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【ソウウツ通信】たぬきの安心のハードル【13】

 躁鬱人は冬に元気がなくなり、春と共に元気がみなぎってくることが多いらしい。
 躁鬱たぬきは去年の冬は特に体調を崩すことは無かった。冬になって運動しなくなり、体力はかなり落ちたけれど。
 とりあえず丸1年間は双極性障害とうまく付き合えて来たつもりである。
 そして、躁鬱人がみんな元気になる春になった。
 たぬきは最近、重度の鬱に突入することは無かったけれど、春のせいで軽躁状態なのかもしれないと思っている。
 ちょっと最近の出来事を振り返ってみよう。
 先月は車中泊を含めて3泊の湯治旅行に出かけた。
 借りている畑を耕し始めて、そんなに大きな畑ではないので毎日やることがあるわけでもないのに、毎日毎日畑を見に行っている。
 小屋を作りたくて、山を持っている知人に熱烈アピールしてドン引きされた。(でも建てさせてくれるかもしれない。)
 人の多い所は苦手なのに、美術館なんか出かけちゃって優雅な一日を過ごした。
 躁状態の時に勢いで買った古民家の庭で草刈りをし、ついでに「こうしたらもっと素敵じゃないか!?」と思いついて、もはや土木作業みたいなことをやっている。
 オシャレなお店に一人で入るのは超苦手なはずなのに、そのお店への興味の方が勝り、いくつかの店舗にはじめて行ってみる。そして、店主の方とお話したりもしたり。(新しいお店に行った後は必ず寝込む。)
 バーベキューを自ら企画し、十数人でわいわいやった。(これも翌日寝込んだ。)
 ・・・と言った感じである。
 最近、1~2ヶ月の話である。
 ちょっと色々手を出し過ぎなんじゃないかと、最近思い始めた。常に体には疲労がたまっている感じがする。
 軽躁状態だと思う。
 これが完全な躁状態になると反動で大きな鬱が来るというのは周知の事実なので気を付けなくてはいけない。
 ・・・と思っている矢先にこれまた躁鬱人には大切な「規則正しい生活」を破り、深夜0時起床で久しぶりに釣りなんかに出かけちゃったりした。
 ほんと、いけない。
 そして翌日いつもの通り寝込んだかと思いきや、ふと思い立って庭の土木作業である。
 それでより疲労が溜まったと同時に、躁のギアが一つ上がった気もしている。
 こういう時は早めに充電機会を持つことが重要である・・・とどこかで書いたけれど、キャンプにでも行ってのんびりして来ようかな・・・と思っている今日この頃です。「どうどう」と自らをいなさなければ興奮状態がどんどん手の付けられないところまで行ってしまいそうな気がしている。
 さて。そんな躁鬱たぬきであるが、「安心のハードル」について今回は考えていきたい。考えた上で何かしらの処世術というか、やり過ごし方みたいなのが見つかるんならそれはそれで最高だ。
 「いくら宝くじが当たったら会社を辞める?」・・・みたいな話はだれでもよくすると思う。「宝くじ当たったら何を買う?」と同系列の会話である。
 たぬきが勤め人だった時代もそんな話、ごまんとしてきた。
 まあ今では将来への不安とかから数億円当たってもやめない人が多いかもしれないが、たぬきもそっち側の口である。
 宝くじではなく、仕事のやるやらないとも関係なく、たぬきは1億円、いや3億円いきなりもらったとしてもお金の不安はなくならない。
 3億円って言ったら生涯賃金である。賃金はそこから各種税金や社会保険料を取られたりするから実際はもっと少ない額が手取りである。と、なると3億円なんて手に入ったら、もう安心も安心。一生安泰な金額のはずである。
 なのにたぬきは全然安心感を得られないのである。(まあ、3億円どころか300万円も持ってないので、想像だけれどね。)
 これはお金と言うわかりやすい指標を例に挙げたが、たぬきにとって「安心のハードル」はすごく高いんじゃないかと自覚している。
 友人にそんな話をしたら、「私は1000万円あれば仕事を辞めるし、しばらく遊んで暮らす、3億円はもらい過ぎ。」と言われた。もらってないよ、3億円。。
 まあ、これは極端な考え方なのかもしれないけれど、1000万円なんてはした金で数年無為にすごしたら不安で不安で仕方がない!!とたぬきは思ってしまうのである。
 「安心のハードル」。これは金銭面の話だけではなく、躁鬱人は得てして安心のハードルが高く設定されているんじゃないかと思ったりする。
 躁鬱人の鬱期や鬱病の方などは、常に漠然とした不安と闘っている。いや、たぬきの場合ではあってみんなはそうなのか分からないが、躁状態の時にも漠然とした不安と闘っているのだ。
 漠然とした不安があって、躁状態の元気具合が加わるから、今のうちに色々やっておかないと「損」をするし「将来が不安」と思って行動しまくっちゃうのである。
 不安は極端になると絶望になる。
 不安の種はそこら中に蒔かれている。元気な時は何となく考えないようにすることも出来るが、こと鬱期になると一気に芽吹いてきちゃう。
 お金が無い。勤め人は無理だ。友達もいない。眠れない。でも昼間は眠くて夜まで寝ちゃう。スマホが割れた。メタボ診断された。両親ももう年である。介護とか自分がやれる気がしない。こんな年まで独身で、将来どうすればいいんだろう。白髪が増えてきた。老いを感じる。夕日を見るとなんだか悲しくなる。近所の人にいやみを言われた。この街で生きていける気がしない。家を買っちゃった。しかもボロボロの家でお荷物だ。最近地震が多い。大雨も怖い。そういや家の裏の崖は大丈夫なんだろうか。もう躁鬱病歴15年だよ。言っちゃえば15年間人生を無駄にしてきたわけだし、別に今も治ったわけじゃない。今後、治る見込みもない。どうすんだ、人生。
 こんな不安ばかりに囲まれていて寿命が尽きるまで生きていくなんて世界は無情すぎる。みんなこんな世の中で良くにこにこして生きていけるもんだ。みんなは社会の本質が分かっていない。世の中は冷たい!辛い!!辛すぎるのだ!!!
