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【ソウウツ通信】躁鬱たぬきの充電方法【3】

 こんにちは。
 前回(【2】)、躁鬱病のことをおもしろおかしく書きたい・・・というタイトルで書きつつ、その意気込みをちょろっと触れただけで大半は躁鬱病の存在意義的な話や、ふつうの人より充電機会を多く持とう・・・的な話になりました。でも、とくに反省はしないことにします。特に物書きでもない人が書いているので大目に見てください。
 さて、今回はたぬきの充電方法を皮切りに書いていこうと思っています。
 なお、前回も言いましたがノリで書いているので、話が脱線することもあったり、全然違う話で終わる可能性もあります。皮切りと言ったのはそんな意味です。外殻は「充電方法」の話ですが、実(み)は何が出てくるのか僕にもわかりません。
 とりあえず、躁鬱人の考え方というか傾向というかそんな雰囲気をわかってもらえたら幸いです。
 そして、3回目にして気が付いたのですが、この文章は「たぬき」が思ったことや、経験したことを書いているのであって、僕(石川狸)とは全然関係ない・・・という体で書きます!と話したのを思い出しました。
 うまくいくのやらわかりませんが、そういったテイストに変更して書いてみたいと思います。
 なお、うまく行かなかったらすぐ辞めます。

 たぬきはこれまでの躁鬱病の経験から、自分には充電機会を多く設けた方がいいというのが分かった。(こんなノリです)
 今、たぬきは「そこそこ」元気なのである。
 元気だから、充電機会を多く設けよう云々などと偉そうにのたまっているが、ついついバッテリーを使い果たしてしまうと充電器に接続する・・・ということすら思い浮かばない。それですら億劫なのである。そして充電0%という期間が長く続く。
 本来はそうなる前に、スマホでいったら50%ぐらいの時に充電を開始するのにふさわしいとたぬきは思っている。
 ただ、50%くらいではまだまだスマホで映画一本くらいは見れる残量なので、充電しようという気になかなかならないのである。
 なので意識して充電をしなければならない。それが躁鬱人にとって快適に暮らすための義務なのである。いざ、鬱期に入ってしまうと何をする気力も起こらない。朝から晩まで床に臥せり、それでいて眠くも無いので狸寝入りである。時が流れるのが遅く感じる。といって時間が解決してくれるものでもない。
 これはたぬきにとっての備忘録でもある。
 鬱期に入る前に充電しろ!その方法はこれだ!という自分から自分へのアドバイスである。そんなつもりでたぬきはつらつらと書いていくつもりだ。
 たぬきにとっての充電は「旅」関係、「アウトドア」関係、「衣食住」関係である。それにたまに「読書」や「資格の勉強」ももしかしたら含まれる。
 気を付けたいのが、これらには偽物が存在することだ。
 自分では気力の回復、充電しているつもりでも、実は残り少ない気力を使い果たす行動に出ていることがある。その時、自分が充電なのか気力の浪費なのかなかなか分からない。この見極めがたぬきにはまだ分からなかった。
 例えば、たぬきがまだ鬱病と診断されていたころ、ちょっと元気になった気がしたタイミングで、自動車学校に通い、中型二輪の免許を取った。たぬきは旅行が好きで、電車や飛行機や、車での旅行をしたりしていたのだが、いっちょバイクでの旅行もオツなもんじゃないかと考えたからである。
 と言うのは言い過ぎで、実際の所、2週間くらいで二輪の免許取れるし、昼夜逆転しているころの時期だったから、毎日定期的に通う場所ができたら生活リズムが治るんじゃないか?という軽い気持ちからであったのである。
 結果的に免許を取得したら、その翌月には250CCのバイクを購入して、さらにその数週間後には北海道ツーリングに出かけていた。
 充電はできたのか?楽しかったか?と問われるとたぬきは「ノー!」と必ず答える。いわば破滅的な旅だったのである。
 なんならバイクで事故ってくれたら幸せだな・・・とすら思って北海道に着いてから24時間、真夜中もバイクを走らせて北海道を縦断した。楽しいはずがないのである。
 これは充電旅のふりをした浪費旅だったと最近になってたぬきは気が付いた。
 今は躁鬱病とわかっているので、典型的な躁状態が悪条件で出現したのだと理解ができるけれど、当時は大好きな旅にでも出ればもっと元気になれるかもしれない、とたぬきは勘違いしていたのである。
 また、例えば資格の勉強でも似たような経験がある。
 たぬきは暇な期間が続くと、資格の勉強でもしてみようかな?という気分になる。(最近、たぬきはもしかしたらこれって趣味なのかな?と気が付いた。)
 特に就職に役立てようと思って勉強するわけでは無いし、そもそもたぬきは勤め人はもう無理だと悟っている。自分でクリエイティブするほうがまだ向いているんじゃないかと思っているのだ。
 充電を自分のタイミングで行えないからでもある。
