諦めた先は、空っぽの世界。
人生、諦めるとうまくいく。
昔読んだ、自己啓発本にそんなことが書いてあった。
ちょうど、その頃足掻いていた私は、足掻き疲れたこともあり、素直に諦めることにした。
たとえば、それは、誰からか必要とされること。
たとえば、それは、助けてほしいとき誰かに助けてもられること。
たとえば、それは、いろんな人間関係にいちいち悩まないで済むこと。
一言でいうなら、周りの人たちが普通に手にいれる幸せ。
少なくとも、当時の私は、それを渇望していたのだ。
そう、私はそれがほしくて、でもそれが難しくて、足掻いていたのだ。
そうか、私は、諦めればいいのか。
確かに、そう考えてみると、少し気が楽になった。
だが、それも束の間、私はうす黒い雲に覆われた空を突き進みはじめることになってしまったのだ。
ときおり、雲の隙間に差し込むまばゆい光。
私は、それを尻目に、ただずっと先にあるかもしれない大きな光を求めて、突き進むしかなかったのだ。
確かに、もがくのは疲れるし、無意味だ。
だが、諦めた上で、前に進むには、それ相応の様々な存在意義が私自身にも、進む道自体にも必要だったのだ。
だから、何もなく突き進んでいた私には、うす暗い雲をすり抜けた先にも、分厚い雨雲しか目に入らなかったのである。
きっと、自己啓発本が言いたかったのは、「執着を捨てれば楽に生きられる」ということだったのだろう。
だけど、「幸せになりたい」という望みを捨てたら、楽になるどころか、絶望感に苛まれながら、生きていくほかなくなってしまう。
あれから、自己啓発本は、あまり読まなくなってしまったが、未だに私は、雲の隙間から地上へと伸びる一筋の光を見つけると、足を止めて空を見上げることがある。
そして、その度に、私は、絶望的な絶望感から、ほんの少しだが解放されるのだ。
どうしたら、完全に絶望感を手放せるのだろう。
やっぱり、諦めない方が良かったのかもしれない。
だから、今年の私は、諦めずに足掻くことにした。
そう、私は、幸せになりたいから。
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