 そして極論に至ると、「こんな世知辛い世の中何だったらさっさとおさらばする方が幸せである。」となる。
 今は元気期だから鬱期の時を思い出して不安だと思っていたことなどを上げてみたけれど、脈絡が無い。次々と不安なことが頭をもたげ、ぐるぐるぐるぐる回り続け、不安のスパイラルに陥っていくのである。
 でも、今見てみると不安の大半は「大したことない」か「自分でどうしようもできない事柄」ばかりである。
 なにをそんなに不安になってんの。である。冷静に考えればそんなもんである。
 3億円無くたって生きていけるのである。勤め人は無理だ!なんていうけれど、それは嫌なことのたくさんあった(たぬきで言うところの)地方公務員の世界だけであって、別にすべてのお勤めが無理と決まったわけじゃない。友達だって保育園から付き合いのある友人だっているじゃないか。先日、バーベキュー主催して十数人集まったんでしょ?それ友達じゃん。昼間寝ちゃうなら昼夜逆転してもとりあえずはいいんじゃない?
 不安なんてそんなもんである。まあ、上の考え方の転換は認知行動療法をしているとも言えるのだけれど、渦中にいる躁鬱人本人に至ってはそんな療法どこ吹く風、である。
 カウンセラーに事実を言われたって不安は解消しないのである。
 ただただ、不安で仕方がないのである。
 これはもう「安心のハードル」が高いと常々理解しておくほかないんじゃないだろうか。
 たぬきは現在軽躁状態であるから、鬱の時、なんであんなに不安で仕方がなかったのかよくわからない、なんて気楽な気分で考えているけれど、また鬱になったら不安に苛まれるはずである。
 その一つ一つの不安は実際の所、認知行動療法なんかしても全然効かない。効く人がいるからそういう療法があるのかもしれないけれど、たぬきには全然効かなかった。30分も1時間も何話してんだ、このお姉さんは・・・と思っていた。
 「それは視線がそう感じたというだけですよね?直接言われたわけでは無いですよね。」
 とか、
 「その問題は起こるかもしれないと思っているだけで、今起こっているわけではないですよね?」
 とか言われたって、「そうか!この不安は別に不安じゃないんだ!」なんて考え方がその時点でパッと変わるわけではないのである。
 それに、これらの各種不安の総合商社は鬱状態の時に表沙汰になって悪さをするだけで会って、元気な時も根本的にこれらの不安を常に抱えているのである。たぬきは特に。
 それを鬱状態になったときに対処療法のように直そうと思っていたってそうそう治るわけではない。当たり前である。
 普通の風邪やらなにやらにかからないようにするには、未病というか免疫力を高めるとか、事前に手を打っておかなければならない。
 今、鬱状態の人にとっては、そうは言ったって今苦しんでるんだよ!!となるかもしれないし、たぬきも鬱状態で現在進行形で苦しんでいるときに、「なにを今さら」なことを言われたってどうしようもないと思っていた。
 正直、今回の件については現在進行形で鬱状態の方々へは、マジで今はゆっくり休んで!必ず良くなるよ!・・・としか言えないので心苦しいけれど、躁鬱人は「安心のハードル」が高めだということだけ覚えていて欲しいと思っている。
 よく日本庭園とかに「我唯足知」っていう"つくばい"が置いてある。「自分は満ち足りていることのみを知っている」「満足することを知っている人は幸せであり、満足することを知らない人は何があっても不幸である」とか言う意味だと聞いた。
 躁鬱人は得てして後者、「満足することを知らない人は何があっても不幸である」の考えに陥りやすい。
 なので、元気な時からそんな傾向があるんだ、躁鬱人って。と、自覚して、足るを知る練習を積み重ねるのがいいのではないだろうか。
 たぬきは先日、海釣りにいった。正直言って釣り好きからしたら全然釣れた部類には入らないくらいの釣果だった。それでも、たぬきは「たくさん釣れた!!うひょー!」という気分になった。
 こんな考え方を元気な時から身に着けることが大事だといえる。
 まあ、簡単に行っちゃったらプラス思考ってことになるんだろうけれど。「安心のハードルを下げよう」じゃなくて「プラス思考になろう」って言った方が分かりやすかったかも。
 でも、プラス思考になろう!って言われるより安心のハードルを下げよう!ってほうがより現実的に実行可能だとは思わないだろうか?
