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『社会的特権』と『運がいい』の違いを考える

 いつもお世話になっている皆さん、はじめましての皆さん、こんにちは!のぞむです⛰

大学のとある講義で「社会的特権」という言葉が出てきました。

そして、新年になった今、「今年の運勢は…」なんて言われるのを耳にしたとき、ふと「社会的特権と運の間には違いがありそうだけど、その違いを説明することは可能なのかな?」と疑問が出てきました。

そこでこちらでは、それぞれの性格を例を用いて考えてみたいと思います☕

「社会的特権」とは、それを有する主体にとっては偶然のように思えますが、実際は、社会内部に存在する諸要因が合わさることで、ある意味必然的に創出される権利と言えます。

この特権は、偶然性と必然性が、特権を有する主体と、社会という「視点により変化する」点と、「特権の大部分を主観が占めている」点が特徴であると言えます。


 その例として大学進学を考えてみましょう。

学生自身は「偶然の結果」として大学に進学する、あるいは「その」大学に進学すると感じますよね。

しかし、大学進学は生まれた家庭や地域等、親の学歴などの社会的諸要因によりある程度左右されています。

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 その一方で、宝くじに当たることに社会的条件は一切影響せず、そこには偶然性しか存在しません。これが第一に相違点であると言えます。


 第二に、運には主観が入り込む隙間がないため、宝くじに当たるように願うとしても、それは、運が良いという結果に直結しません。

それゆえ、誰でも運が良いという状態になる可能性があります。

しかし、社会的特権の大部分は主観、つまり、自分の価値観やアイデンティティが占めているため、特権を有する人が特権自体を直視、さらに否定することは困難です。

 ゆえに、社会的特権は、運とは異なり、特権を有する者が「自分は特権を持っている」と自覚することが少ないので、それを持たない者へと移動する可能性は低いと言えます。

「偶然と必然」「権利の移動」の二点が「社会的特権を持つ」と「運が良い」の相違点を考える上でのキーワードになるという結論に至りました。

まだまだ相違点を見出して、より分かりやすい説明ができるかもしれないので、これからの日々考えてみようと思います。

今日はここら辺で失礼いたします。皆さん、よい一日を!

お読み下さりありがとうございました📚

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