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読書の真価を問う "ショーペンハウアー「読書について」 2/3"

正しい読書について教えられてきたか

 昨日まで、ショーペンハウアーの『読書について』というシンプルなタイトルながらも深い洞察が得られる本を紹介してきました。今日はショーペンハウアーが指摘する「読書をすると自分の頭で考えられなくなる」という非常に鋭い指摘について、一緒に考察していきましょう。

「自分の頭で考える」ことの重要性と読書の限界

 ショーペンハウアーは『読書について』において、思索と読書を鋭く対比させています。彼にとって、思索は能動的で創造的な精神活動であるのに対し、読書は受動的で模倣的な活動でした。この対比は、知識獲得の本質に関する彼の深い洞察を反映しています。ショーペンハウアーは次のように述べています。

「読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。ちょうど、王子が狩りに行くとき、他人の足で走ることに似ている」

(『読書について』、鈴木芳子訳、2013年)

この比喩的な表現は、読書の受動性と、それによって失われる直接的経験の価値を鮮やかに描き出しています。ショーペンハウアーは、読書が思考の代替となることを強く警戒しました。彼にとって、真の知識は自らの経験と思索を通じてのみ獲得できるものだったのです。

哲学者の鷲田清一は、この点について次のように解説しています。

「ショーペンハウアーが警告しているのは、他者の思考を無批判に受け入れることの危険性です。真の知識は、自らの経験と思索を通じてのみ獲得できるという彼の信念が、ここに表れています。これは単なる読書批判ではなく、知識の本質に関する深い洞察を含んでいるのです」

(鷲田清一『「聴く」ことの力』、2015年)

さらに、ショーペンハウアーは思索と読書の質的な違いについても言及しています。

「自分の頭で考えることは、ランプの光に似ている。他人の考えを読むことは、ろうそくの光に似ている」

ショーペンハウアー

この比喩は、自己思考がより強力で持続的な光(知識)をもたらすのに対し、読書から得られる知識はより弱く一時的なものであることを示唆しています。ショーペンハウアーは、真の知識と理解は、自らの思索を通じてのみ得られると考えたのです。

自己思考の価値と方法

ショーペンハウアーは、自己思考の価値を強調しつつ、その具体的な方法についても言及しています。彼は、日常的な観察や経験を重視し、それらを深く考察することの重要性を説きました。

具体的には、以下のような自己思考の方法を提案しています。

  1. 日々の出来事や感覚を注意深く観察する

  2. 観察したことについて、深く考え、分析する

  3. 異なる視点から物事を見る習慣を身につける

  4. 自分の考えを言語化し、整理する

ショーペンハウアーは『意志と表象としての世界』で次のように述べています。

「思考とは、概念を形成し、概念を比較し、概念を結合し、そして概念を分離することである。そしてこの作業によって、われわれは世界を理解するのである」

『意志と表象としての世界』

この言葉は、自己思考のプロセスを端的に表現しています。ショーペンハウアーにとって、思考とは単なる情報の受容ではなく、能動的な概念操作のプロセスだったのです。

哲学者の西田幾多郎は、ショーペンハウアーの自己思考の方法について次のように評価しています。

「ショーペンハウアーの自己思考の方法は、東洋的な直観と西洋的な論理を結びつけるものだ。彼は、直接的な経験を重視しつつ、それを論理的に分析し、概念化する方法を提示している」

(西田幾多郎『善の研究』、1911年)

これらの方法は、単に情報を受け取るだけでなく、能動的に世界を理解しようとする姿勢を育てるものです。ショーペンハウアーは、この能動的な思考のプロセスこそが、真の知識と洞察をもたらすと考えたのです。読書ができない時であっても、この観察から始まる能動的な思考のプロセスは誰もができることではないでしょうか。

読書の限界と危険性

 読書の危険性とは何とも強いワーディングですが、ショーペンハウアーは、読書には以下のような限界と危険性があると指摘しています。

  1. 他人の思考に依存し、自己思考力が衰える

  2. 表面的な知識の蓄積に終始する

  3. 現実世界との直接的な接触が減少する

  4. 独創的な思考や創造性が阻害される

特に、多読の危険性について彼は警告を発しています。

「多読に走ると、精神のしなやかさが奪われる。それは、多量の食物を摂取しすぎると、消化器官が疲弊するのと同じである」

(『読書について』)

