贈り物の進化論 2/3「世界は贈与でできている」
昨日からは「世界は贈与でできている」を元に、贈与論の根源とその批判、贈与論の系譜などを包括的に論じてきました。今日はより具体的にイメージしやすい「贈与」という行為について取り上げていきます。
デジタル時代における贈与の変容
デジタル技術の急速な発展は、贈与の概念と実践に大きな変革をもたらしています。インターネットとソーシャルメディアの普及により、贈与の範囲と形態が大きく拡大し、新たな可能性と課題が生まれています。
まず注目すべきは、オープンソースソフトウェア(OSS)運動に代表される、知識とスキルの贈与です。OSSの思想的リーダーであるリチャード・ストールマン(1953-)は、ソフトウェアの自由な共有と改変を主張し、「コピーレフト」という概念を提唱しました。ストールマンは次のように述べています。
この思想は、デジタル時代における贈与の新たな形態を示唆しています。OSSの開発モデルは、個人の自発的な貢献が集合的な創造性を生み出す典型的な例と言えるでしょう。
OSSの成功は、贈与経済が市場経済と共存し、時にはそれを凌駕する可能性があることを示しています。例えば、Linuxオペレーティングシステムやアパッチウェブサーバーなど、多くの重要なインフラストラクチャーソフトウェアがOSSとして開発されています。これらのプロジェクトは、伝統的な企業組織ではなく、分散型の贈与ネットワークによって維持されているのです。
さらに、ウィキペディアに代表される集合知プロジェクトも、デジタル時代の贈与の一形態と捉えることができます。ウィキペディア創設者のジミー・ウェールズ(1966-)は、次のように述べています。
ウェールズの言葉は、知識の贈与が持つ普遍的な価値を示唆しています。ウィキペディアのような集合知プロジェクトは、知識の生産と共有のあり方を根本的に変革し、新たな公共圏を創出する可能性を秘めています。
これらのプロジェクトの成功は、デジタル時代における贈与の力を示す証左と言えるでしょう。しかし、同時に新たな課題も浮上しています。例えば、OSSやウィキペディアの持続可能性や質の管理、参加者のモチベーション維持などが重要な問題となっています。
一方で、ソーシャルメディアの発展は、日常的な贈与の形態にも大きな影響を与えています。「いいね」や「シェア」といった行為は、デジタル空間における新たな贈与の形態と捉えることができます。しかし、これらの行為の意味や価値については議論の余地があります。
メディア理論家のジョディ・ディーン(1962-)はソーシャルメディア上のコミュニケーションを「伝達的資本主義」として批判的に分析しています。ディーンは次のように述べています。
この視点は、ソーシャルメディア上の「いいね」や「シェア」といった行為が、真の意味での贈与ではなく、空虚な循環に陥る危険性を示唆しているでしょう。こうした物が存在しない
ブロックチェーンと贈与の新たな可能性
ブロックチェーン技術の登場は、贈与の概念と実践に新たな可能性をもたらしていると考えられるでしょう。ブロックチェーンは、分散型台帳技術として知られ、中央集権的な管理者を必要とせずに、信頼性の高い取引や記録の管理を可能にする技術のことです。
ブロックチェーン技術の創始者の一人であるサトシ・ナカモト(仮名)は、ビットコインの原論文(2008)において次のように述べています。
このビジョンは、中間者を介さない直接的な価値の移転を可能にし、贈与の新たな形態を生み出す可能性を示唆しています。
例えば、ブロックチェーン上で実装される「スマートコントラクト」は、贈与の条件や履行を自動化することができます。これにより、贈与の信頼性と透明性が高まり、より複雑な贈与の形態が可能になるかもしれません。
また、暗号通貨を利用した寄付システムは、国境を超えた即時の価値移転を可能にし、グローバルな贈与ネットワークの構築を促進する可能性があります。例えば、災害時の緊急支援や、政治的に敏感な地域への支援などにおいて、ブロックチェーン技術は重要な役割を果たす可能性があります。
ブロックチェーン技術者のヴィタリック・ブテリン(1994-)は、次のように述べています。
ブテリンが語る内容は、贈与が中央集権的な権力や制度に依存せずに行われる可能性を示唆していると言えるでしょう。
しかし、ブロックチェーン技術の贈与への応用には課題もあります。例えば、技術的な障壁や、匿名性に起因する倫理的問題、環境への影響などが指摘されています。これらの課題に対処しつつ、ブロックチェーン技術の可能性を最大限に活かすことが重要となってくるはずです。こうした現代における贈与論も考察していく余地があるでしょう。
