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油にまつわるエトセトラ番外編~鯨油の歴史を探るin平戸~


0.油にまつわるエトセトラ

仮説実験授業《あかりと文明》での出来事をまとめた記事はこちらから読むことができます。

今回はその番外編を書いてみました!

1.油の歴史はまだまだつづくよどこまでも!

授業書《あかりと文明》を作られた阿部徳昭さん(宮城・小学校)は、
様々な油の歴史について研究されています。

油の1つとして、鯨油についてもまとめた資料もあります。

クジラ油をまいたなら 阿部徳昭
電気のない時代,主に〈灯りの燃料〉として使われていたクジラ油。江戸時代には,なんと農業用にも使われたというのです。どう使われていたか,その実態を調べていくうちに〈大胆すぎる仮説〉を思いついてしまった!

『たのしい授業No.450 2016年6月号』見出しより

また、こちらにも…

もしもペリーが来なかったら ●《あかりと文明》,こぼれ話
阿部徳昭
1853年,アメリカのペリーが日本に来て,開国を求めた。そのことは小学校の教科書にも出てくる知識。では,なぜ開国を求めたのか。その原因をさぐっていくと……。

『たのしい授業No.458 2017年1月号』見出しより

クジラ油も灯りの油として使われていた…
そしてそれがなんと
北部九州でクジラが取れていた!?ななな、なんですと!?


2.平戸に行きたい

さて、長崎県に平戸 という場所があります。
平戸 と言えば、南蛮貿易とかを思い出す方々も多いと思うのですが…私にとっての平戸は「捕鯨地」です。

 なぜかというと阿部徳昭さん(宮城・小学校)の資料「もしも油がもえたなら ㉑ もしもクジラをとったなら」(私家版・阿部徳昭著『もしも油がもえたなら』に掲載)に

「鯨油を目的として捕鯨をしていた」
「壱岐(いき)や生月島(いきつきしま)で捕鯨をしていた」

と書かれていたからです。 

この資料を読んだとき、
私の心の中で「地元九州が歴史の舞台になっているとは!」と
わくわくしました。

資料を読み終えた後に
「福岡でも鯨油を買っていた と書いてあったからきっと手掛かりになる文章が残っているのかも?」と
図書館に行って鯨油について書かれている本を探しに
行ったほどです。

しかし
本を探して読んでみても
昔の言葉で書かれているのと、
何をかいているのかさっぱりわからず だったので、
早々にあきらめて家に帰りましたが…。とほほ。

とにかく!阿部さんの油の資料や、
《あかりと文明》とても好きな私。
その「油ってすごい。楽しい!」と
私も油の歴史・阿部さんの研究にどっぷりはまったきっかけは、

「鯨油の歴史」

だったのです(単なる地元好きというのもありますが)
 

以前、阿部さんを福岡に招いて
《あかりと文明》体験講座をしていただいたときには、
講座後に捕鯨地である唐津の呼子にも行きました。

呼子には, 鯨組主中尾家屋敷(※) という県指定重要文化財が残っています。
※ 中尾家は江戸時代から明治初頭にかけて,170年間にわたり呼子を拠点に捕鯨業を営んでした鯨組主です。



壱岐や五島列島は船で行かないと無理…。
もっと近場で、
そして車で行って捕鯨の歴史を知ることができる場所として、
平戸市にある生月島が候補に挙がりました。
 
生月島は橋で渡れるため、車で行けます。

というわけで,旅行もかねて
捕鯨の歴史について平戸・生月島まで行くことにしました。


この日は曇天。平戸大橋


3.阿部さんに連絡しました


 しかし私、捕鯨の歴史をものすごく詳しいわけでもありません。
ですから、事前に阿部さんに連絡して聞いてみました。

阿部さんこんばんは。
平戸って,捕鯨地…だったと思う(生月島があります。橋があるので渡れるらしいです)ので,捕鯨や鯨油についてみてきたいと思います。
 

 すると,阿部さんから、

生月の島の館ってところのサイトを見てみたら捕鯨について書かれています。
あかりや農薬にも使われたとありますが,どうしても食用がメインだと思ってるみたいです。
生月の江戸時代の捕鯨の絵図とかはないのかなあ。
絵図や鯨の捕鯨数などがわかる資料があったら,写真おねがいします。
あと,鯨油の農薬の出所なので,そんな資料とかあるのかなあ。
東北には鯨油をまいて虫をとる文化はないので,何か手がかりがあれば。
 

