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【ソウウツ通信】鉄は冷(覚)めてから打て?【14】

 先日、借りている畑に夏野菜の苗を植えたり、種を蒔いたりした。
 たぬきが住んでいるのはちょっと寒い地方なので早かった気もして、毎日霜が降りるんじゃないかと天気予報とにらめっこしていた。
 じゃがいもだけは夏野菜のみんなより数週間早めに植えてしまったので、一度霜にやられてしまったが、新しい芽が出てからは霜が降りずに済んだので、すべての野菜がなんとか乗り越えられたようである。
 たぬきは畑シーズンによっては鬱状態に重なり、一度も畑を訪れられないという年もあるけれど、それ以外は毎年ちゃんと畑をやっている。まあ、「省力」がモットーなのであんまり頑張っていないが。それでも10年くらいやっているので立派なもんではないだろうか?
 まあ、頑張っていないので作業自体はあんまりすることが無いのだけれど、シーズンになると躁鬱病の症状の一つ、早朝覚醒にかこつけて、朝起きて暇すぎるので畑に通ったりしている。
 また、春になると特定の年以外はワクワクしだして、毎年まだ霜が降りるかもしれないのについつい苗を植えてしまって失敗することもある。
 「やりたい!」と思ったらやらずにはいられないのである。いかんよね。いけないってわかってるんだけどね。物事にはタイミングだったり温度感ってものがある。多分、たぬきはこのとき、軽躁状態になっているんだと思われる。これが畑だとか自然相手ならまだいいのかもしれないけれど、人間相手だったりお金が絡んできたりするとちょっと話は別になる。
 お金だって人の間を行き来するものだから結局人間関係とも言える。失敗すると人間関係を壊すか、自滅への道を歩む・・・ってことにもなりかねない。
 これまた先日、知人の中に実は山を持っているってことを知ったのだ。
 たぬきは衣食住全般に興味がある。まあ、元気な時だけだけれど。
 たぬきは普通にうま味調味料も使うし、畑には牛糞などの堆肥をメインにはしているけれど、化成肥料だって使う。ビニール袋だって生ごみを捨てるのにどうせ使うので、2度使った方が環境にも経済的にもいい!・・・と「積極的」に買い物の時にはビニール袋を使っている。
 なのでナチュラリストでは全然ないのだけれど、そして自給自足を目指しているわけでは全然ないのだけれど、衣食住全般を「最悪」自分でなんとかできる能力を手に入れたいと思っているのである。
 そんなわけで何年も前から小屋をセルフビルドしたいと思っていたのだ。別に住むためではない。建てる、という経験をしてみたいと思っていたのである。
 だけれどたぬきは別に土地持ちでもない。建てられる場所がないのである。そこで知人の登場だ。
 たぬきは小屋を建てたい、と熱意をアピールした。アピールしすぎた。相手が「まあ・・・いい、よ・・・」くらいの温度だったのに、建築の仕事から何年も離れていてすっかり忘れているのに、なまじ図面っぽいものを書けるものだから「計画図」と称して図面を送りまくった。相手はなんの反応も無かったのに次々に図面を送ったのだ。
 結果、ドン引きである。
 多分、山の形を改変するくらいやりかねない。なんなら、何軒も小屋を建てて非合法なヒッピー村でも作りかねん!と、思われたのかもしれない。
 最初は「どんどんやってくれ!」みたいに言われていたのだが、「物置小屋程度の小さいものなら・・・」みたいな反応に変わってしまった。
 これは人間関係を壊すまでは行っていないのだけれど、触れるのもアッチッチな状態にたぬきがなってしまったので、引かれて、結局、たぬきがやって見たかったことが出来なくなる・・・ということになりそうになった。
 まあ、その知人はたぬきが躁鬱病を患っているのを知ってくれているので、人間関係的に大損害ではないが、たぬきの熱い状態、つまりは軽躁状態によって、たぬきが実現したかったことを、たぬき自ら失わせる結果になりつつあるわけである。
 たぬきは、ネギが好きでたまらないのだが、ネギは虫を寄せ付けない自らの成分が強すぎて、自ら溶けてしまうことがあるらしい。今回の一件はまさにそれに似ている。自分の熱意が強すぎて、自ら関係などを壊してしまうという。
 こういうことは多々ある。
 たぬきもいい加減、こういう事態になるのが分かっているのでそろそろ反省しなければいけないのだが、一向に反省する様子がない。
 と、いうかそういう状況になってしまうと、たとえ反省していたとしても衝動を止められないのである。そう、反省はしているのである。
 躁鬱人からすると躁状態のときは大なり小なり思い当たる節があるのではないだろうか?
