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暇と退屈と疎外、そして贅沢 "暇と退屈の倫理学3/5"

疎外を感じる場面はどんな時か?

 これまでの章では、暇と退屈の定義や歴史的背景、哲学的視点、現代社会における再評価について考察してきました。第四部では、「贅沢とは何か?」という問いを通じて、消費社会における暇と退屈の疎外論について深く掘り下げます。この章では、消費社会の特性と疎外の概念を探り、私たちが自己疎外をどのように経験し、どのように克服できるかについて考察します。

消費社会における疎外の特性

 暇と退屈の倫理学の中では、消費社会における疎外の特性が強調されています。労働者の疎外とは異なり、消費社会における疎外は消費者自身が自分で自分を疎外するという特徴があります。労働者が資本家によって疎外されるのに対し、消費者は終わりなき消費のゲームに没頭し、その過程で自己疎外を引き起こします。

ジャン・ボードリヤールは、この消費社会における疎外の特性について詳述しています。彼は、消費が単に物やサービスの消費に留まらず、人間のあらゆる活動にまで拡張されていると指摘します。特に、「生き甲斐」や「好きなことをしている」という観念を消費する労働や余暇に注目しています。これらの消費は、満足することがなく、永遠に続けざるを得ない蟻地獄のような状態を生み出します。

「本来性なき疎外」の概念

 疎外について論じられている「第4章 贅沢とは何か?」では、「本来性」という語の陥穽について議論されています。疎外論はしばしば「本来性」を前提としますが、このアプローチには危険性があります。過去の姿を「本来の姿」として想定することで、現状を否定し、過去への回帰を強制することがあるからです。これにより、議論が保守的かつ排他的になり、時には暴力的になることすらあります。

ジャン=ジャック・ルソーやカール・マルクスは、近代的な疎外の概念を提起しつつ、「本来性」に囚われることなく、人間の疎外状況を描いています。彼らは「本来性なき疎外」という概念を提起し、疎外からの脱出を目指しました。戻るべき過去の姿など存在しないと認めつつも、疎外を名指すべき現象から目を背けず、新しい方向性を模索することが重要であるとしています。

消費社会と現代の疎外

 ボードリヤールが鋭く指摘したように、消費社会において「暇」なき「退屈」をもたらす現代の疎外は、「本来性なき疎外」の枠組みで論じる必要があります。消費社会の論理は、私たちを絶えず新たな消費へと駆り立て、その過程で自己疎外を引き起こします。私たちは自分自身を消費し、他者や環境との真のつながりを失っていきます。

このような状況下で、疎外からの解放を考えることは困難ですが、不可欠です。まず、自分自身の消費行動や生活スタイルを見直し、真の満足感や充実感を得るための方法を模索する必要があります。そのためには、物質的な消費から離れ、精神的な充実を追求することが重要です。

贅沢とは何か?

 贅沢という概念もまた、消費社会における疎外と深く関わっています。一般に贅沢とは、過剰な消費や豪華な生活を指しますが、本質的には自己満足や他者との比較から生じる一時的な快楽に過ぎません。このような贅沢は、持続的な満足感を提供することはなく、むしろ終わりなき消費のサイクルを強化します。

真の贅沢とは、物質的な豊かさではなく、精神的な充実や内面的な平和を追求することです。例えば、深い人間関係や自然との触れ合い、自分自身と向き合う時間を持つことなどが、本当の意味での贅沢と言えるでしょう。このような贅沢は、持続的な満足感を提供し、自己疎外からの解放を助けます。

疎外からの解放への道

疎外からの解放には、いくつかのステップが必要です。まず、自分自身の消費行動や生活スタイルを見直し、真の満足感を得るための方法を模索することが重要です。例えば、凡庸ではありますが以下の具体的なアプローチを試してみると良いかもしれません。

  • ミニマリズム

    • 必要最低限の物を持ち、それ以外の物を断捨離することで、物質的な負担を減らし、精神的な余裕を作り出します。

  • 内面的な充実の追求

    • 瞑想や読書、自然散策など、内面的な充実を追求する活動を増やし、精神的な満足感を高めます。

  • 持続可能なライフスタイル

    • 環境に配慮した持続可能なライフスタイルを実践することで、自己疎外からの解放を図ります。これには、エコフレンドリーな製品の使用や地元の農産物の購入などが含まれます。

  • 人間関係の深化

    • 深い人間関係を築き、他者との真のつながりを追求することで、精神的な充実感を得ることができます。

暇と退屈における疎外との関係性

 第四部では、消費社会における暇と退屈の疎外論について詳述しました。消費社会の特性と疎外の概念を探り、私たちが自己疎外をどのように経験し、どのように克服できるかについて考察しました。贅沢の本質を理解し、精神的な充実を追求することで、疎外からの解放を目指すことが重要です。

次回は、暇と退屈の倫理学における環世界に対しての考察について探求し、「トカゲの世界を覗くことは可能か?」という問いを元に、様々な環世界について深掘りをしながら人間それ自体の存在と暇と退屈の関係についてさらに深く掘り下げていきます。


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