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余白、傲慢と善良、中庸を行き来する "ラッセルの幸福論3/3"

幸福に縛られず幸福を考える

 今日まで約2週間に渡り続けてきた幸福に対しての考察を締めくくりたいと思います。ラッセルの思想を現代的文脈で捉え直すことで、私たち一人一人が幸福について深く考えるきっかけになれば幸いです。

ラッセルの「幸福論」が執筆されてから約90年が経過し、世界は急速なグローバル化を経験しました。この変化は、幸福の概念や追求の在り方にも大きな影響を与えています。グローバル化時代において、ラッセルの幸福論はどのような意義を持ち、どのような課題に直面しているでしょうか。

グローバル化がもたらした幸福観への影響は、以下のような点で顕著です。

  1. 文化的多様性:異なる文化の価値観や幸福観との接触が増加。

  2. 経済的格差:グローバル経済による富の偏在が幸福感に影響。

  3. 情報過多:インターネットによる情報の氾濫が幸福の基準を複雑化。

  4. 環境問題:地球規模の環境問題が幸福の持続可能性に影響。

  5. 移動の自由:国境を越えた移動が増加し、所属の概念が変化。

ラッセルの幸福論は、このようなグローバル化の文脈においても重要な示唆を与えています。例えば、彼の「外的興味」の概念は、異文化理解や国際的な市民権の基礎となる考え方と言えるでしょう。

社会学者のウルリッヒ・ベック(1944-2015)は、グローバル化時代の幸福について次のように述べています:「グローバル化は、幸福の源泉を多様化させる一方で、新たなリスクも生み出している。ラッセルの幸福論は、このような複雑な状況下での個人の在り方に重要な指針を与えている」

ベックの指摘は、グローバル化がもたらす機会とリスクの両面を捉えています。例えば、異文化交流の機会が増えることで、個人の視野が広がり、新たな幸福の源泉を見出せる可能性がある一方で、自己のアイデンティティや価値観の揺らぎといったリスクも生じています。

グローバル化というと、人によっては少し日常と離れた感覚があるかもしれません。しかし異文化との接触や、世界規模の問題への意識というのは、日常において同じ国籍、同じ土地で生まれた人への想像力を働かせることと、近しい感覚でもあります。そこに言語や文化の違いが明確にあるか程度です。

ラッセルの述べる「外的興味」や「社会との調和」といった考え方は、現代社会においてどのような意味を持つでしょうか?

経済的繁栄と幸福のパラドックス

 現代社会は、人類史上最高レベルの経済的繁栄を実現しています。しかし、この経済的繁栄は必ずしも人々の幸福度の向上につながっていないという矛盾も指摘されています。この現象は、ラッセルの幸福論にどのような新たな視点を加えるでしょうか。

経済学者のリチャード・イースタリン(1926-)は、「イースタリンのパラドックス」として知られる研究で、一定水準以上の所得の増加は必ずしも幸福度の向上につながらないことを示しました。イースタリンは次のように述べています:「経済成長は短期的には幸福度を上げるが、長期的にはその効果は薄れる。これは、人々の欲求が相対的なものであり、常に上昇していくためである」(イースタリン、1974)。

この洞察は、ラッセルが批判した「競争心」の問題と深く結びついています。経済的な競争が激化する中で、人々は常に他者との比較に囚われ、真の満足を得ることが難しくなっているのです。

一方で、以前も紹介したセンのケイパビリティ・アプローチは、ラッセルの「外的興味」や「自己実現」の概念と通じるものがあります。経済的繁栄は、それ自体が目的ではなく、人々の可能性を広げ、より充実した生活を送るための手段として捉えられるべきだという視点です。

あなたの人生、いや生活において、経済的成功と幸福感はどのような関係にあるでしょうか。物質的な豊かさが必ずしも幸福につながらないとすれば、真の幸福の源泉はどこにあると考えられますか?今の日本において、絶対条件として必要な物質的豊かさとはどの程度でしょうか。それを守る為に疲弊しているとすれば、その物質的豊かさは本当に必要なものなのでしょうか。

また、ラッセルの幸福論における「外的興味」や「愛情」といった非経済的な価値の重要性を再認識することで、このパラドックスを解決する手がかりが得られるでしょう。

環境問題と持続可能な幸福

 これまでのアラン、ヒルティの幸福論でも扱ってきましたが、現代社会が直面する最も深刻な課題の一つに、環境問題があります。気候変動や生物多様性の喪失などの地球規模の環境問題は、人類の幸福と生存そのものを脅かしています。この文脈において、ラッセルの幸福論はどのような意味を持つでしょうか。