この生理学的な比喩は、過度の読書が精神に及ぼす悪影響を鮮明に描き出しています。ショーペンハウアーは、知識の量よりも質を重視し、深い思考と理解の重要性を強調したのです。

哲学者の澤井繁男は、ショーペンハウアーの読書批判について次のように述べています。

「ショーペンハウアーの読書批判は、近代的な知識観への根本的な問い直しを含んでいる。彼は、知識を単なる情報の集積ではなく、個人の経験と思索を通じて獲得される生きた理解として捉えているのだ」

(澤井繁男)

この指摘は、現代の情報過多社会においてより一層重要性を増しているといえるでしょう。インターネットやSNSの発達により、私たちは膨大な量の情報に容易にアクセスできるようになりましたが、同時に表面的な知識の蓄積に終始する危険性も高まっていることは、これまでの本の解説でも何度も述べてきた通りです。

批判的読書の重要性

 しかし、ショーペンハウアーは読書そのものを否定しているわけではありません。むしろ、彼は批判的読書の重要性を強調しています。批判的読書とは、著者の主張を単に受け入れるのではなく、常に疑問を持ち、自分の経験や思考と照らし合わせながら読む姿勢を指します。ショーペンハウアーは次のように述べています。

「読書において重要なのは、何を読むかではなく、どのように読むかである。優れた本を読んでも、それを適切に理解し、消化しなければ何の意味もない」

ショーペンハウアー

この言葉は、批判的読書の本質を端的に表現しています。ショーペンハウアーにとって、読書は単なる情報の受容ではなく、能動的な意味の構築プロセスだったのです。

哲学者の野家啓一は、ショーペンハウアーの批判的読書の概念について次のように述べています。

「ショーペンハウアーが提唱する批判的読書は、テキストと読者の間の対話を促進します。これは単なる情報の受容ではなく、能動的な意味の構築プロセスなのです。この過程で、読者は自らの経験や思考と照らし合わせながら、テキストの内容を批判的に検討し、新たな洞察を得ることができるのです」

(野家啓一『科学の解釈学』、1993年)

批判的読書の具体的な方法として、ショーペンハウアーは以下のようなアプローチを提案しています。

  1. 著者の主張の根拠を常に問う

  2. 自分の経験や知識と照らし合わせる

  3. 異なる著者の見解を比較検討する

  4. 読んだ内容について深く考察し、自分の意見を形成する

このような批判的読書は、単なる知識の蓄積ではなく、思考力の向上と独自の洞察の獲得につながるとショーペンハウアーは考えました。

文学研究者のハロルド・ブルームは、ショーペンハウアーの批判的読書の概念を発展させ、「強い読み」(原文:strong reading)という概念を提唱しています。

「強い読みとは、テキストに対して創造的な誤読を行うことである。これは、テキストの意味を単に受容するのではなく、読者自身の創造的解釈を通じて新たな意味を生み出すプロセスである」

(ハロルド・ブルーム『影響の不安』、1973年)

ブルームの「強い読み」の概念は、ショーペンハウアーの批判的読書の思想を現代的に発展させたものと言えるでしょう。

読書の真価を問う

 以上の考察から、ショーペンハウアーの「自分の頭で考える」という主張は、単なる読書批判ではなく、知識獲得と思考のあり方に関する深い洞察を含んでいることが分かります。彼の思想は、現代の情報社会においても重要な示唆を与えてくれるものといえるでしょう。

ショーペンハウアーの読書論は、知識の本質と獲得方法に関する根本的な問い直しを含んでいます。彼は、真の知識が単なる情報の蓄積ではなく、個人の直接的な経験と深い思索を通じて得られるものであることを強調しました。同時に、適切な方法で行われる読書の価値も認め、批判的読書の重要性を説いています。

この思想は、現代の情報過多社会において、私たちがどのように知識を獲得し、理解を深めていくべきかについて、重要な示唆を与えてくれるものです。ショーペンハウアーの読書論は、単なる読書の技法ではなく、知識と思考の本質に関する深遠な哲学的考察なのです。

 明日は、良書と悪書の区別や古典の重要性、そして具体的な読書方法を最後に紹介しながら、締めくくりとしていきたいと思います。


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