うつ病になったはなし その7

日曜に伯母(母の姉)が家に来た。3月に結婚式で会ったがほとんど会話できなかったので、ちゃんと話したのは5年ぶりくらいだっただろうか。

伯母の人生はなかなかのハードモードだ。

二十代で最初の結婚をし、男の子と女の子を一人ずつ産んだのだが、一人目の男の子(僕の従兄)は知的障害だった。
二人目の女の子(従姉)が5歳のころ、伯母は離婚した。
理由は旦那がギャンブルで多額の借金を作ったからで、殆ど夜逃げのような感じで家を出てきたようだ。そのころ僕は4歳だった。

当時、北陸に住んでいた伯母は実家&兄妹を頼って帰ってきた。
全然お金が無くて僕のうちに寄ったとき、お金を借りたお返しとして北陸から乗ってきた赤いミラ(軽自動車)を置いて行った。

そのおかげで僕が覚えている母の最初の車はその赤いミラだ。
ずいぶんぼろくて、エアコンもあんまり効かなくてカセットテープも入らなかった覚えがある。

保育園児と障がい児を抱えてシングルマザーとなった伯母はファミレスのパートとあと何かのバイトを掛け持ちして働いた。
多分、すごく大変だったと思うのだが、正月とかお盆に会うと明るくて、いつも超元気だった。

僕が小学4年生頃、伯母は二度目の結婚をした。
新しい旦那さんは伯母の10歳以上年下で二十代後半だった。
トラック運転手をしていてゲームセンターに連れて行ってくれたり、テレビゲームを一緒にやってくれる。僕にとっては優しくて伯父だった。
今にして思えば、二十代の未来ある若者が障がい児を抱えるシングルマザーと結婚するなんてことは奇跡に近く、もしも僕が彼の父親だったら反対したかもしれない。苦労するのは分かり切っている。わざわざそれを選ぶ必要はない。

2年後に女の子(従妹)が生まれた。僕は小6、一度目の離婚の時に5歳児だった従姉はもう中学生になっていた。

ハードモードだった伯母の人生は落ち着くかと思いきや、僕が高校生になったころ二度目の離婚をした。原因は伯父が若い女に騙されて、お金を取られたことらしい。ことが分かった時にはずいぶん貢いでいたようだ。

そんな感じの複雑な家庭で育った従妹は当然なのかは分からないが、ぐれた。中学生で金髪にしたり、学校に行かなかったり。二十歳頃にはメイド喫茶でメイドをしていたらしい。まさか自分の親族からメイドさんが誕生するとは思いもよらなかったので、聞いたときは驚いた。(今は落ち着いて、結婚している。別にメイドさんが落ち着いていないというわけではないが…)

そんなハードモードな人生を歩んできた伯母。大人になってよくよく考えてみるとすごい人だなと思う。

そろそろ七十代が見えているが、伯母は今回も超元気だった。

伯母が乗り越えたハードモード人生に比べると自分の人生はまだまだイージーモードな気がして、うつ病になってる場合じゃないな、と別れ際に思った。





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