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「かもしれない」が巡った、ヨシタケシンスケ展かもしれない。

昨日は家族でお出かけ。

水戸から宇都宮へプチ遠出。

「ヨシタケシンスケ展かもしれない」を観に行って来た。


絵本作家のヨシタケシンスケさん。

彼のヒット作「りんごかもしれない」をもじった、会のタイトル。


可愛い。


会場のあちこちに置かれたパネルも、さすが。

会場に入る前が いちばんたのしいのかもしれない

つまんなそうにしてたら 係の人がコチョコチョしてくるかもしれない

いつかあなたも ここで展覧会をするのかもしれない


パネルのキャラクターが、立て看板みたいなものを持って、あちこちで「かもしれない」と呟いている。

もう、可愛い。



「りんごかもしれない」で一躍大ヒット、絵本作家として活躍し始めたヨシタケシンスケさん。

でも大学の専攻は立体造形だったみたい。

大学卒業したあとも、サラリーマンをしていた時期があったり。


絵本を描き始めたきっかけも、イラストレーターをしてた頃の編集さんに「君は絵本を描きなさい」と言われたことなんだそう。


みんなの人生にも、思いもよらないことが起こるかもしれない。

そんな思いもあるんだろうな、と展示を観ながら考えた。


ヨシタケシンスケ展がもし、水戸でやってたら。

宇都宮に来る機会はなかった かもしれない。

完全にたまたまなんだけど、宇都宮に来られたことが、私には感慨深かった。


10年前住んでいた場所。

当時付き合っていた彼(今の夫)を追いかけて、やって来た場所。

昼ごはんに夫が「行きたい」と選んだラーメン屋さん。


10年前、よく一緒に行っていた店だ。


特技「忘れる」の私は、場所もラーメンの味も全然覚えてなかった。

けど、駐車場から見えた田んぼに、れんげの花が咲いていたのをハッキリ覚えている。 


写真でしか見たことない。歌でしか知らない。

沖縄には自生してない、れんげの花。

思ったより紫色が濃いんだね、かわいいねー

そう思って眺めていた。  


あのまま、宇都宮に住んでいた かもしれない。

そうしたら、息子たちは生まれて来なかった かもしれない。

最高のメンターにも、今の仲間にも会えなくて、全く違う人生を歩んでいた かもしれない。



2011年3月。

東日本大震災の1週間前に、私は沖縄に帰って来た。


やっぱり先生をやりたい。やるなら沖縄がいい。

半ば無理やり帰ることを決めた。

一度決めたら聞かないからと、彼は何も言わなかった。


飛行機のチケットも早々に取っていた。

3月の1週目にしようか、2週目にしようか。

向こうで仕事を探すなら早く帰った方がいいと、3月始めのチケットに決めた。


もし2週目のチケットを取ってたなら、私は羽田空港か、空港へ行く途中の電車の中で被災したはず。


大地震に遭っていたかもしれない。

1人で電車に取り残されたかもしれない。

私は耐えられなかっただろう。

心を病んでいたかもしれない。


昨日買った絵本「ぼくはいったい どこにいるんだ」

その中に、ぼくのみらいのちずって、こんなかんじかなあ。というページがある。


どんなコースになるかは わからないけど、どのコースをとおっても 

ぼくは ぼくらしく なっていくんだとおもう。


どの本もそうして、そっと背中を押してくれる。


大丈夫だよ。

肩の力ぬいて行こう。


ヨシタケシンスケさんは、そんなメッセージをくれる。


人生の中に山ほどある、「かもしれない」。

面白いなあ。



ヨシタケシンスケ展はまた、別な記事を書こうと思う。

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