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能力主義がもたらす社会的分断と不平等"実力も運のうち2/4"

 前回の部では、能力主義社会の起源と発展を振り返り、啓蒙思想や産業革命を通じて能力主義が形成され、教育制度や労働市場に制度化されてきた経緯を探りました。啓蒙思想家たちが提唱した能力主義は、個人の才能や努力に基づく社会的地位を追求しましたが、産業革命がもたらした急激な社会変化は、新たな格差と社会問題を生み出しました。

第二部では、現代の能力主義社会がもたらす具体的な問題と課題について詳しく検討していきます。特に、教育システムにおける不平等の再生産や、労働市場における格差の拡大、そして能力主義がもたらす政治的分断の問題に焦点を当てていきます。これらの考察を通じて、能力主義社会の深層に潜む矛盾と、それを乗り越えるための新たな社会ビジョンの必要性を示していきます。

教育システムにおける能力主義の弊害

 現代社会において、教育システムは能力主義を具現化する最も重要な装置の一つとなっています。しかし、サンデルは『実力も運のうち』で、この仕組みが実際には社会的分断と不平等を助長していると指摘しています。

特に問題となるのが、大学入試制度です。サンデルは、アメリカの名門大学における入学者の社会経済的背景を分析し、次のような驚くべき事実を明らかにしています。

「ハーバード大学やスタンフォード大学の学生の三分の二は、所得規模で上位五分の一に当たる家庭の出身だ。一方、下位五分の一に当たる家庭の出身者は四%にも満たない。」

マイケル・サンデル「実力も運のうち」

この数字は、能力主義を標榜する大学入試制度が、実際には社会経済的背景による選別機能を果たしていることを如実に示しています。

このような状況を見て、大学入試は本当に「公平」で「実力本位」だと言えるでしょうか?

日本の教育社会学者、苅谷剛彦は『階層化日本と教育危機』において、このような現象を「学歴の階層化」と呼び、次のように分析しています。

「教育における能力主義は、表面上は公平な競争を提供しているように見えるが、実際には家庭環境による学力格差を固定化し、社会的不平等を再生産する機能を果たしている。」

苅谷剛彦『階層化日本と教育危機』

苅谷の指摘は、教育システムにおける能力主義が、意図せずして既存の社会階層を固定化する役割を果たしていることを示唆しています。

この問題は、単に大学入試の問題にとどまりません。初等・中等教育の段階から、家庭の経済状況や文化資本の差が子どもたちの学力や進学機会に大きな影響を与えています。例えば、塾や家庭教師といった学校外教育へのアクセス、あるいは家庭での学習環境の質の違いが、子どもたちの学力格差を生み出す要因となっているのです。

さらに、サンデルは、このような教育システムが学生たちの心理にも深刻な影響を与えていると指摘します。成功した学生は自分の才能と努力だけで成功したと思い込み、一方で失敗した学生は自分に価値がないと感じてしまう。このような心理的影響は、社会の分断をさらに深める要因となっているのです。

労働市場における能力主義の限界

 教育システムにおける能力主義の問題は、そのまま労働市場にも反映されます。サンデルは、現代の労働市場が学歴や専門性を過度に重視するあまり、多様な才能や貢献を適切に評価できていないと指摘します。

特に問題なのは、いわゆる「認知的エリート」と呼ばれる高学歴層と、それ以外の労働者の間の格差が拡大していることです。アメリカの経済学者トマス・ピケティは『21世紀の資本』において、このような傾向を次のように分析しています。

「過去数十年間、高度な教育を受けた労働者の所得は急激に上昇する一方、そうでない労働者の所得は停滞または減少している。この傾向は、技術革新と経済のグローバル化によってさらに加速されている。」

トマ・ピケティ『21世紀の資本』

ピケティの指摘は、能力主義的な労働市場が、実際には社会的格差を拡大する方向に機能していることを示しています。

この問題は、単に所得格差の問題にとどまりません。サンデルは、現代社会が特定の種類の「才能」や「能力」を過度に評価する一方で、他の重要な技能や貢献を軽視している点を批判しています。例えば、金融業界のアナリストや IT企業のプログラマーの報酬が急騰する一方で、介護労働者や保育士の待遇が改善されないといった現象が、その典型例と言えるでしょう。

さらに、AI(人工知能)やロボット技術の発展により、従来人間が担ってきた多くの仕事が自動化される可能性が高まっています。このような技術革新は、労働市場における格差をさらに拡大させる可能性があります。高度な専門性を持つ人々はより高い報酬を得られる一方で、自動化可能な仕事に従事してきた多くの労働者が職を失う危険性があるのです。

政治的分断と能力主義

 サンデルは、能力主義がもたらす問題が単に経済的格差にとどまらず、深刻な政治的分断をも引き起こしていると指摘します。特に、高学歴エリート層と、そうでない層の間の政治的対立が顕著になっていると彼は主張します。

アメリカの政治学者ロバート・パットナムは『我々の子供たち』において、このような分断の実態を次のように描写しています。

「高学歴層と低学歴層の間には、単に所得格差だけでなく、価値観や生活様式、そして政治的志向における深い溝が存在する。この分断は、社会の結束力を弱め、民主主義の機能不全をもたらしている。」

ロバート・パットナム『我々のこども』

パットナムの分析は、能力主義がもたらす社会的分断が、単なる経済問題を超えて、民主主義の根幹を揺るがす政治的課題となっていることを示唆しています。

サンデルは、このような政治的分断の背景に、能力主義的エリートの「傲慢さ」があると指摘します。高学歴層が自らの成功を純粋に個人の才能と努力の結果だと考えるあまり、異なる背景を持つ人々の視点や経験を軽視してしまう傾向があるというのです。

この傲慢さは、政策立案の場面でも問題を引き起こします。エリート層出身の政治家や官僚が、自分たちの経験や価値観に基づいて政策を立案するため、社会の多様な層の声が政策に反映されにくくなるのです。これは、民主主義の理念である「国民の声を反映した政治」を歪めてしまう危険性があります。

さらに、このような分断は、ポピュリズムの台頭にも結びついています。エリート層への不信感や怒りが、既存の政治システムへの反発となって表れ、時に極端な政治的主張を支持する動きにつながっているのです。2016年のアメリカ大統領選挙におけるドナルド・トランプの勝利や、イギリスのEU離脱決定は、このような政治的分断の結果とも言えるでしょう。

以上のように、サンデルの分析は、能力主義が教育、労働、政治の各領域において深刻な分断と不平等を生み出していることを明らかにしています。これらの問題は、単に個人の努力や才能の問題に還元できるものではなく、社会システム全体の再考を迫るものだと言えるでしょう。

能力主義がもたらすこれらの問題を解決するために、私たちはどのような社会を目指すべきでしょうか? 個人の能力や努力を適切に評価しつつ、同時により公平で包摂的な社会を実現する方法はあるのでしょうか?

これらの問いに対する答えは簡単ではありません。しかし、サンデルの指摘するように、まずは私たち一人一人が、自分の成功や失敗を純粋に個人の力だけの結果とみなす考え方を見直す必要があるのかもしれません。社会全体の仕組みや、個人を取り巻く環境の影響を認識し、より謙虚で共感的な態度を持つことが、分断を乗り越える第一歩となるかもしれないのです。

明日は、サンデルが提示する能力主義批判の核心に迫り、「才能」や「努力」の概念をより深く掘り下げて検討していきます。これらの考察を通じて、私たちが当然視してきた「実力」や「成功」の概念を根本から問い直し、新たな社会の可能性を探っていきましょう。


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