 たぬきは躁鬱病ではなく、鬱病だと診断されていた時に家を買ってしまった。多分、躁状態だったのである。
 その時の心理状態は以下の通りだ。
 鬱病を数年患っていて、働けない時でも毎月数万円の家賃が飛んで行った。体調が悪すぎて、実家に逃げ帰ったのに、いつかは寛解して復職するという可能性があるから、職場のある一地方都市にアパートを借りっぱなしにしていたのだ。住んでもいないのに毎月毎月家賃と、水道高熱通信費の基本使用料がどんどん引き落とされていく。
 それでも、まだ傷病手当や貯金があったからそれらのお金を家賃に充てていたからなんとかなったものの、もし今後、仕事ができない状態になったらそのまま路上生活者になるほかない。怖い!怖すぎる!!
 そうだ!家を買おう!!家を買えば住むところを失うってことは無くなるじゃないか!!
 ・・・そんな家にたぬきは今も住んでいる。
 築120年のぼろぼろの古民家である。よくある立派な普請で建てられた梁の太い古民家ではなく、時代に取り残されて、良く120年も建ってたなあ・・・という安普請の古民家である。古民家って言うと今はオシャレなイメージもあるのかもしれないけれど、全然そんなこと無いのである。基礎はぼろぼろで、土台も多分腐っている。
 躁鬱病の躁状態の時には極論に至りやすい。
 「住むところが無くなるのは怖い。そうだ家を買おう!」
 こうなるか?ふつう。
 たぬきはふつうじゃないので分からないけれど、多分、ふつうじゃないと思う。
 結果的にたぬきは仲のいい同年代の友人知人のなかでもいち早く「持ち家」を持つことになった。
 家の定義を「雨風凌げる」と定義した場合だけれど。
 いや、ウチは雨漏りしまくっているし、そこら中隙間だらけだから家じゃないのかもしれないが。
 それでも、たぬきはこの古民家を買う一連の流れの中で、「家が欲しい!今欲しい!すぐ欲しい!」となった時点で、ワンクッション置いてみたのである。
 当時、たぬきは鬱病と診断されていたけれど、この妙なハイテンションはなんだかおかしいと思っていた。
 家を買った時は復職をして1~2ヶ月のころだったと思うが、そんないつ鬱がぶり返すか分からない状態で「家が欲しい」となるのはなんか自分でもおかしいと思っていたのである。
 しかも、周りの人でまだ誰も家を買ったことが無い。パイオニアである。なので家を買うという経験を誰にも聞くことが出来なかった。それでも買いたいと思っていたのである。
 嫁がいるわけでもない。犬や猫を買いたいわけでもなかった。持ち家は職を失い、働けない状態になった時、住むところが無くなるのが怖い・・・というただ一点だけのために買おうとしていたのである。
 どうも自分の精神状態はおかしい、そう考えるだけの理性をなんとか持ち合わせていたのは運がよかった。
 たぬきはやばい時はやばいって言ってくれそうな仲のいい知人や、親に「家買う」と話してみたのである。多分、「山に小屋を作らせてくれ!」のテンションよりももっと高く、家を購入することの有用性を沸々と語りまくったのだと思う。(そんな記憶はないけれど、躁状態のことを思い出してみるに、絶対にそんなテンションのはずである)
 結果的にみんな「いいんじゃない?」って感じだったので決して安くない金額(建物はボロボロで価値が無かったけれど、地方都市の街なかにあるので土地の値段が結構したのである)で家を買ってしまった。
 これまた結果的に、予想通りその後、公務員を辞めて寝込み、設計事務所に勤めるも1年を経ずしてすぐに辞めて寝込み、自営業を始めるも、年に数回、長くて半年以上寝込むということを繰り返したので、家を買ったのは(一応何とか家としての形、住む場所としての体裁を保っているので)成功だったといえる。
 ローン返済を家賃と考えれば完済後は自分の持ち物になるわけだし、返済額を考慮しなければたぬきは6万円くらいで生活が出来るのである。6万円くらいならひと月のうち、日雇いバイトでも1週間くらい頑張れば得られる金額だろう。この安心感は良かった。
