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【ソウウツ通信】躁鬱たぬきは旅に出る【4】

 精神疾患と言ってしまったらそれまでだけれど、多かれ少なかれ躁鬱人は常に心の安寧や平穏を求めている。
 文人や漫画家などの中でも、この人病んでるなー!と思うような人は旅に出ていることが多いように思う。
 たぬきは、つげ義春の漫画が好きである。有名ではない鄙びた温泉街などに好んで旅をして、それを作品に残している。
 また、大正から昭和あたりの純文学も結構読んだりする。太宰治とかも旅や仕事で温泉地を訪れて小説を書いているし、太宰治とは仲が悪かったけれども川端康成も傷心旅行と称した「伊豆の踊子」みたいな作品を残している。
 自意識過剰気味で言えばそういった傷心旅行というか、自分を労わるための旅・・・みたいなのがたぬきは好きである。
 自分が文人にでもなった気持ちで旅に出たりするのである。
 と言っても、【3】で書いたように「破滅への旅」みたいなことをして失敗することもある。
 今回は色々な旅先に行ってみた際のお話と共にその時の元気具合はどんなもんだったのか?・・・をたぬきは書いてみようと思っている。
 一人旅限定だ。
 たぬきが一人旅をしたのはまだ躁鬱病という自覚もなにもなかったころ。なんだったら鬱病とかですら世間にあまり認められていなかった頃の高校1年生の時である。
 たぬきは家に使われていないツーリング用の自転車があるのに気が付き、ふと自転車旅行に出てみようと思い立った。思い立つとソッコーで行動する。後先はあまり考えない。このころから躁鬱人としての素質があったのでは!?と今では思うが当時はそんなんでもない。
 たぬきは小学校の頃の自転車が趣味だった先生を思い出して道具一式を借りた。そしてすぐに旅に出た。
 たぬきの細かい種類は「ホンドタヌキ」であって、南関東の生まれだ。最初は北海道まで自転車で行ってやろうと意気込んでいたが、ぶっつけ本番の旅でそこまでは行けないと思い、なんでかは知らないが日光まで行ってみることにした。片道数百キロの道のりである。
 この旅を現在の躁鬱人たる躁鬱たぬきの元気指標「寝ないほど元気」「元気」「ちょっと元気」「ふつう」「低空飛行のふつう」「墜落直前」「墜落」に当てはめてみると「寝ないほど元気」であった。
 ツーリング用自転車で荷物を満載している場合の1日の移動距離は100㎞前後がいい所だろう。だけれどたぬきは1日200㎞を走った。2日で350㎞から400㎞である。帰路は下り坂が多かったと言えど寝ないで実家まで走り続けた。
 そして、帰って寝込んだ。
 これは若さだけのなせる技ではないだろう。ドーパミンだか、アドレナリンが大量に出ていたに違いない。途中、不良に絡まれたりいろいろなことがあったけれど、エネルギーがほとばしる高校生だったからこそできたことであって、(そんな体力は今はもうないが)現在やったとしたら鬱期への突入のスイッチになることは間違いないだろう。
 次は初めての海外のお話である。
 たぬきは大学2年生の春休みに、初めて海外に行った。
 そのころ「深夜特急」(沢木耕太郎)とか「ASIAN JAPANESE」(小林紀晴)とか「アジアのディープな歩き方」(堀田あきお&かよ)なんかの本にハマっていてバックパッカーをしてみようと思ったのだ。
 たぬきがメンタルクリニックにかかったのは25歳のときだからこのときも躁鬱病という自覚は無い。ただ、今の指標に当てはめると「低空飛行のふつう」のメンタル状態で言わば「ちょい鬱」という充電するにはちょうどいいタイミングだったと言える。
 そんなわけで、たぬきは初めての海外でタイにひと月旅に出た。隣国のミャンマーやカンボジアなんかにも行ってみたこの度は、はじめての海外と言うこともあって、見聞きする食べ物や文化、人々の営みなどその国のすべてを吸収しようと試みた。
 たぬきには大変なカルチャーショックを受けた。言葉なんかまったく話せないけれども何とかなるもんだな!と感じた。
 このタイ旅行でにわかに似非バックパッカーになった気でいたたぬきは、3年の夏休みにはインドとネパールにこれまたひと月旅に出たのである。
 この時は「ちょっと元気」状態であった。なので帰国した後1週間ほど寝込んだが、すぐに回復して事なきを得た。
 たぬきは躁鬱病という指標の他に、最近流行りのHSPとかのセルフチェックをやってみるとHSS型HSPというやつに分類された。あまり多くないタイプと言うことだったのだが、躁鬱人に多い気質なんじゃないかと思っている。
 HSPは他人の目にどう映っているのかなどをすごく気にしてしまう性質のことを言う。それで気を使い過ぎて疲れちゃうのである。一方、HSS型HSPはすごく気にしてしまう性質だから家でおとなしくしてればいいのに刺激を求めて色んな所に出かけたり、知識や情報を吸収しに行っちゃうような性質のことをいうらしい。
 そのことを知ったのはインドやネパールに行ってから10年以上もあとのことだったけれど、当時の海外旅行を思い出して、そして海外旅行から帰ってきて寝込む自分を思い出して納得したものである。