環境倫理学者のアルド・レオポルド(1887-1948)は、「土地倫理」の概念を提唱し、人間と自然の関係性の再構築を訴えました。レオポルドは次のように述べています:「人間は、自然の征服者ではなく、生態系の一員として行動すべきである。この認識が、持続可能な幸福の基礎となる」(レオポルド、1949)。

この視点は、ラッセルの「外的興味」の概念を、自然界全体に拡張したものと言えるでしょう。人間が自然との調和の中に幸福を見出すという考え方は、現代の環境問題に対する重要な示唆を提供しています。

また、「ディープ・エコロジー」の提唱者であるアルネ・ネス(1912-2009)は、環境問題の根本的な解決には、人間中心主義的な世界観からの脱却が必要だと主張しました。ネスは次のように述べています:「真の幸福は、自己と自然との一体感の中にある。環境保護は、単なる義務ではなく、自己実現の過程である」(ネス、1973)。

ネスの思想は、ラッセルの「自己没頭」からの脱却という考えと親和性があります。自己と自然を切り離して考えるのではなく、より大きな世界観の一部として自己を捉えることで、新たな幸福の形を見出せる可能性があるのです。

環境問題と個人の幸福の関係を日常で意識することなどあるのでしょうか。あなたにとって、自然との調和や環境保護活動は、幸福感にどのような影響を与えていますか? また、持続可能な社会の実現と個人の幸福追求は、どのように両立させることができるでしょうか?これはとても難しい問いかもしれません。(少なくとも私は、実感レベルに落とし込むことが中々できない点で、その為に草花や虫の名前を覚えることから始めました。)

幸福研究の進展と「幸福論」の再評価

 近年、心理学、経済学、神経科学などの分野で、幸福に関する実証的研究が急速に進展してきました。これらの研究成果は、ラッセルの「幸福論」にどのような新たな光を当ててきたのでしょうか。

ポジティブ心理学の創始者として知られるマーティン・セリグマン(1942-)は、幸福を「PERMA」モデルで説明しています。ヒルティの幸福論において解説したことのおさらいにになりますが、PERMAとは、Positive emotions(ポジティブな感情)、Engagement(没頭)、Relationships(関係性)、Meaning(意味・目的)、Accomplishment(達成)の頭文字を取ったものです。

セリグマンは次のように述べています:「幸福は単なる快楽ではなく、これら5つの要素のバランスの中にある。この視点は、ラッセルの幸福論と多くの点で一致している」(セリグマン、2011)。

確かに、セリグマンの PERMA モデルは、ラッセルが強調した「外的興味」(Engagement)、「愛情」(Relationships)、「理性と感情のバランス」(Positive emotions と Meaning)などの概念と重なる部分が多いです。このことは、ラッセルの洞察が現代の科学的研究によっても裏付けられていることを示しています。

神経科学の分野では、リチャード・デビッドソン(1951-)が、幸福と脳の関係について興味深い研究を行っています。デビッドソンは、瞑想実践者の脳活動を調べ、次のような結論を導きました:「長期的な瞑想実践は、ポジティブな感情を司る脳領域の活性化を促進する。これは、ラッセルが提唱した『現在を生きる』という概念の神経科学的基盤を示唆している」(デビッドソン、2012)。

この研究結果は、ラッセルの「現在を生きる」という教えが、単なる哲学的な概念ではなく、実際に脳の機能に影響を与える実践的な方法であることを示しています。

経済学の分野では、ダニエル・カーネマン(1934-)とアンガス・ディートン(1945-)が、所得と幸福度の関係について画期的な研究を行いました。彼らは、年収75,000ドル(約800万円)を超えると、それ以上の収入の増加が日々の幸福感(感情的な幸福)の向上につながらないことを発見しました。カーネマンは次のように述べています:「一定以上の所得水準を超えると、金銭的な報酬よりも、意味のある活動や良好な人間関係の方が幸福感に大きな影響を与える。この発見は、ラッセルが物質主義を批判し、『外的興味』や『愛情』の重要性を説いたことと合致している」(カーネマン、2010)。

これらの研究成果は、ラッセルの幸福論の多くの側面を科学的に支持するものとなっています。しかし同時に、現代の研究はラッセルの理論を補完し、より精緻化する役割も果たしています。