 プラス思考ってそりゃ天性の才能な気がする。
 プラス思考って週末ハイキングに出かけようと思っていて大雨だったら、「ラッキー♪オシャレなカフェでお茶でもしながら積ん読だった本を片っ端から読める!」とかって喜ぶってことでしょ?たぬきは無理である。
 そもそもそんな思考回路なら、たぬきは躁鬱人なんかになっていない。
 たぬきの友人の中にも何人か、あんなに怒られてよく平気でいられるなあ!って人がいて、どうして凹まないの??って聞いたことがある。
 答えは「気にしない」である。
 それはそれで天性の才能だけれど、反省しないから次に活かされない、ともいえるわけだ。
 プラス思考の傾向がある、マイナス思考の傾向がある、どちらが悪いというわけでは無い。
 マイナス思考の傾向があるなら、事前に起こりうる問題に対して対処することができるし、反省して次に活かすことだってできうる。(まあ、その分凹むんだけれど。)
 だから、マイナス思考の人がプラス思考になるように努力しよう!ってのは「安心のハードル」を下げるのとはちょっと違うような気がする。
 書いててそんな気がしてきた。
 そもそもマイナス思考が悪いわけじゃないし。上に挙げたようないいことだってあるわけだから。
 一方で「安心のハードル」の上げ下げに関してはその人の持ち合わせた特性とはちょっと異なった方面からのアプローチなので手が付けやすい。
 「安心のハードル」を下げることはある意味、プラス思考と似ている部分もあるけれど、安心のハードルを下げるうちの一部分にプラス思考の要素も含まれている感じだ。
 プラス思考なのが必ずしも安心のハードルを下げることに寄与しない。なので別にマイナス思考でも実現可能である。
 別に晴れを期待していた週末が雨だったからと言って(究極の)プラス思考の人は喜ぶし、マイナス思考の人は凹む。そりゃそうだ。
 だからと言って不安になるわけじゃないし、なので安心のハードルの話とはちょっと違う。
 安心のハードルは下げることができる。晴耕雨読じゃないけれど、色んなことに感謝すればいいんじゃないかとも思えてきた。マイナス思考をプラス思考にするほど難しくも無い。
 鬱で寝込んでいても、仕事ができない状態でも、この日本においては福祉政策はそれなりに整っているので飢え死にするわけでもないし、住むところが無くなるなんてことはない。足るを知る。
 ごはんと納豆と味噌汁。生卵。そんな朝食が食べられるだけで感謝。足るを知る。
 収入は少ないけれど、月に一度くらいは近くの温泉に行ってのんびりすることができる。足るを知る。
 そんな感じである。
 たぬきは自己啓発本をある意味、斜に構えて読んだりする傾向にある。そういう本に羅列されるセリフの中に「感謝の心を持とう!」なんて書いてありそうな感じである。
 でも、そういう本は「〇〇するための100の方法」とかやたらいっぱい書いてあるのでいいことも書いてあるのに薄められちゃっている気がしないでもない。
 足るを知る。安心のハードルを低く設定する。現状に感謝する。この辺は躁鬱人にとっては大事なことかもしれない。
 しかも、それを意識するのは鬱になって「今さらそんなこと言われても・・・」って時期ではなく、ちょい鬱のときも、元気な時も、常日頃から練習することが必要そうである。
 たぬきは安心を得られるハードルがやたら高い。なのでいつも不安である。だけれどよくよく考えてみるとその不安の大半は大したことが無いか、自分ではどうしようもない事柄ばかりである。
 それを年がら年中心配していても疲れるだけである。
 安心のハードルを下げればもっと平穏な暮らしが訪れそうな気がしている。
 「なんくるないさー」とか「モーマンタイ」とか「マイペンライ」とかそのあたりの感覚かもしれない。
 そういえば南の国はもっとおおらかな感じで生きている気がする。たぬきは寒い地方に住んでいるから南国に行けばもっと元気になるのかしら。
 また、タイにでも行ってみようかなという気になってきた。たぬきは初めての海外がタイで、ひと月バックパッカーみたいなのをしていたので、思い入れがあり、タイが好きである。
 タイに行って安心のハードルを下げる練習をするのも手かもしれないと思い始めた。
 そんな旅行記みたいなのも書いてみたいけれど、今は躁鬱病をテーマに書いているのでここでは旅の話はしない。
 て、ことでたぬきは3億円じゃなくて10億円欲しいって話でした。
 ではでは。

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