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他者との終わりなき対話から見る利他的行為の再構築 "「利他」とは何か1/4"

「利他」の多面的探求

 今日から取り上げる『「利他」とは何か』は、伊藤亜紗さん、中島岳志さん、若松英輔さん、國分功一郎さん、磯崎憲一郎さんという5人の著名な思想家、哲学者、執筆家、研究者による対談を通じて、利他の概念を多角的に探求した画期的な書籍です。本書を通じて、従来の利他概念に新たな光を当て、現代社会における利他の意義と可能性を探っていきましょう。

利他の概念は、哲学、倫理学、宗教学、生物学、心理学、社会学など、多岐にわたる学問分野で議論されてきました。『「利他」とは何か』の内容を中心に据えつつ、これらの多様な視点を統合し、利他という概念の全体像を描き出すことをしていきたいと思います。

身体性と他者性

 伊藤亜紗さんは、『「利他」とは何か』において、身体論の観点から利他を捉え直すという斬新な視点を提示しています。伊藤は次のように述べています。

「身体は、他者との関係性を構築する上で重要な役割を果たしています。私たちは身体を通じて他者を感じ、理解し、そして関わっていくのです」

この視点は、利他を単なる抽象的な概念ではなく、具体的な身体的経験として捉え直すことを提案しています。例えば、介護や看護といった身体的なケアの行為は、まさに身体を通じた利他の実践と言えるでしょう。

この視点は、現象学的な身体論とも深く関連しています。フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティ(1908-1961)は、『知覚の現象学』(1945)において、身体を通じた世界理解の重要性を強調しました。メルロ=ポンティは次のように述べています。

「私の身体は、単なる物体の一つではなく、世界を知覚し、理解するための媒体なのです」

メルロ=ポンティ

この視点を利他の文脈に適用すると、他者への共感や理解も、まず身体的な次元で生起するものだと考えることができます。例えば、他者の苦痛を見たときに感じる身体的な反応(心拍数の上昇や筋肉の緊張など)は、利他的行動の基盤となる可能性があります。

さらに、伊藤さんは障害のある人々との関わりを通じて得られた洞察から、利他の新たな可能性を探っています。

「障害のある人との関わりは、私たちに『正常』や『健常』という概念を問い直す機会を与えてくれます。そこには、従来の利他概念を超えた、新たな関係性の可能性が潜んでいるのです」

伊藤亜紗さん

この視点は、障害学の分野でも重要な論点となっています。例えば、アメリカの障害学者トム・シェイクスピア(1966-)は、『Disability Rights and Wrongs Revisited』(2013)において、障害を個人の問題ではなく社会的な構築物として捉える社会モデルの重要性を主張しています。

シェイクスピアの視点を伊藤の議論と結びつけると、利他的行為は単に個人から個人への一方向的な支援ではなく、社会全体の在り方を問い直し、より包摂的な関係性を構築していく過程として捉えることができるでしょう。

他者性の再考

 中島岳志さんは、『「利他」とは何か』において、他者性の問題を深く掘り下げています。中島は次のように問いかけます。

「私たちは本当に他者を理解できるのでしょうか。そもそも、完全な他者理解は可能なのでしょうか」

この問いは、利他の根本的な前提を揺るがすものです。他者を完全に理解することが不可能だとすれば、真の意味での利他は可能なのでしょうか。

中島さんはこの問いに対して、次のような示唆的な回答を提示しています。

「完全な他者理解は不可能かもしれません。しかし、だからこそ私たちは他者に向き合い続ける必要があるのです。利他とは、この終わりのない他者との対話の過程そのものなのかもしれません」

中島岳志さん

この視点は、フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナス(1906-1995)の他者論とも深く共鳴しています。レヴィナスは『全体性と無限』(1961)において、他者の顔との出会いが倫理の始まりであると主張しました。レヴィナスは次のように述べています。

「他者の顔は、私に無限の責任を課す。それは、他者を殺してはならないという倫理的命令の源泉なのです」

エマニュエル・レヴィナス

レヴィナスの思想を中島さんの議論と結びつけると、利他とは他者の絶対的な他者性を認識しつつ、それでもなお関係性を築こうとする終わりなき試みだと捉えることができるでしょう。

さらに、中島さんの視点は、現代の認知科学の知見とも興味深い関連性を持っています。例えば、認知科学者のダニエル・デネット(1942-)は、『解明される意識』(1991)において、他者の心を完全に理解することの困難さを指摘しています。デネットは、我々が他者の心を理解しようとする際に用いる「志向姿勢」(intentional stance)という概念を提唱しました。

