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19世紀の智恵を現代で実践するには? "ヒルティの幸福論2/4"

理論から実践へ

 昨日はヒルティの幸福論の基本的な枠組みについて探求しました。「仕事」「愛」「信仰」という3つの柱を中心に、ヒルティが提唱する幸福への道筋を概観していきながら、ヒルティという人物にもフォーカスしました。しかし、これらの概念を日常生活に落とし込むのは、往々にして困難を伴います。例えば感動できる本や映画に出会って、その直後は何か実践しようと決心しても、すぐに行動し、かつ継続することは難しいと思います。

敢えてネガティブに捉えるつもりはありませんが現代社会においても、我々は様々な課題に直面していると感じることもあるのではないでしょうか。技術が発展しても続く長時間労働や成果主義、人間関係の希薄化、生きる意味の喪失感...。こうした問題に対して、19世紀のスイスの法学者の言葉が、果たしてどれほどの意味を持ち得るのでしょうか?

今日は、ヒルティの思想をより具体的な文脈に置き、現代社会における"実践"の可能性を探っていきましょう。彼の言葉を単なる過去の教訓としてではなく、現在進行形の生きた知恵として捉え直すことを試みていきます。

やりがいと成長の源泉としての働き

 ヒルティは仕事を、単なる生計の手段以上のものとして捉えています。彼にとって仕事とは、自己実現と社会貢献の場であり、人生の意味を見出す重要な領域でした。

「真の仕事なら必ず興味が湧いてくるはずだ。人を幸福にするのは仕事の種類ではなく、創造と成功の喜びである。」

カール・ヒルティ「幸福論」

この言葉は、現代のワークエンゲージメントの概念と驚くほど近いものがあります。では、具体的にどのようにして仕事にやりがいを見出すことができるでしょうか?提示してみますので皆さんも考えてみてください。

  • 目的意識の明確化: 自分の仕事が、より大きな文脈でどのような意味を持つのかを常に意識する。例えば、一見単調な事務作業でも、それが組織全体の効率化につながり、最終的には顧客満足度の向上に寄与するという視点を持つことで、その意義が明確になります。レンガ職人の童話も良い例ですね。レンガを積む行為そのものへの意味づけも大事になる時代かもしれません。

  • 学びと成長の機会を見出す: どんな仕事にも、新しい知識やスキルを獲得する機会が潜んでいます。例えば、難しい顧客対応は一見大変に感じることかもしれませんが、コミュニケーション能力を磨く絶好のチャンスと捉えることもできます。こうした視点を持つことで、日々の業務が自己成長の場となります。成長を良しとするというよりは、そう捉えることで自分が納得できる意義を見出すことが大切です。

  • 創意工夫の余地を探る: 与えられた仕事の中でも、自分なりの工夫や改善の余地を見つけることができます。些細な効率化や品質向上でも、それを積み重ねることで大きな達成感につながります。

これらの視点は、現代のビジネス環境にも十分に適用可能です。むしろ、AI や自動化が進む現代だからこそ、人間ならではの創造性や工夫が求められているとも言えるでしょう。

皆さんは、自分の仕事にどのような意味や価値を見出していますか? 日々の業務の中で、どのような学びや成長の機会を感じているか、今日の仕事を振り返ったり、明日の仕事を考えてみると良いかもしれません。

デジタルネイティブの人間関係と愛

 ヒルティの言う「愛」は、単なる感情ではなく、他者への配慮と行動を伴うものでした。しかし、SNS やオンラインコミュニケーションが主流となった現代において、この「愛」の実践はどのように可能でしょうか?

「我々は習慣的に全ての人々を愛するように努めなければならない。」

カール・ヒルティ「幸福論」

この言葉を現代的に解釈しましょう。

  • デジタル・エンパシー: オンライン上でのコミュニケーションにおいても、相手の感情や状況を想像し、思いやりを持って接する。例えば、メッセージの送信前に「この言葉が相手にどのように受け取られるか」を一瞬考えるだけでも、コミュニケーションの質は大きく変わります。

  • 真の「つながり」の構築: SNS の「いいね」だけでなく、実質的な支援や深い対話を心がける。例えば、友人の投稿に単にリアクションするだけでなく、具体的な励ましの言葉や、実際の行動による支援を提供することが考えられます。

  • 多様性の尊重: グローバル化が進む現代社会において、異なる背景や価値観を持つ人々との共存は不可欠です。ヒルティの「全ての人々を愛する」という言葉は、まさにこの多様性の尊重につながります。

  • 小さな親切の実践: 日常生活の中で、見知らぬ人に対しても小さな思いやりの行動を心がける。例えば、電車内で席を譲る、道に迷っている人に声をかけるなど、些細な行動が社会全体の雰囲気を変える可能性があるかもしれませんね。

