)をひとつにして放送される画面に仕上げていくセクション。そのときに特殊な画面効果の処理を施して画面を素晴らしいものにしてくれる、縁の下の力持ち。


カット繋ぎ・デフォルメ手法・撮影処理……どれをとっても極めて抑制された上品な演出を志向している『ゆゆ式』。

かおり監督が「日常の感覚」と語る独特の雰囲気は会話だけでなく、演出によっても見事にもたらされているのです。





ここまではワイプを中心に、様々な演出的側面から『ゆゆ式』がシンプルさを追求している画面を作ろうとしていることを確認してきました。

ではここらで、話を「ワイプ」演出を深掘りする方向へ戻しましょう!


『ゆゆ式』においてはポップさを打ち出した「ワイプ」繋ぎが徹底的に避けられていることが予想される……と語ってきましたよね。

実際、視聴後に公式ガイドブックを読んでいたところ、「ワイプ禁止」が制作現場で掲げられていたとの事実が発覚し、深く納得!

非常に興味深い発言でしたので、引用させて頂きます。

ワイプは場面の切り換え方法としては非常に優秀で、前の場面をリセットする効果があります。

『ゆゆ式』の原作は四コママンガですから、それをそのままアニメにしようとすると、1ネタやってワイプ、また1ネタやってワイプというのが一番楽なやり方になります。

ところがワイプをすることで前のネタの内容がリセットされてしまいますから、ネタ同士の繋がりがなくなってしまう。

例えばギャグを1個やって唯が怒るとするじゃないですか。ワイプをすると、このときの唯の感情はリセットされてしまいます。

でも実はそのギャグは1日の時系列の中にある出来事なので、さっき唯が怒っていれば、その次のシーンで、まだその感情を引きずっているはずなんですよ。

安易にワイプを使ってしまうと、キャラクター同士の人間関係やコミュニケーションが失われて地に足がついた日常ものにはならないんです。

TVアニメ『ゆゆ式』公式ガイドブックP83「プロデューサー・小倉充俊インタビュー」より


この発言は『ゆゆ式』が貫き通した「日常の感覚」という美学を推測する上で、非常に重要なものだと言えます。

小倉氏はワイプ禁止令の理由について「人間関係が失われる」としていますが、この「ワイプ禁止」はもっと深く深く演出的な探求が可能なトピックでしょう。


僕は本作を視聴しているとき、ワイプが用いられない理由として「この子達の会話に”オチ”をつけたくない」という意思が制作陣にあったのでは?と感じていました。

例えば『けいおん!』では、原作4コマの「オチ部分」が終わると頻繁にワイプが用いられ、テンポ良くストーリーが語られていきます。

こうした変則ワイプもオシャレですね


このワイプ使いは例えるなら文章の句読点
のように、会話劇を心地の良いものにパッケージングしてくれるのです。


『ゆゆ式』の会話劇を聞いていると、キャラクター達がまるで漫才やバラエティ番組のように「フリ・オチ」を意識して会話していることに気づくでしょう。

それが表れているのが、ボケがちな「ゆずこ」が唯ちゃんのツッコミに対して取るリアクション!

「欲しいツッコミをくれるね~」「唯ちゃんは”成立”させるね~」というような発言から分かるように、彼女は自分たちが行っている掛け合いの客観的な完成度を意識しているようなのです。

これは決して、単なるメタいネタなどでは無いでしょう。
単に年頃のお茶目な女の子たる彼女たちがじゃれ合うために、ちょっと芝居がかった可愛らしい言い方をしているに過ぎない。実際かわいい!


しかしそうだと考えると、情報処理部のみんなは、日常生活の中で何気なくしている「掛け合い」をエンタメらしくパッケージングしようとしている事実が浮き彫りになってきます。

これは本作の会話劇が持つ、独特な魅力を構成する一因だと考えられます。


しかし情報処理部のみんなが自主的に「会話」を「会話劇エンタメ」らしくパッケージングしようと意識しているのに対して、本作の演出スタイルはむしろその真逆……と言えるでしょう。

ワイプや過剰なデフォルメを避けて演出するそのストーリーテリングは、徹底的に「会話劇エンタメ」っぽい会話を単なる「会話」へと帰化させんとするものです。


キャラクター達が自ら「オチを作ろう」と言葉を重ねていく日常を、徹底的に「オチなんて作らせないよ?」と演出する。


ゆずこたちが織りなす「会話劇」を「会話劇エンタメ」らしくパッケージングせず、「会話劇っぽく話したい年頃の女の子」という”ありのまま”を描く。


こうしたキャラクターと演出スタイルの間に生まれている乖離こそが、本作を傑作たらしめるファクターだと考えます。


もしかしたらこの乖離について、「キャラクターを尊重しない演出の横暴」だと感じる人もいるかもしれません。

ゆずこたちがオチへ向かうエンタメ性の強い会話をしているのだから、目一杯ポップに演出した方が、キャラクターに寄り添った「日常系アニメ」らしくなるんじゃないか……と。


しかしながら、それは「違う」とさせてください。『ゆゆ式』の演出にワイプを導入することは、絶対に最善手ではないのです。


だって考えてみてくださいよ。

ここで情報処理部や相川さんたちの会話をショーアップして描いてしまったら、それはもう名実ともに立派な「エンタメ」になってしまいます。

「エンタメ」になってしまったが最後、『ゆゆ式』の映像から本作を象徴する思想である「ノーイベント・グッドライフ」の輝きは永遠に失われるでしょう。


あくまで「ノーイベント」な、それでいてかけがえのない日常の中で、ゆずこたちはイベントを求めてバタバタ・ゆるゆるとお茶目な会話を繰り広げている。

いつでもコンテンツに出来るような面白い美少女たちのそういった会話に対して、敢えてコンテンツらしく扱わない演出を選ぶことで、本作は稀有な「日常系アニメ」としての唯一性を獲得しているのです。



ゆずこ・縁・唯ちゃんの3人がノーイベントな日常を楽しくしたい!と交わす会話を、淡々と撮ることが何よりの「日常の感覚」である…………そう考えた監督の慧眼が、最高の作品を創った。


ここまで確固たる演出美学を突き通しきって最高のクオリティを実現した日常系アニメは、恐らくそうそう生まれるものじゃないでしょう。

「ノーイベント・グッドライフ」という言葉に象徴される『ゆゆ式』の素敵な世界観は、今更本作に触れた自分のようなオタクの心も捉えました。



『ゆゆ式』という究極の「日常系」を、究極の「日常系アニメ」に。

そうした演出家の確固たる思想が隅々にまで行き渡っているからこそ、TVアニメ『ゆゆ式』は10年の月日にも負けない正真正銘の傑作として、今も輝きを放っているのです。


この演出分析から、本作の魅力が少しでも多くの人に伝われば幸いです。
『ゆゆ式』サイコ~~~~~~~~!!!!!!!!!!







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