デネットの理論を中島の議論に適用すると、利他的行為は他者の心を完全に理解することを前提とするのではなく、むしろ他者の意図や欲求を推測し、それに基づいて行動することだと考えることができます。この視点は、完全な他者理解の不可能性を認識しつつも、なお利他的に行動することの可能性を示唆しています。

利他と自己犠牲の関係性

 國分功一郎さんは、『「利他」とは何か』において、利他と自己犠牲の関係性について鋭い洞察を提供しています。

「利他を自己犠牲と同一視する傾向がありますが、これは問題があります。真の利他とは、自己を否定することではなく、自己と他者の新たな関係性を構築することなのです」

この視点は、従来の利他概念に大きな転換をもたらします。利他を自己の否定ではなく、自己と他者の両立可能性として捉え直すことで、より持続可能な利他の実践が可能になるかもしれません。

國分さんの視点は、心理学者のエーリッヒ・フロム(1900-1980)の思想とも深く関連しています。フロムは『愛するということ』(1956)において、成熟した愛は自己と他者の両立を可能にするものだと主張しました。フロムは次のように述べています。

「成熟した愛においては、自己の統合性(integrity)を保ちながら、同時に他者と一つになることができるのです」

エーリッヒ・フロム

フロムの思想を國分の議論と結びつけると、真の利他とは自己を否定することではなく、むしろ自己を十全に発揮しながら他者と関わることだと捉えることができるでしょう。

さらに、國分さんの視点は、進化生物学の最新の知見とも興味深い関連性を持っています。例えば、進化生物学者のマーティン・ノヴァク(1965-)は、『SuperCooperators』(2011)において、協力行動の進化メカニズムを数学的に分析しています。ノヴァクの研究によれば、長期的な視点で見れば、利他的な戦略が進化的に安定しうることが示されています。

ノヴァクの理論を國分の議論に適用すると、利他的行動は必ずしも短期的な自己犠牲を意味するのではなく、長期的には自己の利益にもつながりうる戦略だと考えることができます。この視点は、利他と利己を対立的に捉えるのではなく、両者の相互依存的な関係性に注目することの重要性を示唆しています。

身体性と他者性から見る利他の新たな地平

 これまでの考察を踏まえると、身体性と他者性の観点から利他を捉え直すことで、従来とは異なる利他の可能性が浮かび上がってきます。

まず、伊藤亜紗さんの身体論的アプローチは、利他を抽象的な概念から具体的な身体的実践へと引き戻します。この視点は、日常生活における些細な身体的配慮(例えば、電車内で高齢者に席を譲るなど)も重要な利他的行為として捉え直すことを可能にします。

同時に、中島岳志さんの他者性に関する考察は、利他の根本的な難しさと可能性を示唆しています。他者を完全に理解することは不可能かもしれませんが、だからこそ私たちは他者との関係性を絶えず更新し続ける必要があります。この終わりなき対話のプロセスそのものが、新たな形の利他を生み出す可能性を秘めているのです。

さらに、國分功一郎の利他と自己犠牲に関する洞察は、持続可能な利他の実践に向けた重要な視座を提供しています。利他を単なる自己否定ではなく、自己と他者の新たな関係性の構築として捉え直すことで、より長期的で実効性のある利他の形が見えてくるでしょう。

これらの視点を統合すると、利他とは単なる善行や自己犠牲ではなく、身体を通じた他者との具体的な関わり、他者性の絶えざる探求、そして自己と他者の新たな関係性の構築という、多面的で動的なプロセスとして捉えることができます。

このような利他の捉え方は、現代社会が直面する様々な課題に対しても新たな示唆を与えてくれるかもしれません。例えば、高齢化社会における介護の問題や、多文化共生社会における異文化理解の課題など、身体性と他者性が密接に関わる問題に対して、より豊かなアプローチを提供する可能性があります。

同時に、この新たな利他の捉え方は、個人の日常生活にも大きな影響を与える可能性があります。他者との関わりを単なる義務や負担としてではなく、自己と他者の双方を豊かにする可能性を秘めた創造的なプロセスとして捉え直すことで、日々の人間関係や社会参加のあり方が変わってくるかもしれません。

利他の視点から何を考えるか

 最後に、この新たな利他の視点は、教育や人材育成の分野にも重要な示唆を与えてくれるかもしれません。身体性と他者性を重視した利他の教育は、単に道徳的規範を教え込むのではなく、具体的な身体的経験や他者との深い対話を通じて、利他的な態度や行動を育成することを可能にするとは思えないでしょうか。

『「利他」とは何か』で展開された身体性と他者性に関する議論は、利他概念に新たな地平を開くとともに、現代社会における様々な課題に対する新たなアプローチの可能性を示唆していると言えるでしょう。

明日からも更に本書をベースにしながら「利他」という行為について深掘りをしていきます!


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