これらの実践は、一見すると些細なものに思えるでしょう。しかし、ヒルティの思想に基づけば、こうした日々の小さな行動の積み重ねこそが、真の幸福につながるとされています。

愛と言うと凄く恋愛的であったり、重く感じる筆者(2人で書いてますが、私はそう感じてしまいます)ですが、カール・ヒルティが述べる愛はまさに人間愛、関係愛的で素敵ではないでしょうか。

人生の意味を探るために信じること

 ヒルティにとって「信仰」は、人生に意味と目的を与える重要な要素でした。しかし、現代社会において「信仰」という言葉は、時として抵抗感を持って受け取られることがあります。では、この概念を現代的にどう解釈し、実践できるでしょうか?

「人生において耐え難いのは、悪天候の連続ではなく、かえって雲のない日の連続である。」

カール・ヒルティ「幸福論」

この言葉は、逆説的ですが深い洞察を含んでいます。つまり、人生には適度な「挑戦」や「意味」が必要だということです。これを踏まえ、現代的な「信仰」の実践としてどのようなことが考えられるでしょう。

  • 個人的な価値観の明確化: 自分にとって何が大切か、何のために生きているのかを明確にする。これは必ずしも宗教的な信念である必要はなく、例えば「環境保護」「教育の普及」「芸術による感動の創造」など、個人的な使命感でも構いません。

  • 人生のストーリー作り: 自分の過去、現在、未来をつなぐ一貫したナラティブ(物語)を構築する。これにより、日々の出来事に意味を見出し、長期的な視点で人生を捉えることができます。

  • マインドフルネスの実践: 現在の瞬間に意識を向け、日々の生活の中に意味や喜びを見出す習慣を身につける。これは、宗教的な瞑想とは異なりますが、同様に心の平安をもたらす効果があります。

  • 継続的な学習と成長: 生涯学習の姿勢を持ち、常に新しい知識やスキルを獲得することで、人生に新鮮さと目的意識を持ち続ける。

  • コミュニティへの参加: 同じ価値観や目的を持つ人々との交流を通じて、所属感と意味を見出す。これは、従来の宗教的コミュニティの役割を、現代的な形で果たすものと言えるでしょう。

これらの実践は、ヒルティの言う「信仰」の本質、すなわち人生に意味と目的を与えるという機能を、現代的な文脈で実現する余地を残しているでしょう。。

ヒルティの思想と現代の科学的知見

 興味深いことに、ヒルティの幸福論の多くの要素は、現代の心理学や脳科学の研究結果とも整合性があります。例えば以下のようなものです。

  • 仕事とやりがい: 心理学者ミハイ・チクセントミハイの「フロー理論」は、適度な挑戦と能力のバランスが取れた時に最も高い満足感が得られるとしています。これは、ヒルティの仕事観と非常に近いものがあります。

  • 愛と利他的行動: 近年の研究では、他者を助ける行動が自身の幸福感を高めることが示されています。これは、ヒルティの「愛」の概念を裏付けるものと言えるでしょう。

  • 信仰と意味: 以前「夜と霧」の紹介でお話さビクトール・フランクルの「ロゴセラピー」は、人生の意味を見出すことが精神的健康に重要だとしています。これは、ヒルティの「信仰」の概念と通じるものがあります。

このように、19世紀の思想家の洞察が、現代の科学的研究によって裏付けられているという事実は、非常に興味深いものです。これは、人間の本質的な幸福の条件が、時代を超えて普遍的なものであることを示唆しているのかもしれません。

ヒルティの智恵を日常で実践する

 常に重要なのは、これらの思想を単に理解するだけでなく、いかに日常生活に落とし込み、実践するかということです。

今日ご紹介した実践の例は、決して容易なものではありません。しかし、ヒルティの言葉を借りれば、「幸福とは受動的に与えられるものではなく、能動的に追求し、実践すべきもの」なのです。

皆さんは、今日からどのような小さな一歩を踏み出せるでしょうか? 仕事に新たな意味を見出す? 誰かに思いやりの言葉をかける? それとも、自分の人生の目的について深く考えてみる?そのどれもが考え始めた時点で実践の一歩になります。

明日は、ヒルティの思想が現代社会にもたらす可能性と課題、そして21世紀における「幸福」の意味について、さらに深く掘り下げていきたいと思います。ヒルティの幸福論は、急速に変化する現代社会においても、なお私たちに重要な示唆を与え続けているのです。

 何事も実践するには"余白"が必要です。何かを始めることは何かをやめることとも言えるでしょう。一度"余白"を持つ時間を作る為にコーチングやダイアローグも是非意識してみてもらえると幸いです。


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