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岩手プチ旅:花巻観光もしてみた。

すごく間あいちゃったけど、続きです。三連休岩手の旅、2日目は朝から観光タクシーを利用して花巻観光をしてみました。

なんでこういうことになったかというと、私リニューアルしたばかりという「高村光太郎山荘&記念館」に行ってみたいなぁと思っていたのです。しかし調べても調べても、アクセス可能なバスの路線がない。

どうやら2014年頃までは一日数本バスが走ってたようなのですが、路線廃止になっちゃったんですね。ちょっと計算してみましたが、タクシーだと片道4000円ぐらい。入場料金は山荘と記念館あわせても550円なのにハードル高すぎるよ…!(泣)

というわけで、一度は諦めかけたのですが、しつこく観光協会のホームページを探っていたら、こんなのを見つけました。観光タクシー、どんぐりとやまねこ号

乗り合い観光タクシーで、サラッと花巻を見て回ることができる企画です。本来、3日前までに要予約なんですが、空きがあれば前日の予約でも乗れると書いてあったので、私1日目に新花巻で釜石線に乗り換える前に駅の観光案内所に寄って、空席があるか聞いてみたのです。

本来なら予約で満席だったらしいんですが、たまたまレトロタクシーが故障して(これイギリス製の本物のクラシックカーで、よく故障するらしい…)、普通の大型タクシーを複数台出すことになったので、一人だったら乗せられると。可愛いレトロ車両じゃないけど、いいですか?と盛んに聞かれましたが、私は高村山荘行くのが目的なので「ぜんぜん大丈夫です!」と言って、予約入れてもらいました。

三世代での家族旅行のお客さんに混ぜていただく形で、まずは高村山荘へ。

事前の天気予報とはぜんぜん違う好天で、刈り取り前の稲が綺麗で、歩く道すがら、こんなに立派な栗もたくさん落ちてました。林の中には地元の栗拾いの人もチラホラ。

山荘は、おおもとの山荘を覆うように建てた建物で二重に保護されていて、2番目と1番目の覆いの建物の隙間が廊下みたいになっているところを歩きながら、内側の山荘内を見学することができます。

これを見た後で記念館に行くと、ブリジストン美術館が製作した、生前の高村光太郎がこの山荘で過ごす姿が映る短いドキュメンタリー映像を見られるのですが、本当にそのまんま保存されているので、おおーってなります。こんな質素な小屋に7年も暮らしたのか、と。

宮沢賢治の弟、清六のすすめで東京から疎開してきた花巻で不運にも空襲にあい、拠り所を失ったために手に入れた住まいなんですが、高村光太郎は生前から成功していたエリート芸術家です。帰ろうと思えば、戦後すぐに東京に帰ることも出来ただろうに、なんでまたこんな雪深い山奥に7年も篭ってたのかな…と少し不思議な気もした。

素朴な田舎暮らしが気に入ったから…村の人や子どもたちに慕われて楽しかったから…的な酔狂で暮らせるようなレベルの田舎じゃないんですよね…田舎の村の中心部からも、さらに離れた山小屋なんです。記念館の看板が少し抉れてて、運転手さんいわく、熊がやったのだと。そういうレベルで人里離れた場所です。

山荘の前に小さな畑を作って野菜など育てていたらしい。ほんと、隠遁生活ですよね。

東京に戻ってから国語教師だった母に聞いてみたところ、「やっぱりそれは、戦争協力に対する責任ってことなんじゃないの」という答えで、なるほどなぁ…と思いました。

高村光太郎は第二次世界大戦中、戦争協力に積極的な文学者団体、日本文学報告会というグループで詩の部の会長をつとめていて、愛国詩、戦争礼賛詩も書いてるんですよね。智恵子抄だけの人じゃないんです。

今年展覧会やってた藤田嗣治(レオナール・フジタ)なんかもそうですが、あの時代の芸術家や文学者って結構がっつり愛国方面に行ってた人は少なくなかったわけで。そのへんのところは「月に吠えらんねぇ」という漫画が掘り下げてて興味深いのですが、あらためてこういう生々しい隠遁生活の跡を見ると、奥さんも亡くし、自分が礼賛した戦争にも負けて、何を考えて生きてたのかなぁ…とか考えてしまいます。

もちろん、田舎の素朴な暮らしや近所の小学校の子どもたちとの触れ合いを高村が慈しんだことも事実だは思う。なんと言っても、この山荘にここまで手をかけて保存して、『十和田湖の彫刻制作のために呼ばれなかったら、高村先生はきっと死ぬまでここに住んでいたはずだ』と誇らしげに語る地元の人たちの敬愛ぶりが染みる。

この山荘にいたあいだ、高村はほとんど彫刻を作らず、もっぱら書を書いていたそうですが、そういう地元の人たちとの触れ合いの中で、創作への意欲を取り戻していったのかも知れないなぁ、などと思いました。

