読書の真の目的 "ショーペンハウアー「読書について」 3/3"
昨日までの2回にわたり、19世紀ドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーの『読書について』の核心に迫ってきました。彼の鋭い洞察は、読書の本質と危険性を指摘し、そして「正しい」読書法を提案するものでした。
19世紀半ばのドイツ、印刷技術の発展と識字率の向上により、書籍がかつてないほど身近なものとなった時代。この文化的転換期に、ショーペンハウアーは『読書について』を著しました。昨日までに論じてきた自己思考の重要性と読書の限界を踏まえつつ、今日はショーペンハウアーが提唱する良書と悪書の区別、および効果的な読書の方法論について詳細に検討します。
ショーペンハウアーの時代、出版業界は急速に拡大し、多種多様な書籍が市場に溢れ始めていました。この状況下で、彼は全ての書物が等しく価値を持つわけではないと主張し、良書と悪書を明確に区別することの重要性を説きました。
『読書について』の中で、ショーペンハウアーは次のように述べています。
この言葉は、良書と悪書の影響力の差を鮮明に表現しています。ショーペンハウアーにとって、良書とは以下のような特徴を持つものでした。
独創的な思想や深い洞察を含む
時代を超えて価値のある普遍的な真理を含む
読者の思考を刺激し、新たな視点を提供する
一方、悪書の特徴として以下を挙げています。
商業的利益のみを目的として書かれた著作
他の著作の単なる模倣や表面的な知識の寄せ集め
読者の思考を停滞させ、創造性を阻害する
ショーペンハウアーは、特に商業主義的な出版物の増加を危惧していました。彼は次のように警告しています。
この指摘は、当時急速に発展しつつあった大衆文学市場への批判とも受け取れます。ショーペンハウアーは、真に価値ある書物は著者の独自の思想と経験から生まれるものだと考え、安易な商業主義に基づく出版物を厳しく批判したのです。当時ですら良書と悪書という区別があった中で、誰もが本を出版できるような時代になった今ではその区別は難しそうに思えますが、その解決策もショーペンハウアーは示してくれています。
古典の重要性
ショーペンハウアーは、特に古典の価値を強調しました。彼にとって古典とは、時代を超えて普遍的な価値を持ち続ける作品を指します。『読書について』の中で、彼は次のように述べています。
この言葉は、真に価値ある著作が持つ普遍性と永続性を示しています。ショーペンハウアーは、古典を読むことで人類の叡智の精髄に触れ、自己の思考を深化させることができると考えました。
彼が特に重視したのは、ギリシャ・ローマの古典作家たちでした。プラトン、アリストテレス、キケロなどの著作を、ショーペンハウアーは繰り返し読むことを推奨しています。
アリストテレスやプラトンは取り上げられることが多いですが、キケロは意外と取り扱われることが少ない気がするので、参考図書を挙げさせていただきます!