 で。その時も、いい具合の難易度でそれなりに達成感がある資格でも勉強してみようかな、という気になり、時期的に宅建士に申し込んだ。
 最初は全然意味が分からなかったけど、続けていくとだんだんわかってきて知識が付いていく経験はちょっと楽しいものである。
 これは完全なる充電とはいいがたいが、程よいストレスで、合格すれば得るものもあるというなかなかバランスが取れた趣味だとたぬきは自負していた。自分ってなかなかしたたかな奴じゃん!と自画自賛もした。
 この自画自賛している状態自体が躁状態な気もするので本来は危険な兆候と捉えるべきであった。
 2カ月ほど勉強して筆記試験に合格することはしたのだが、その後、めちゃくちゃ調子が悪くなった。数ヶ月寝たきりの状態になったのである。これも躁状態の時にリミッターを外して頑張りすぎてエネルギーを使い果たしちゃった例である。
 躁状態で「充電」をすると過充電みたいなことになり、結果的にバッテリーがぶっ壊れる結果になることにたぬきはちょっと気が付いた。いや、むしろこれは充電に見せかけた放電である。充電器を取り付けたつもりでいたけれど、実はバッテリーから電気を吸い取られていたようなもんである。
 エネルギーを摂取するためである食事も、その食事自体がエネルギーを使う、と聞いたことがある。充電してるつもりが全然充電していなくて、むしろ気力をどんどん使っちゃってるわけだ。
 ・・・なんて書いていたら途中から何を書いているのかよく分からなくなってきた。
 たぬきは「テヘペロ!」と右のこぶしで自分の頭を軽く小突き、ペロリと舌を出した。あざといたぬきである。
 たぬきは何が言いたかったのか補足すると、「充電するタイミングも大事である」と言いたかったのである。
 偽物は偽物らしくなかなか見分けがつかない。
 振り込め詐欺なんてすぐわかるでしょ!なんて思うけれど、偽孫はその名の通り偽ってやってくるので、まさか自分が!と言った感じで詐欺に引っかかっちゃうのだと思う。
 そんなわけで、たぬきでいうところの「今回の旅」は「充電の旅」なのか「破滅への旅」なのかを推しはかるのは旅の方法とか行く先とかじゃなく、そのタイミングで真贋を見極めたらいいんじゃないかと言うことだ。
 みなさんはスマホを充電する時はどんなタイミングだろうか?
 自分の部屋で充電器が身近にある時はつなげっぱなしかもしれないが、そういう場合じゃないときは90%とかならわざわざコンビニとか100均で充電器を購入し、マクドナルドなどに入って充電なんかしないだろう。
 逆に0%まで放っておくこともしないと思う。もし地理感のない旅先で0%になってしまったら、そもそもダイソーがどこにあって、マクドナルドやイオンのフードコートで充電できる場所があるのか調べる事すらままならなくなる。たぬきはシャイなので道行く人に場所を聞くことはできない。
 ふつうに考えて40%台から30%切るぐらいのタイミングで「やべー!」となるんじゃないだろうか。
 躁鬱人にとって、このタイミングで「充電(気力の回復)」をするのが間違いないとたぬきは考えている。あくま経験則だ。
 つまり「ちょい鬱」の時がいいと考えている。
 バッテリーでいうところの50%を切ったあたりから充電を考える。80%くらいだと軽躁状態なので冷静ではない。20%まで行っちゃうと心身ともにからだが動かなくなってきているからそれはそれで充電できなくなってくる。
 「ちょい鬱」がベストタイミングだ。
 たぬきの指標でいうところの「ふつう」から「低空飛行のふつう」のあたりである。
 難しいのが、このあたりの精神状態だと躁でもなく、かといって体が動かないレベルでの鬱状態でもないのでなかなか充電しようという気分にならないことだ。
 なんなら時間やお金を使っていわば「遊びにいく」ことに抵抗感や罪悪感を持っちゃったりする。
 だってこの時期は躁状態のなにかに追われている感じで焦って物事を推し進めていく、ある意味パニック状態でもないし、脳内会議で悶々とし続ける鬱状態でもない、躁鬱人にとってもっとも平穏な日々を送っているタイミングと言っていいからである。
 この時期は冷静に物事を考えられる。
 この時期に充電をするのはなんだかもったいない気持ちにもなっちゃうのである。
 なので、たぬきはあえて「このタイミングがベスト!」と記憶にとどめておくことにした。それは最近のことであるが。
 ここで再びたぬきの充電の例を挙げてみよう。
 たぬきにとっての充電方法は「旅」「アウトドア」「衣食住」「読書」「資格」というのは前述した。
 これらの充電方法は個別に書くことがあるかもしれないが、たぬきにとって「旅」がもっとも充電効果が高く、気楽に行動に移せる方法である。
 「アウトドア」は体力が必要なので怠けた体には準備期間が必要である。「衣食住」「読書」「資格」は知的好奇心を高めるという趣向もあるために半分勉強な気がしているので充電と同時に多少放電もしているのである。