戦争終わったばかりでサンタクロースの扮装だなんて、ハイカラな人だったんだな。コーヒーも飲んでたみたいですよ。

私的に、高村光太郎は「本来才能豊かな芸術家だった智恵子の死の遠因になった人」という感じで正直あんまり好きではなかったんだけど、少し印象が変わりました。行ってよかった。

リニューアルしたばかりという記念館は、彫刻作品や智恵子の作品なども展示してて、お土産類も洒落ていて、なかなかよかったです。特別展示のNゲージによる昔の花巻電鉄と町のジオラマも良かったなぁ。交通手段さえあれば、もっとゆっくり見学したかったです。とにかくバス便がないのでアクセス困難、ということさえ克服できれば、とてもいい記念館なので、花巻行く人には是非寄ってみてほしいです。

花巻というと観光は宮沢賢治祭りになりがちだと思うのですが、高村光太郎という人は宮沢賢治の没後の全集出版なんかにも尽力した人で、「雨ニモマケズ」の詩碑も高村の揮毫。ということで、セットで見学するとより楽しめるんじゃないかと。

ちなみに、こちらがその「雨ニモマケズ」の詩碑です。羅須地人協会の跡地に建っています。実は数カ所誤字脱字があって、出来ちゃったあとで追加したりした文字がそのまま刻まれている珍しい詩碑でもあります。

この丘の上から、「下ノ畑ニ居リマス」の下の畑を眺めることもできます。

これはもちろんレプリカですが。

これと…

実際の風景重ねてみるとわかると思いますが、「下ノ畑」意外と遠い!!真っ直ぐに伸びた道が見えなくなるところの下だそうです。岩手県、県の面積も広いし近い遠いの感覚が少し違うのかも…(^_^;)

今回はじめて岩手に来たのですが、車で巡る花巻周辺は、私の知ってる土地の中では北海道に似てるような感じがしました。このあたりは開拓地だそうで、道も線路もやけに真っ直ぐなので、そう感じたのかも知れません。

乗り合いタクシーはこの後通常はまっすぐ宮澤賢治記念館に向かうのですが、タクシーの運転手さんが「ちょっと寄り道」とこんな場所に連れて行ってくれました。

同心屋敷

江戸時代の、官舎っていうか、社宅みたいな感じの建物ですね。屋根を葺き替えたばかりだそうで、乾燥させるために囲炉裏をたいて燻した香りが残ってましたが、ボランティアの方がいてお茶や飴ッコをご馳走してくださいました。

このへんレストランとか喫茶店ないので、ちょっと一休みで立ち寄らせていただくには、ちょうどいいと思います。クーラーとかはないけどいい風が通って案外涼しかったです。

賢治の母方の実家の宮澤商店の脇を通ったりしながら(今でも花巻有数の企業なんだとか…)、宮澤賢治記念館へ。

ここは観光バスなんかも乗り付けて、混雑してました。テーマ別の展示もなかなか工夫されてましたが、宮沢賢治好きにとっては目新しい知識を得るというより知ってる知識を確認する感じですかね…国柱会の話とかは「やっぱりねぇ」という感じだったし。亡くなった妹さんの写真は初めて見たんですが、美人だったので驚きました。

ただ、この本買えたのでちょっと満足です。生前の知人の人が賢治のエピソードを語るだけの素朴な内容なんですけど、宮沢賢治研究って、なんかもうマニアの人たちの思い入れ部分の方が割合大きくなってて風呂敷広げすぎなやつが多いような感はあって、こういう特別な考察もないエピソード集ほうが、逆に面白いな、と思う。

記念館手前のところに、クローバーがたくさん植わってるとこがあるんですが、そこが四つ葉のクローバーの宝庫だそうで、タクシーの運転手さんに教えてもらって私も3分で見つけちゃいました。たまに六つ葉とかもあるそうなので、お時間ある方は探してみては。

レストラン兼みやげ物店の「山猫軒」は新花巻駅前にもありますが、この記念館前の店のほうが若干メニューが多くて美味しいんだとか。

しかし私はこの日、前日には見に行けなかった遠野の郊外を見に行きたくて解散後は駆け足で釜石線に向かったので、山猫軒のランチはまたの機会ということになりました。

花巻本当に駆け足だったので、まだまだ行ってみたいとこもあったけど(マルカン大食堂とか…)とにかく高村山荘は行けて良かったです。行った場所の距離とか位置関係は↑みたいな感じ。

どんぐり号とやまねこ号は年度ごとの企画で、コースも年によって微妙に変わったりするらしいのですが、行ってみてわかったのは、花巻おおよそ徒歩旅行者を想定してない街なので(そして岩手は猛烈に広い)、車のない人が自力で行ける場所はどうしても限られてしまいます。効率的に観光地をまわれる乗り合い観光タクシーは上手く使うと便利だな、と思いました。

てなところで、花巻編終了。2度目の遠野編は、また次の機会に。

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