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4人目のレンガ職人とそれぞれの物語

 ゴリゴリ頭を動かした週末は思考の振れ幅を振り切らせるのが大切なので、偶には思い付いた物語でも書き残します。

 かつて、見知らぬ町の郊外で、天まで届きそうな大聖堂の建設計画がありました。そこでは4人のレンガ職人が働いていました。彼らは、自分たちの人生を煉瓦を積む仕事に注ぎ込んでいました。

 1人目のレンガ職人は、日々の必要を満たすために煉瓦を積みました。彼の目には、深夜まで燃え続ける自宅の灯りが映り、手には家族の暖かな触れ合いが感じられました。彼の煉瓦は生存の重みを担っていました。

 2人目のレンガ職人は、自分自身の名声と地位を築くために煉瓦を積みました。彼の視線は常に高みを見つめ、心は未来の栄光に向かって飛び跳ねていました。彼の煉瓦は野心の階段を登るように、一つ一つ積み上がっていきました。

 3人目のレンガ職人は、理想と希望を込めて煉瓦を積みました。彼にとって、この大聖堂は人々の心を癒し、社会に新しい光をもたらす場所であるべきでした。彼の煉瓦は、未来への橋として慎重に配置されました。

 そして4人目のレンガ職人は、煉瓦を積む行為自体に喜びを見出しました。彼には目的も野心もなく、ただそれぞれの煉瓦の質感や積み重ねるリズムに心地よさを感じていました。彼の煉瓦は、日々を生きる喜びの象徴でした。

 ある日予期せぬ経済的な混乱と流行病により、大聖堂の建設は中断されてしまいました。生計を立てるために働いていたレンガ職人は、次の仕事を求めて出発しました。野心的なレンガ職人は、自分の抱負のための新しい舞台を探しに行きました。理想主義的なレンガ職人は、新たな希望を見つけるための旅に出ました。

 しかし、4人目のレンガ職人だけは異なっていました。彼は静かに微笑み、手にした新しい煉瓦を見つめ、別の場所でそれを積み始めました。彼にとって、大聖堂も煉瓦も生きる喜びそのものでした。彼は、人生の豊かさは大聖堂の完成にあるのではなく、一つ一つの煉瓦を積む過程にあると知っていました。彼は今も煉瓦を積み続けながら、一つ一つの煉瓦が持つ表情を楽しんでいます。

レンガ職人の物語

 この物語から何を感じるでしょうか。人生の価値は目的地にあるのではなく、その旅路にあることを教えてくれるのかもしれません。喜びは手にする煉瓦に、平和はその瞬間の息吹に、そして人生の豊かさは、私たちがそれに注ぐ態度にあると思いながら、それぞれのレンガ職人を応援し、愛せる人でありたいものです。

 3人のレンガ職人の話は使い古されすぎていますが、主観的ウェルビーイングが必要とされる時代においては、こんな4人目の物語があって、そして1人目も2人目も3人目のレンガ職人も肯定される世界観があっても良いかもしれないと、ふと。


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