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能力主義批判の核心 "実力も運のうち3/4"

「才能」の概念の再検討

 昨日は教育システムにおける不平等の再生産や、労働市場における格差の拡大、そして能力主義がもたらす政治的分断の問題に焦点を当てて考察を進めてきました。今日はよりその核心に迫った考察を進めていきます。

マイケル・サンデルの能力主義批判の核心は、私たちが「才能」や「努力」と呼んでいるものの本質を問い直すことにあります。彼は、個人の才能を純粋に個人の所有物とみなす考え方に疑問を投げかけます。

サンデルは次のように問いかけています。

「自分の才能や能力は、本当に自分のものと言えるだろうか?それとも、それらは偶然の産物、あるいは社会からの贈り物なのだろうか?」

マイケル・サンデル『実力も運のうち』

この問いは、私たちの「才能」や「能力」の源泉を根本的に再考するよう促します。遺伝的要因、生まれ育った環境、受けた教育など、個人の力ではコントロールできない要素が、私たちの才能の形成に大きな役割を果たしているのではないでしょうか。

哲学者のジョン・ロールズ(1921-2002)は『正義論』(1971)において、才能の分配を「自然くじ」の結果として描写しました。

「才能や能力の分配は、ある意味で自然くじの結果であり、道徳的な観点からは恣意的なものである。」

ジョン・ロールズ『正義論』

ロールズの視点は、個人の才能を純粋な個人の功績とみなすことの難しさを示唆しています。

さらに、心理学者のアンジェラ・ダックワース(1970-)は、『やり抜く力』(2016)において、才能の発達には環境要因が大きく影響することを指摘しています。

「才能の開花には、適切な環境、機会、そして長期的な支援が不可欠です。純粋な個人の資質だけでなく、それを育てる社会的文脈も同様に重要なのです。」

アンジェラ・ダックワース『やり抜く力』

ダックワースの研究は、才能が単なる生まれつきの資質ではなく、環境との相互作用の中で形成されていくことを示しています。

あなたの「才能」や「能力」は、どの程度あなた自身の力で獲得したものだと考えられるでしょうか。また、それらの形成に社会や環境がどのような影響を与えたと思いますか?例えば、あなたの得意分野や特技は、どのような経験や環境の中で育まれてきたか考えることで、このような考察がより才能というものへの考えを深めてくれるでしょう。

「努力」の再解釈

 サンデルは「努力」の概念についても鋭い分析を加えています。一般的に、努力は個人の意志の産物とみなされがちですが、サンデルはこの見方にも疑問を投げかけます。

「努力する能力や意欲それ自体が、生まれや育ちの環境に大きく影響されているのではないだろうか。」

マイケル・サンデル『実力も運のうち』

この視点は、「努力」を純粋に個人の功績とみなすことの難しさを示唆しています。例えば、幼少期から努力の価値を教えられ、それを支援する環境で育った子どもと、そうでない環境で育った子どもでは、「努力する能力」に大きな差が生じる可能性があります。

社会学者のピエール・ブルデュー(1930-2002)は、この点について「ハビトゥス」という概念を用いて説明しています。

「個人の行動様式や価値観は、社会的環境によって無意識のうちに形成される。これは努力する能力にも当てはまる。」

ピエール・ブルデュー

ブルデューの理論は、個人の努力が純粋に個人の意志の産物ではなく、社会的・文化的な文脈の中で形成されることを示唆しています。

さらに、心理学者のキャロル・ドゥエック(1946-)は、『マインドセット』(2006)において、努力に対する態度が環境によって大きく影響を受けることを指摘しています。

「努力を価値あるものとみなす「成長マインドセット」と、才能は生まれつきのものだとする「固定マインドセット」があります。どちらのマインドセットを持つかは、個人を取り巻く環境や教育に大きく影響されるのです。」

キャロル・ドゥエック『マインドセット』

ドゥエックの研究は、努力する意欲や能力が、個人の内面的な特質だけでなく、周囲の価値観や教育方針によって形成されることを示しています。

あなたの人生で「努力」の意味や価値がどのように変化してきたか、振り返ってみると気づきが多いかもしれません。最強メンタルや「やればできる」というマッチョな思想は我々yohakuの考え方とは少し離れたところにありますが、だからこそ考察する甲斐があります。