 インドではガンジス河でバタフライもしてみたし、出される食事はなんでも食べて腹をこわしたりもしていた。いくら雑食のたぬきと言えども腐っているものは受け付けない。ネパールのポカラで食べたなんだかヤバい卵で熱を出して、トレッキングツアーに参加できなくなったこともあった。
 ただ、これは許容範囲と言えなくもない海外旅行だった。
 なので今度は同じく海外の失敗した旅を挙げてみようと思う。
 これはたぬきが躁鬱病ではなく鬱病と判断されていたころのお話だ。
 たぬきは完全な寝たきりである「墜落」を2カ月ほど過ごしていた。これは最初にかかった医者が「統合失調症」という診断をしてしまい、薬を飲めば飲むほど瀕死の状態になったことも原因の一つといっていいだろう。
 過呼吸になり死にかけたのである。
 そこで医者を変えた。医者を変えて処方が変わったら「墜落」から「墜落直前」という下から2番目とはいえ、ちょっと回復したのである。
 たぬきは2カ月という精神面での不調でこんなにも死にかけるのか!!という絶望を味わった後であったから「墜落直前」になったことを「回復!!治った!!」と捉えてしまっていた。
 それで学生時代、旅が好きだったことを思い出して、当時の医者に「好きなことを少しづつやりなさい」と言われたこともあり、行ったことのなかったベトナムに行ってみたのである。
 よくわからずホーチミンに入ったものの、旅の準備などで疲れ果て、まさかの異国の地で「墜落」した。
 寝たきりになったのである。1週間ほどの旅だったと思うが、ホーチミンの安宿でうずくまり、昼にその辺の屋台のフォーをなんとか食べに出かけるといった感じで丸々の行程を浪費した。
 そしてほうほうのていで帰国したのである。
 そして鬱の治療はゼロに戻った。医者にはものすごく怒られた。
 その時は躁鬱病という診断では無かったからかもしれないが、躁鬱病という診断だったら間違いなく、この行動も症状の一つとして捉えられていたような気がする。
 海外で言うとほかにもヨーロッパ2週間とかちょこまかと海外に行ったりしているが、似たような話なのでここでは端折る。(ヨーロッパ旅行の時は「低空飛行のふつう」から「墜落直前」の間だったと思っている。もうちょっと充電が送れたらヤバかった!・・・くらいのタイミングであった。)
 と、まあ、海外旅行に関してはその労力と言うか準備などに必要な期間というかが国内旅行と比べ多少は必要なので、大まかに言うと割とハイテンションだったことがうかがえる。
 で、ここから、つげ義春とか太宰治好きだー!鄙びた温泉街が好きだ―!という国内旅行の話をしようと思っていたのだが、ハイテンションについてちょっと書いてみようとたぬきは気が変わった。
 躁鬱人のみなさんならわかるかもしれないけど、気分の上げ下げって単純に波のアップダウンがふつうの人より激しいとかそんな簡単な感じなのだろうか?たぬきは時々疑問に思う。
 「寝ないほど元気」「元気」「ちょっと元気」「ふつう」「低空飛行のふつう」「墜落直前」「墜落」みたいに、ふつうの人なら「元気」「ちょっと元気」「ふつう」「低空飛行のふつう」くらいで気分の上げ下げが収まりそうなものがもっと極端に振れる症状が出る・・・という一言で済まされるものなのだろうか?
 そうだとしたら一般的な精神病治療である「寝ないほど元気」を「元気」くらいに抑え、「墜落直前」「墜落」の状態を「低空飛行のふつう」に上げる治療をすればいい。
 単純明快!簡単だ!たぬきはポンとお腹を叩いた。
 躁状態を抑える薬は多くの選択肢があるし、鬱状態を上げる薬も多々ある。これで症状を緩和させればいいのである。
 「ところが!」とたぬきは持っていた扇子を客席に向けた。客席なんかないけれど、寄席にでも出ている気分なのである。ちょっとハイテンションに なってきたのかもしれない。
 ・・・とまあそんな話はどうでも良くて。
 そう。たぬきには「躁であり、なおかつ鬱である」という状態があるのである。逆もある。たぬきは躁鬱病と言えども、散財や人間関係を壊滅的に壊すほどの躁状態になることがあまりない「頂がすこぶる高い躁」にはならないタイプである。(でも、散財も人間関係を壊すことはある。)
 この「躁であり鬱である」という状態がすごい厄介だと思っている。お医者様は躁鬱病の症状を簡単に患者に説明しようと波のアップダウンの話をしてくれてると思うのだが、この量子力学的な「躁であり鬱である」という状態を知ってくれているのだろうか。
 たぬきの場合でいったら躁状態に見える行動をしている裏には、必ずその躁状態と同じくらいのでっかい鬱が表裏一体のように張り付いているし、鬱状態の時でも(ベトナムに行ってしまった時のように)動けることがあるのである。これは鬱状態の裏に躁が隠れていて無理して体を動かして、さらに鬱を悪化させることにつながる。
 少なくとも鬱に関しては裏に躁の影も何もあったもんじゃない完全な鬱は存在するけれど、躁においては完全な躁は経験したことがない。
 たぬきは躁鬱人のみなさんはどうなのだろうか聞いてみたい。本当に聞いてみたい。本当に。
 躁の時は全身全霊で活動的で頭脳明晰で暗い影はいっさいなかったと言えるのだろうか?