ショーペンハウアーのこの古典重視の姿勢は、当時のドイツにおける新人文主義の潮流とも符合するものでした。ヴィルヘルム・フォン・フンボルトらによって推進された教育改革は、古典語や古典文学の学習を重視し、これらを通じて人間性の涵養を目指すものでした。
読書の本質に迫る具体的方法論
ショーペンハウアーは、効果的な読書のための具体的な方法論も提示しています。これらの方法は、単なる技術的なアドバイスではなく、彼の哲学的な読書観に基づいたものです。
1.選択的読書
ショーペンハウアーは、限られた時間を価値ある書物に費やすべきだと主張しています。
この主張は、当時増加しつつあった大衆向け出版物への警鐘とも受け取れます。ショーペンハウアーは、量よりも質を重視する読書態度を推奨したのです。
2.反復読書
優れた書物は一度だけでなく、繰り返し読むべきだとショーペンハウアーは説いています。
この方法は、テキストの深い理解と内在化を促進します。ショーペンハウアーは、反復読書によって初めて著者の真意を把握し、その思想を自らの思考体系に組み込むことができると考えました。
3.能動的読書
ショーペンハウアーは、単に文字を追うのではなく、内容について深く考え、自分の経験や知識と照らし合わせながら読むことを推奨しています。
この言葉は、単なる受動的な読書ではなく、テキストと積極的に対話する姿勢の重要性を強調しています。ショーペンハウアーは、読者がテキストに対して批判的な態度を持ち、常に自己の思考と照らし合わせながら読むことを求めました。
4.省察と統合
読書中や読後に、重要な点や自分の考えを整理し、それについて深く省察することの重要性を説いています。
ショーペンハウアーは、読書後の省察を通じて、得られた知識を自己の思考体系に統合することの重要性を強調しました。この過程を通じて、読書は単なる情報の蓄積ではなく、自己の思想形成につながるのです。
読書の究極の目的
ショーペンハウアーにとって、読書の究極の目的は自己成長と世界理解の深化でした。彼は読書を通じて、以下のことを達成すべきだと考えました。
思考力の向上
視野の拡大
創造性の刺激
自己理解の深化
世界観の形成
この言葉は、読書が単なる知識の蓄積ではなく、思考力と洞察力を養う手段であることを強調しています。ショーペンハウアーは、読書を通じて得た知識を自己の思考と経験に統合し、独自の世界観を形成することを究極の目標としていたのです。読書という今や日常の一つにあるかないか、という行為が如何に大切かがわかる言葉ではないでしょうか。
ショーペンハウアーの読書論の意義と限界
ショーペンハウアーの読書論は、19世紀半ばの知的環境を背景に形成されたものですが、現代においても重要な示唆を与え続けています。特に、情報過多時代における質的思考の重要性、批判的読書の必要性、深い集中の価値などは、現代社会においてより一層重要性を増しているといえるでしょう。
メディア理論家のニール・ポストマンは、ショーペンハウアーの思想の現代的意義について次のように述べています。
一方で、ショーペンハウアーの読書論には以下のような限界や批判も存在します。
エリート主義的傾向:
ショーペンハウアーの良書・悪書の区別は、時として主観的で恣意的となる可能性があります。これは文化の多様性や大衆文化の価値を軽視する危険性を孕んでいます。読書の娯楽的側面の軽視:
ショーペンハウアーは読書の知的側面を重視するあまり、その娯楽的・情緒的側面を軽視している面があります。現代的文脈の欠如:
19世紀の知的環境を前提としたショーペンハウアーの読書論は、デジタル時代の読書形態(電子書籍、ウェブ記事など)に対する考察を欠いています。
これらの限界を踏まえつつ、ショーペンハウアーの読書論を現代的に再解釈する試みも行われています。例えば、認知科学者のマリアンヌ・ウルフは、ショーペンハウアーの思想を発展させ、「深い読書」(原文:deep reading)の概念を提唱しています。
読書の真の目的
結論として、ショーペンハウアーの読書論は、その時代的制約にもかかわらず、現代においても重要な示唆を与え続けています。彼の思想の核心は、読書を通じた持続的な思索と知的成長の追求にあります。良書の選択、批判的読書、反復と省察といったショーペンハウアーの提案は、情報過多時代にあっても、私たちが真の知性と洞察力を育むための重要な指針となり得るものです。読書という「行為」の重要性をここまで説いてくれている本は中々珍しいかもしれません。
ショーペンハウアーの読書論を実践することで、私たちは深い思索と持続的な知的成長を実現し、自己と世界についてのより深い理解を得ることができるでしょう。同時に、その限界を認識し、現代的な文脈に適応させることで、より豊かで多角的な読書体験を実現することができるかもしれません。
私も先日、1人で山奥のキャンプ場で焚き火の日で読書をしていたらいつの間にか朝になっていたことがあります。その時の読書内容も素晴らしい経験になりましたが、それ以上に自然との調和を感じるような感覚がありました。これはスピリチュアルな話ではなく、読書という行為を通じてしか味わえない感覚、自然への鋭さ、そうしたものが一時的に高まったように思っています。
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