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能力主義社会の起源と発展"実力も運のうち1/4"

 マイケル・サンデルの『実力も運のうち』は、現代社会における能力主義の問題点を鋭く指摘し、私たちに重要な問いを投げかけています。本書は、私たちが当然視してきた「実力社会」の在り方に疑問を投げかけ、より公正で包摂的な社会の可能性を探るものです。

読者の皆さんに問いかけたいと思います。あなたは自分の成功や失敗を、純粋に自分の能力や努力の結果だと考えていますか? また、社会の格差や不平等は、個人の努力の差によって正当化されると思いますか?

サンデルの議論は、このような私たちの常識的な考え方に根本的な再考を迫るものです。彼は、現代社会が抱える格差や分断の問題の根源に、能力主義的な価値観があると指摘し、その歴史的背景や哲学的基盤を丁寧に解き明かしていきます。


啓蒙思想と能力主義の萌芽

 能力主義(メリトクラシー)の起源は、18世紀の啓蒙思想にまで遡ることができます。この時代、ヨーロッパでは封建制度の桎梏から解放され、個人の自由と平等を重視する新たな社会理念が芽生えつつありました。その中で、個人の才能や努力によって社会的地位が決まるべきだという考え方が、徐々に形成されていきました。

フランスの哲学者コンドルセ(1743-1794)は、『人間精神進歩史』において、教育の普及によって社会の不平等が解消されると主張しました。彼は次のように述べています。

「教育の普及は、自然が人々に与えた才能の不平等を減少させ、それによって実際の不平等を減少させるだろう。」

コンドルセ『人間精神進歩史』

この思想は、生まれや身分ではなく個人の能力や努力によって社会的地位が決まるべきだという近代的な理念の基礎となりました。啓蒙思想家たちは、教育を通じて個人の才能を開花させることで、より公正で効率的な社会が実現できると考えたのです。

ここで読者の皆さんに考えていただきたいと思います。教育の普及は本当に社会の不平等を解消できるでしょうか? 現代社会において、教育の機会は本当に平等に提供されていると言えるでしょうか?

しかし、この理想主義的な見方には批判もありました。例えば、ルソー(1712-1778)は『人間不平等起源論』において、社会の発展そのものが新たな不平等を生み出すと警告しています。

「科学や芸術の進歩は、必然的に人々の間に新たな格差を作り出す。なぜなら、それらを習得する機会は平等ではないからだ。」

ルソー『人間不平等起源論』

ルソーの洞察は、能力主義が掲げる機会の平等という理念が、現実には容易に実現できないことを示唆しています。この批判は、後の能力主義社会が直面することになる根本的な矛盾を先取りしたものと言えるでしょう。

産業革命と能力主義の台頭

 19世紀の産業革命は、能力主義の理念をより具体的な形で社会に浸透させる契機となりました。工業化に伴う技術革新と経済成長は、従来の身分制社会では対応できない新たな人材需要を生み出しました。この変化は、個人の能力や専門性を重視する新たな社会システムの必要性を高めたのです。

イギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)は、『自由論』において、個人の才能を社会の利益のために最大限活用すべきだと主張しました。彼は次のように述べています。

「社会の進歩は、卓越した個人の存在にかかっている。そして、そのような個人を育成し、その才能を開花させるためには、自由な環境が不可欠である。」

ジョン・スチュアート・ミル『自由論』

ミルの思想は、能力主義を個人の自由と社会の発展を両立させる理想的な仕組みとして捉えています。この考え方は、近代的な教育制度や官僚制度の基礎となり、「実力本位」の社会システムの構築につながりました。

しかし、産業革命がもたらした急激な社会変化は、同時に新たな格差と社会問題を生み出しました。工場労働者の劣悪な労働環境や、都市部のスラム化など、産業化の負の側面も顕在化し始めたのです。

カール・マルクス(1818-1883)は『資本論』(1867)において、資本主義社会における能力主義の欺瞞性を指摘しています。

「いわゆる才能や勤勉さによる成功は、実際には資本の論理に従属した搾取の仕組みにすぎない。」

カール・マルクス『資本論』

マルクスの批判は、能力主義が標榜する「機会の平等」が、実際には既存の社会経済的格差を正当化するイデオロギーとして機能する危険性を示唆しています。この指摘は、現代の能力主義社会が抱える問題の本質を鋭く突いたものと言えるでしょう。

20世紀における能力主義の制度化

 20世紀に入ると、能力主義は教育制度や官僚制度を通じてより具体的に制度化されていきました。特に、アメリカにおけるSAT(大学進学適性試験)の導入は、能力主義の理念を具現化する象徴的な出来事でした。

ハーバード大学の学長を務めたジェームズ・B・コナント(1893-1978)は、1940年代にSATの導入を推進し、次のように述べています。

「我々の目標は、生まれや家柄ではなく、純粋に才能と努力によって選抜される真の能力主義社会を作り出すことだ。」

ジェームズ・B・コナント

コナントの構想は、一見して公平で客観的な選抜システムを確立することで、社会の流動性を高め、真の機会の平等を実現しようとするものでした。この考え方は、アメリカ社会に深く根付き、「アメリカンドリーム」の理念的基盤となっていきました。

しかし、フランスの社会学者ピエール・ブルデュー(1930-2002)は、『再生産』において、このような教育システムが実際には社会的不平等を再生産する仕組みとなっていると指摘しました。

「学校教育は、表面上は中立的で公平な選抜を行っているように見えるが、実際には特定の文化資本を持つ階層を有利にする隠れたメカニズムを内包している。」

ピエール・ブルデュー『再生産』

ブルデューの分析は、能力主義的な制度が、意図せずして既存の社会階層を固定化し、真の社会的流動性を阻害する可能性があることを示唆しています。この指摘は、現代の教育システムや労働市場における能力主義の問題点を考える上で、重要な視点を提供しています。

以上のように、能力主義社会の起源と発展を振り返ると、その理念と現実の間には常に緊張関係があったことがわかります。啓蒙思想に端を発する能力主義の理想は、産業革命を経て制度化されていく過程で、新たな不平等や社会的分断を生み出すパラドックスに直面してきました。

サンデルの『実力も運のうち』は、このような歴史的文脈を踏まえつつ、現代社会における能力主義の問題点を鋭く指摘しているのです。彼の議論は、私たちが当然視してきた「実力社会」の前提を根本から問い直し、より公正で包摂的な社会の可能性を探るものとなっています。

これまでの歴史を振り返って、能力主義は本当に社会を公正にし、個人の可能性を最大限に引き出すシステムだったと言えるでしょうか? それとも、新たな形の不平等や差別を生み出してしまったのでしょうか?


 次の部では、サンデルの議論に基づいて、現代の能力主義社会がもたらす具体的な問題と課題について詳しく検討していきます。特に、教育システムにおける不平等の再生産や、労働市場における格差の拡大、そして能力主義がもたらす政治的分断の問題に焦点を当てていきます。これらの考察を通じて、能力主義社会の深層に潜む矛盾と、それを乗り越えるための新たな社会ビジョンの必要性が明らかになるでしょう。


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