 躁鬱病は波だけで表せない、図だけでは表せないもっと複雑な感情が入り乱れているとたぬきは考えている。これをうまい具合に表現できればと思ってこの文章を書いてもいるのだけれど、稚拙な文章で分かりやすく書いているとも思えない。
 が、頑張って書いてみると「ハイテンション」の場合にも躁鬱人にとってはいろいろあるということである。
 たぬきは経験したことがないが「①鬱の影が一切ない状態の躁」というハイテンション。「②鬱が裏に潜んでいる躁状態」のハイテンション。「③鬱なのに体を動かせるハイテンション」である。
 これが躁鬱病の症状をわかりにくくさせている。例えば②とか③で気分を下げる薬なんか処方しちゃったら鬱が悪化してしまう。難しい。
 多分、まっとうなお医者様はその辺は当然わかって薬とかの処方をしてくれているのだと思うが、このわかりにくさを知ってもらいたくて脱線してみた。
 ただ、これは一般的な症状では無くてたぬき独自の症状なのかもしれない。いくら気にしいなHSPと言えども、本当の所の他人の気持ちはわからないのである。躁鬱人のみんなはどんな感じなのか教えてもらえるとありがたい。
 で、話を戻そう。旅の話である。(最後はたのしく軽い感じで終わりにしたい。)
 つげ義春は言わずもがな、大正、昭和期の小説にはあり金をもって夏休みを避暑に出かけるとかそういった後先考えない旅が出てきて、そういうのにたぬきは非常に憧れているのである。
 ちょっと思い出しただけでも、夏目漱石の「こころ」では「私」が「先生」に出会ったのは夏休みで訪れていた由比ヶ浜でのことであるし、川端康成の「雪国」では越後湯沢、太宰治だったら伊豆の温泉地に逗留して小説を書いたりしているし、作家と温泉は切っても切れない関係である。
 このころの小説には特に(アクセスが良かったのだろう)湯河原温泉がよく出てくる。
 たぬきは湯河原温泉にも行ったことがあるけれど、すごい鬱だった時だったのであまり記憶にない。
 ともかく国内の旅では鄙びた温泉や、なんの変哲もない地方都市だとかに行ってみるのがたぬきのお気に入りだ。
 ガイドブックにもネットにも大々的に紹介されていない宿や街を旅すると大変癒される。
 たぬきは人ごみの中では疲れちゃうのもあるし、地方のなんてことはない街を眺めたり、地元の安食堂で常連のおっさんたちの会話を聞きながら400円くらいのラーメンをすすっていると、どこにでも普通のくらしってやつがあるんだな。とか、みんな頑張って今を生きてるんだなとか生への渇望といったら言い過ぎだけれども、自分もちょっと頑張ってみようかな・・・なんて気分にさせてくれるからである。
 本当はたぬきがこっそりと愛していたい街なので、あまり教えたくないが、どういう感じの街のことをいうかというと、例えば石川県七尾市、群馬県桐生市、北海道稚内市、北海道根室市、熊本県人吉市、山形県山形市、栃木県栃木市とかそんなところである。
 観光地だけれども、ザ・観光地!と言ったところでもなく、言わば観光地としても大人気の場所ではない。または観光名所が数カ所しかなく、何泊もして旅するところではないような場所である。
 そんなところの観光地から離れた場所を歩くと、人々の生活感を感じられてすごくいい!・・・のだ。
 たぬきは国内旅行のみならず、海外旅行においてでもこんな旅の仕方を嗜好している。大変癒される。
 全員じゃないだろうけれど、躁鬱人の中には旅が充電方法である・・・という人は少なからずいるだろう。だけれど観光地は疲れる方が多いと思う。なので、元気な時はあんなにいろいろな所に旅行していたのに、今では・・・みたいな思考回路に陥りやすい。
 ここは嗜好を変えて、例えば、今住んでいる県内のなんも特徴のないと思われる街を旅してみてはいかがだろう?それこそ、ダーツとかで当たった所を旅してもいいのかもしれない。
 たぶん新しい発見があるし、それを自分しか知らないという優越感や、人々のふつうの暮らしを見て癒されること間違いなしである。
 そんなことを書いていたらたぬきも旅に出たくなった。たぬきは今、湯治に興味がある。めちゃくちゃ鄙びた温泉に行きたいと思っている。
 だけれど、そんな宿があるのは東北とか九州とかちょっと遠い場所なのだ。だけれど、近年まれにみる暇&そこそこ元気な状態である。
 たぬきはいつものように、またふらっと旅に出るのかもしれない。

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