人工知能(AI)と贈与の未来
ここ数年で稀に見るAI技術の急速な発展は、贈与の概念と実践にも大きな影響を与える可能性があります。AIは、贈与のプロセスを最適化し、新たな形態の贈与を可能にする一方で、贈与の本質的な意味を変容させる可能性も秘めています。
まず、AIは贈与のマッチングや最適化を支援する可能性があります。例えば、個人の嗜好や状況を分析し、最適な贈り物を提案するAIシステムが考えられます。また、社会全体の資源分配を最適化するAIシステムは、より効率的で公平な贈与のネットワークを構築する可能性があります。
AIの先駆者の一人であるスチュアート・ラッセル(1962-)は、次のように述べています。
この視点は、AIが人間の価値観や意図を理解し、それに基づいて贈与を支援する可能性を示唆しています。
一方で、AIの発展は贈与の本質的な意味を変容させる可能性もあります。例えば、AIが人間の感情や意図を模倣し、「贈与」を行うことが可能になった場合、それは真の意味での贈与と言えるでしょうか。
またAI倫理学者であるトビー・オードリッヒ(1986-)は、次のように警告しています。
この警告は、技術の発展と人間性の維持のバランスを取ることの重要性を示唆しているでしょう。
バーチャル・リアリティ(VR)と贈与の新次元
VR技術の発展は、贈与に全く新しい次元をもたらす可能性があります。VRは、物理的な制約を超えた贈与の形態を可能にし、贈与の体験を根本的に変革する可能性を秘めています。
例えば、VR空間内での「バーチャル贈与」は、物理的な贈与とは全く異なる性質を持つ可能性があります。バーチャルアイテムや体験の贈与は、現実世界の制約を受けず、より創造的で個人化された贈与を可能にするかもしれません。
VRの先駆者の一人であるジャロン・ラニアー(1960-)は、次のように述べています。
VRが贈与の概念と実践を根本的に変革する可能性が考えられます。
しかし、VRにおける贈与には課題もあります。例えば、バーチャル空間での贈与が現実世界での人間関係にどのような影響を与えるのか、バーチャル贈与の価値をどのように評価するのかなど、多くの問題が浮上していますが、それは同時に新たな機会点とも呼べるものでしょう。
テクノロジーと贈与の未来
これまで見てきたように、デジタル技術、ブロックチェーン、AI、VRなどの先端技術は、贈与の概念と実践に大きな変革をもたらす可能性を秘めています。これらの技術は、贈与の範囲を拡大し、新たな形態を生み出す一方で、贈与の本質的な意味や価値に対する再考を促しています。
技術哲学者のバーナード・スティグラー(1952-2020)は、テクノロジーと人間性の関係について次のように述べています。
スティグラーの洞察は、テクノロジーが贈与の実践だけでなく、贈与の概念そのものを変容させる可能性を示唆しています。
近内悠太氏の『世界は贈与でできている』は、このようなテクノロジーの発展が贈与にもたらす影響を考察する上で重要な視点を提供しています。近内氏は、贈与を単なる物質的な交換ではなく、人々のつながりや社会の基盤を形成する重要な原理として捉えています。この視点は、テクノロジーがもたらす贈与の変容を評価する上で重要な基準となるでしょう。
テクノロジーと贈与の関係を考える上で重要なのは、技術の発展と人間性の維持のバランスを取ることです。テクノロジーは贈与の可能性を大きく広げましたが、それを真に意味のある贈与として実践するには、人間の意志と配慮が不可欠です。
最後に、社会学者のマニュエル・カステル(1942-)の言葉を引用して、この部を締めくくりたいと思います。
この洞察は、贈与とテクノロジーの関係にも当てはまります。テクノロジーは贈与の新たな可能性を開くツールですが、それをどのように活用し、どのような社会を作るかは、私たち人間の選択にかかっているのです。
テクノロジーがもたらす贈与の変容を前に、私たちは贈与の本質的な意味や価値を見失うことなく、新たな可能性を探求していく必要があるでしょう。それは、より豊かで持続可能な社会を構築するための重要な課題の一つと言えるのです。
今日はテックに焦点を当てた記事となった為、読みにくさを感じた方もいるかもしれません。ただ、生活に浸透していくテクノロジーを無視することなく少しでも理解しておくことが生活を豊かにすることにも繋がるでしょう。AIとの対話や、第4次産業革命とも言える今の時代で新たな「余白」の中で生まれる「贈与」の形を皆さんと再考できれば幸いです。