 最悪、建物が朽ち果てても、もとよりアウトドア好きなたぬき、世間の目はあろうともその土地でテント生活でもいいし、ツーバイフォーで自ら100万円くらいで小屋を建てるのも悪くない・・・と今では思えているので散財して大失敗!!という経験でもないだろう。
 これは親や友人に自分のやろうとしていることを聞いてみる、という一種のクールダウンが効いたものと思っている。
 まあ、(おそらくだが)あれだけ興奮して家を買うことの有用性を熱く熱く語ってしまったら、いくら親と言えども「ちょっと待て。早計だ!」なんて言えないような状況だったかもしれない。
 でも、躁鬱人は(誰でもそうだと思っている節がたぬきにはあるのだが、)HSP気質とまでは言えないまでも、人の視線と言うか自分がどう思われているのかを気にしてしまうような性格の人が多いものだと思っている。
 気にするものだから、相手が不快にならないよう、楽しく過ごしてもらえるよう気を使ってしまい、これを躁鬱人は「優しすぎる」とも表現したことがある。
 なので、たとえ「家は大きな買い物すぎる。やめろ!」とまでは言われないにしても、相手があんまり良く思っていない、というくらいは感じ取れることができただろう。たとえ躁状態であるたぬきが暑苦しく語ったとしても。
 なので、たぬきは情熱の中に多少の冷静さをもって家を買った。買ってしまったのである。
 買って「しまった」感もたぬきは感じているので、鬱状態の時は古民家をお荷物と考えて大変凹むこともあるけれど、大けがするほどの散財をした!とまでは考えていない。決して安い買い物ではなかったけれど、身を亡ぼすまでには至っていないからである。
 躁状態は時と場合によって人間関係を壊すし、散財して破産まで追い込まれてしまう状況にもなりうる。
 たぬきは普段の生活を見ても、節約しているわけでは無いのにミニマルな生活が身に染みている。趣味もあまりお金を使わないものばかりである。
 なので、大枚はたいて何かを買ってしまう・・・という経験はあまりない。
 他人から見たらそれでも・・・と思われるかもしれないが、せいぜい、返済額が家賃程度のボロ古民家、業務用ミシン、耕運機、バイクくらいなもんである。
 古民家はちょっと危険だけれど、他のものはこれを買ったからって自己破産ってことにはならないだろう。まあ高くても数十万円ってくらいである。
 買った時は躁状態だったと思われるけれど、躁状態の時に立て続けに買うわけでもなく、年に1度あるかないかくらいのペースなのである。
 しかもこれらを買うときにも一応、誰かにちょろっと話をしたりしている。
 躁状態で頭がお花畑の活動期に入っているときでも、冷静さがゼロになっているわけでは無いはずだ。限りなくゼロになっている場合もあるけれど。
 なのでクールダウンの機会(これを「鉄は冷(覚)めてから打て」と表題には表現したけれども)を持つことを躁鬱人は心がけた方がいいはずである。
 それは仲のいい友人に自分のやろうとしていることを聞いてみて反応を見る・・・というのも一つの手であるが、別にそれだけではない。
 クールダウン。鉄を冷ます機会を設けようということだけである。
 たぬきの場合は例えば旅やキャンプが好きだから、敢えて出かけてみて、突発的に思い立ったアイデアを実行に移したり、欲しいものを買ってしまう前に、それができてしまう環境から一歩離れてみる・・・とかも考えられるし有用性があると思っている。
 まあ、躁状態なのでいくらその事象から遠く離れていても、脳内は自由だから24時間永遠とそのことについて考えてしまうはずであるが、それでも一歩離れてみるというのは大事だと思う。
 興奮しすぎてそれすらも出来ないのなら、「それ」をすることによってどんな効果が得られるか、またデメリットは何かをノートとかパソコンに描きこんでみるのもいいだろう。
 それが事業だったり、数字が得意な人だったら文章ではなく、事業計画書の収支計算書みたいなものを作るってのも手である。なんなら、その出来上がった数字を銀行などに見せにいってもいいはずである。話に行くだけなら無料だ。
 これは仲のいい友人がいなくても出来る。銀行員にとってはお客様だからである。