 さきほど「充電旅」のつもりが「放電旅」だった!と言ったが、うまいぐあいに充電した旅の話をしてみよう。
 たぬきは中型二輪を取ったときに破滅の北海道ツーリングに行ったことを心の底で大変後悔していたのである。
 その時のたぬきは躁のなかに破滅的な鬱が渦巻くなんとも複雑な気分で北海道に行ってしまった。たぬきは本来北海道が大好きなのである。大学を卒業するまで10回以上旅行で訪れた。
 だけれど20代のときの「破滅旅」のおかげで北海道に全く行かなくなってしまったのである。それを払拭したかったという思いもある。
 そこで北海道リベンジと称して手放したバイクを再度購入し、北海道一周の旅に出ることにしたのだ。
 この時のたぬきの気分指数は「ふつう」。バッテリーで考えると50%前後くらいのできごとであった。
 北海道は台風などに見舞われない限り全宿泊地をキャンプ場にして、ひと月近くかけて北海道をぐるっと一周した。
 これは充電という観点では大成功だったとたぬきは自負している。
 躁状態の「偽」充電の時は無理な行程を組んで旅行をしてしまうし、帰ってきた後、エネルギー切れでだいたいが鬱期に突入する。
 だけれど、この北海道リベンジはひと月の旅から帰ってきた後はむしろ元気になった。もちろん体力的な疲労はあったけれど、精神的な負担は軽くなったのだ。
 この旅でたぬきは気が付いたのである。
 「ちょい鬱」くらいがちょうどいい、と。
 精神科の先生が診察の際にホワイトボードに書いて説明してくれたことを思い出す。
 先生はホワイトボードに大きな波を書いた。そして言った。
 「この上の波を抑えて、下の谷間を上げる。そして、ちょうど真ん中よりもちょっと低い位置で安定させるのが躁鬱病の治療です。」
 と。
 一言一句そういったかは定かではないが、話を聞いてたぬきはそう理解した。たぬきはそれならちょうど真ん中あたりかちょっと元気なあたりで安定させて欲しいなー、とは思ったが、きっとそうしないってことは何か理由があるのだろう。(今度聞いてみようと思う。)
 ともあれ、なるほど、医学的に見ても躁鬱病の治療は「ちょい鬱」で安定させることをいうらしい。
 どうやら「ちょい鬱」で安定させる(案)は薬物療法やら認知行動療法でもメジャーな考えのようだ。それなら「充電」においても有効だというのはうなづける。
 ただ、何度も言うようにこのタイミングで「充電」をするのはなかなか難しいのである。これはプロの躁鬱人になっていくしかなく、つまりは躁鬱病との付き合い方をうまくしてくことに他ならないが、躁鬱病とはだいたいの躁鬱人が長く付き合っていくことになるパートナーだ。
 嫌なパートナーを持っちまったもんだと落ち込んでも仕方がない。嫌な上司がいる職場などは最悪辞めることができるし、国ですら嫌になったら海外移住するという方法がないでもない。
 でも、躁鬱病との付き合いは自分でどうにかできる話でもないのである。
 最初は気分の上げ下げが激しく、躁鬱病に翻弄されるかもしれないが、長い付き合いをしていく中で、その付き合い方は必ずうまくなっていくと確信している。
 たぬきの躁鬱病との付き合いは15年になる。
 「こんな付き合い方がいいのかな?」とたぬきが思い始めたのはつい最近の出来事である。
 それを実践したら、この数年間、まさに「低空飛行のふつう」「ちょい鬱」「ちょうど真ん中よりもちょっと下の精神状態」で安定したのである。
 それくらいワガママな躁鬱病との付き合い方は難しい。
 逆にそれくらい時間がかかるモノなんだと思えればちょっと失敗したくらいでもあまり落ち込まないで済むかもしれない。
 たぬきの経験則である。
 ただ、【2】の話のことも考慮に入れてみると「ちょい鬱」で安定を得る変わりに「突破力」を失うのは確実だ。
 躁状態は「何かに常に追われている感」という最悪なデメリットもありながら、(正しい判断なのかは他人から見ないと分からいが、)あらゆるアイデアが浮かび、どこまでも動くことができ、頭脳明晰になる(と思っている)
 これは失う。
 【2】で「突破力」(躁状態)を持ちながら落ち込んだ時も「ちょい鬱」で安定させる方法はふつうの人よりも「バッテリーの容量」を増やすことが解決策なのだが、結局そんな解決策は思い浮かばず「充電機会を多くしよう」という結論になった。
 その結論をもとに、充電機会は「ちょい鬱」あたりでするのが大変よろしい、というのが【3】でのお話である。
 たぬきはこんなことを考えて自分の躁鬱病との付き合い方を改めて考える機会にし、あわよくば読んでくれた躁鬱人、躁鬱人の関係者の役にも立ったら最高だと考えている。これがたぬきのモチベーションである。
 たぬきは言った。「いい感じのコメントもらえたら、もっとやる気が出ます」と。
 そんなわけでそれなりの文量になってきたので今回はこの辺で締めさせていただきます。
たぬき「さよなら。」

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