例えば、セリグマンの PERMA モデルをあなたの生活に当てはめてみると、どの要素が充足していて、どの要素が不足しているでしょうか? また、カーネマンとディートンの研究結果を踏まえて、あなたは所得以外のどのような要素に注力することで幸福感を高められると考えることもできるかもしれません。

ダイバーシティ&インクルージョンの時代における幸福

 ここで言うまでもなく現代社会は、多様性(diversity)と包摂性(inclusivity)を重視する方向に向かっています。この時代の流れは、幸福の概念やその追求の在り方にも大きな影響を与えています。ラッセルの幸福論は、この文脈においてどのように解釈し、発展させることができるでしょうか。

フェミニスト哲学者のベル・フックス(1952-2021)は、Intersectionality(交差性)の概念を用いて、次のように述べています:「真の幸福は、自己と他者の多様性を認識し、尊重することから生まれる。抑圧のない社会の実現は、個人の幸福追求にとっても不可欠な条件である」(フックス、2000)。

フックスの視点は、ラッセルの「愛情」や「外的興味」の概念を、より多様で包括的な文脈に拡張したものと言えるでしょう。多様性を尊重し、様々な背景を持つ人々と先入観なく公平な関係性を築くことが、個人の幸福にとっても重要であることを示唆しています。

また、障害学の分野で活躍するトム・シェイクスピア(1966-)は、次のように主張しています:「障害のある人の幸福は、社会モデルの視点から考える必要がある。つまり、個人観点の障害ではなく、社会の障害こそが不幸の原因であり、その除去が幸福につながる」(シェイクスピア、2006)。

シェイクスピアの主張は、ラッセルの「社会との調和」という概念を、より インクルーシブな方向に発展させたものと言えるでしょう。社会の障害を取り除き、全ての人が参加できる社会を作ることが、障害のある方やその周りの方々への幸福にとっても、社会全体の幸福にとっても重要であることを示しています。

自分とは異なる背景や経験を持つ人々との交流が、あなたの幸福感に変化をもたらしたことはあるでしょうか。どこまでいってもアンコンシャスバイアスが働く世の中で、異なる背景や経験を持つ人と対話できることは非常に重要なことです。ラッセルの「外的興味」の概念を、多様な文化や価値観への 開かれたスタンスとして捉え直すことで、より豊かな幸福観を構築できるかもしれません。

結びに:21世紀における「幸福論」の可能性

 以上、ラッセルの「幸福論」を現代社会の文脈で再評価し、その意義と課題について詳細に検討してきました。90年以上前に書かれたこの著作は、現代社会においてもなお多くの示唆に富んでいることが明らかになったのではないでしょうか。

ラッセルの「外的興味」「愛情」「社会との調和」といった中心的概念は、グローバル化、テクノロジーの発展、環境問題、多様性と包括性の尊重など、現代社会の様々な課題に対しても重要な示唆を提供しています。同時に、現代の幸福研究の成果は、ラッセルの理論を科学的に裏付け、さらに精緻化する役割を果たしています。ポジティブ心理学、神経科学、行動経済学などの知見は、ラッセルの哲学的洞察に新たな深みを与えています。

最後に、読者の皆さんに問いかけたいと思います。ラッセルの「幸福論」を現代的な文脈で再解釈することで、あなた自身の幸福観はどのように変化しましたか? また、これまでのアラン、ヒルティの幸福論を読んでいく中で、あなた自身の幸福と社会の幸福をどのように調和させていくべきだと考えられたでしょうか。

幸福の追求は、人類普遍の課題であり、同時に極めて個人的な内省の旅でもあります。ラッセル、ヒルティ、アランの「幸福論」とその現代的解釈を通じて、読者の皆さんが自身の幸福について深く考え、より充実した人生を送るための示唆を得られたならば幸いです。

余白と幸福に関係性はあるのか?

 まだ、私たち \n (yohaku Co., Ltd.)の考えをnoteでは発信していないので、近いうちに私たちが考える"余白"の大切さをどこかで発信したいと思っています。結論だけ先に言うと、必ずしも幸福を追い求め続ける必要はないと考えています。ただ、街中で困っていそうな人がいたら声をかけられる"余白"や明らかに自分と正反対の考えを持つ人と対話できる"余白"など、そうしたものを意識した時に、これまで取り扱ってきた幸福論と通ずる点があることは無視できません。

これまでの記事を通して、人との対話に興味を持った方は是非下記をご覧ください。次回予告…はありませんが、明日も記事を楽しみにしていてくだされば幸いです。


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