 たぬきも自営業関係でやりたいことが突然浮かび、居ても立っても居られなくなり、事業計画書を作って「絶対成功する!金貸してくれ!え?金額?3000万円です。」みたいな話をしに行ったことがある。
 結果的に審査にすら回してもらえなかった。
 その程度のアイデアだったのである。危なかった。
 銀行員に鉄を冷ましてもらったと言っていいだろう。
 今考えると、無理ゲーってやつであった。でももし、自己資金で3000万円あったら実行してしまったかもしれない。
 まあ、たぬきは「鉄は冷めてから打て」の有用性を感じているから、自己資金があったとしても、誰かにこの話を聞いてもらうみたいなことはしたと思うが、ともあれクールダウンを設けることは躁状態をある程度コントロールするのには役立つと考えている。
 躁鬱病で誤解が多いのが、躁状態の時は毎日ハッピー♪だと思われているということだ。実際はそんなこと無いだろう。ハイテンションと表裏一体の状態で不安がいつも見え隠れしているはずだ。
 「鉄は冷めてから打つ」はこれにも効果がある。裏で見え隠れしている不安を吐露させることにもつながる。その不安を表面化することで一種のクールダウンを起こさせるのである。
 この不安の部分は「行動に起こしたことによる失敗」の種である。しかも発芽率が結構高い。
 たぬきも家を買うとき、「返済が滞ったらどうしよう」とか、「ローン返済が終わるころには築120年の家は築150年に。絶対そんなにもつわけがない」などという不安が隠れていた。
 それらを友人に話すことでクールダウンしたのである。クールダウンしたうえで、躁状態のプラス思考から「まあ、なんとかなるっしょ!」ってことで買ってしまったわけだが、一応「なんとかなるっしょ!」って考えに至れたから買ったのである。
 その時点で多分なんとかならないと思ったら買うことはしなかった。絶対買わなかった。なのでクールダウンの実用性が証明できたのである。
 家の購入とは逆に「3000万円の融資事件」も銀行員の反応を見て、冷静になり躁状態だったけど諦めたという状況から見てもクールダウンの大切さがわかる。このクールダウンが無ければ、銀行の融資以外の手を使ってでもとにかく資金を集めようとしたかもしれない。(多分、集められないけれど)
 鉄は熱いうちに打て、なんて世間では言われるけれど、こと躁鬱人、それも躁状態の時に限っては「冷(覚)めてから打て!」である。
 冷めても精錬できるくらいの熱さを持っていたら、まあそれはゴーサインだろう。そこは躁鬱人が持っている能力の一つである「突破力」を存分に活用すればいい。これは社会貢献にもなるはずである。躁鬱人は「優しい」という能力も持ち合わせているので、そのアイデアはきっと世間の役に立つことばかりなはずだからである。
 たぬきは今、とにかくセルフビルドで小屋が建てたいのである。だけれど、山の持ち主たる知人に熱々の鉄を冷ましてもらって、今ちょっと冷静になった状況である。ああ、暑苦しすぎたんだ・・・とたぬきは気が付いた。
 これはたまたま得たクールダウンの機会だったが、毎回そんな状況が勝手に訪れてくれるとは限らない。
 友人に話をしてみる、でもいいし、脳内でしか考えられない旅やキャンプなどの状況に身を置いてみるでもいいし、事業計画書など数字で実現可能か分かる資料を作ってみるってのもいいだろう。
 とにかく躁鬱人にとっては「鉄は冷(覚)めてから打て!」である。
 繰り返すが、冷めてから打てば、身を滅ぼすことも無いし、なんなら社会の役にも立っちゃう自他ともに認める実現可能なことを実行できてしまうかもしれない。そんな可能性を躁鬱人は秘めているのである。
 ちょっと躁鬱人礼賛みたいな結論に至ってしまったが、だまされたと思ってやってみて欲しい。もう少し、躁鬱病との付き合い方がうまくなるはずであるから。。
 今回はこんな感じで終わりにしたいと思います。
 ではでは。
 
 

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