成功の偶然性

 サンデルは、個人の成功における「運」や「偶然」の役割にも注目します。彼は、たとえ才能があり努力をしたとしても、成功するためには適切な機会や環境が必要であると指摘します。

例えば、優れたプログラマーが成功するためには、コンピュータ技術が発展し、そのスキルが高く評価される時代に生まれる必要があります。これは個人ではコントロールできない偶然の要素です。

例えば経済学者のロバート・フランク(1945-)は、『運と成功の経済学』(2016)において次のように述べています。

「才能と努力は成功の必要条件かもしれないが、十分条件ではない。適切な時代や場所に生まれるという運も同様に重要である。」

ロバート・フランク『運と成功の経済学』

フランクの指摘は、成功における偶然性の重要性を強調していると言えるでしょう。

さらに、心理学者のダニエル・カーネマン(1934-)は、『ファスト&スロー』(2011)において、成功の評価における認知バイアスの影響を指摘しています。

「人間には成功を個人の資質に帰属させる傾向があります。これは「結果バイアス」と呼ばれ、成功の背後にある偶然の要素を過小評価させてしまいます。」

ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』

カーネマンの研究は、私たちが成功を評価する際に、無意識のうちに偶然の要素を軽視してしまう傾向があることを示しています。

あなたの人生で経験した「成功」や「失敗」において、運や偶然はどのような役割を果たしたと考えられるでしょうか。また敢えて評価するとするなら、それらの経験をどのように評価すべきだと考えますか?例えば、あなたのキャリアにおいて、偶然の出会いや予期せぬ機会がどのような影響を与えてきたかを自覚したことはあるでしょうか。

能力主義イデオロギーの問題点

 サンデルは、これらの考察を踏まえて、現代社会における能力主義イデオロギーの問題点を指摘します。彼によれば、能力主義は以下のような弊害をもたらしています。

  1. 成功者の傲慢:自らの成功を純粋に個人の才能と努力の結果だと考え、他者への共感を失う。

  2. 敗者の自己否定:失敗を完全に自己責任と捉え、自尊心を失う。

  3. 社会の分断:能力による階層化が進み、異なる階層間の対話や理解が失われる。

  4. 労働の意味の歪曲:高い報酬を得られる仕事のみが価値あるものとみなされ、社会に不可欠な多くの仕事が軽視される。

哲学者のマイケル・ウォルツァー(1935-)は『正義の領分』(1983)において、次のように述べています。

「ある領域での成功が、他の領域での優位性に直結するべきではない。それぞれの社会的財は、その固有の分配原理に基づいて分配されるべきだ。」

マイケル・ウォルツァー『正義の領分』

ウォルツァーの主張は、能力主義が社会のあらゆる領域を支配することの危険性を示唆しています。多元性におけるこうした理解はとても重要でしょう。

さらに、社会学者のリチャード・セネット(1943-)は、『不安な経済/漂流する個人』(1998)において、能力主義がもたらす心理的影響について次のように警告しています。

「能力主義社会では、個人の価値が常に評価にさらされ、失敗が個人の全人格的な欠陥として捉えられる危険性があります。これは深刻な心理的ストレスや社会的分断をもたらす可能性があるのです。」

リチャード・セネット『不安な経済/漂流する個人』

セネットの指摘は、能力主義が個人の尊厳や社会の連帯感を脅かす可能性があることを示唆しています。

能力主義に代わる、より公正で包摂的な社会原理はあり得るでしょうか。もしあるとすれば、それはどのようなものでしょうか。例えば、個人の能力や成果以外に、どのような価値を社会は重視すべきなのか、時代毎の変化もあるでしょう。

能力主義批判の核心

 サンデルの能力主義批判は、私たちに根本的な問いを投げかけています。個人の才能や努力、そして成功をどのように評価し、報いるべきか。社会の公正さをどのように実現すべきか。これらの問いに対する答えは、新たな社会ビジョンの構築につながるものだと言えます。

明日は「実力も運のうち」の最終回です。サンデルが提案する新たな社会ビジョンについて詳しく見ていきます。「運の平等主義」や「貢献の倫理」といった概念を通じて、より公正で包摂的な社会の可能性を探っていきましょう。その過程で、読者の皆さん一人一人が、自身の価値観や社会観を振り返り、より良い社会の在り方について考えを深めていただければ幸いです。

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