 という返信が来ました。

そうなんです。鯨油は
灯用油だけではなく、農業・農薬に使っていた というのが
江戸時代後期に農業技術書を数多く書いた大蔵永常が
『除蝗録』という本に書いていたのです。
(阿部さん資料「クジラ油をまいたなら」に掲載)
 

その『除蝗録』(下記の引用は大蔵永常著・小西正泰他解題『日本農書全集
15 除蝗録』1977,農文協の現代語訳を参考・阿部さんがさらに意訳)には

日差しが強く,田の水が湯のように温かくなった時,水をせきとめ畦いっぱいに水を入れる。壺に油を入れ,左の手で壺を持ち,右手でシジミのサジを持って一杯すくって,一坪に一サジ入れて回ると,油は一面に散って広がる。
(中略)
 そのあとから,一人がしなう竹を持って東風のときは東から,西風の時は西から,左右へ稲を押したおし押したおしして,稲の穂先へ逃げ上る虫を洗い落とすようにする。そのあとから,柄の長いワラのほうきで,稲の葉に水を繰り返しかけて,葉から落ち残った虫を洗い落とすつもりで洗う。2時間ほどたってから,排水口を開けると,水勢が強く流れると蝗が死んで水に浮き流れていく。

『たのしい授業No.450』 クジラ油をまいたなら 資料より

と書かれています。

そして、東北地方ではこのようなやり方で害虫駆除をしていなかったことや、
こうやって農薬代わりに鯨油をつかっていたことから、
阿部さんは資料の中で、江戸時代の人口と関連して大胆な仮説を立てています。
(これがめっちゃおもしろい!)


東北では行われていなかった鯨油を使った害虫駆除。
その手掛かりがあるかも?と思い、
阿部さんが調べて教えてくれた
「平戸市生月町博物館・島の館」に行ってみることにしました。

生月島までは福岡から車で3時間。
途中休憩を入れながら,島の館に到着しました。


4.見つけたー!

鯨油を農薬がわりに使っていた資料などがあったら という阿部さんのリクエストもあったので,

探してみると…。みつけました!

パネルには

「享保の頃(1716~)鯨油を田に撒いて,害虫を退治する方法が筑前(福岡県)で発見され,以後,農薬として鯨油の利用価値が増大していきます」

と書かれています。
そして説明の下には阿部さんの資料で見たことがある,大蔵永常の『除蝗録』に掲載されているイラストが大きくパネル展示されていました。


平戸市生月町博物館・島の館掲示『除蝗録』より

そして、、、なんと!
パネルの下には、実際に田に油をまくのに使われていた
「油注し」も展示されていました。

あああ!資料と同じ‥‥。これをみて大興奮!

阿部さんにさっそく連絡したら、

油注しなんて,そんなのがあるとは!やっぱり,そこに行かないと見れないものがありますねー。東北では,絶対に見られない。すごい・・・。
化学的な農薬がたくさん使われるようになるのは,戦後なので,九州なら鯨油を使っていたのを見た人が生きている可能性もあると思うのですが,どうでしょうね。

との返信が。

あああ、こうやって資料に書かれていることを実際に見られるのと、
歴史の一部として考えていたことが、
実は自分の近い場所で行われていたと思うと…とっても楽しい!!


5.わくわくはとまらない

資料「クジラ油をまいたなら」の最後にはこのようなことが書かれています。

〈クジラ油の虫駆除〉は,江戸時代のムカシバナシのような気がします。
ところが,クジラ油の虫の駆除の資料を探していたら「浮塵子注油駆除ニ関スル調査成績」という論文を見つけました。
 これは,ツマグロヨコバイという虫を石油や軽油や菜種油や鯨油などに落として〈虫が死ぬ割合〉を調べたものです。
 調べたのは「農商務省農務局」なんと大正6年のことです。江戸時代で〈クジラ油の虫駆除〉は終わったわけではなかったのです。
 その調査では上記の油の他に「石油+大豆油」「軽油+菜種油」のように,いろんな油をブレンドして,〈どの油の組み合わせが効果があるか〉を細かく調べています。
 その後も昭和の前半まで〈クジラ油の虫駆除〉は,日本の虫駆除の方法として広く行われていたようです。そして,大東亜戦争後,アメリカからDDTなどのすぐれた化学農薬が入るようになってやっとクジラ油は農薬としての役割を終えたのです。

『たのしい授業No.450』 クジラ油をまいたなら 資料より

 
 阿部さんの資料には、
「九州の各藩が何十~百樽という単位で毎年買っていた」と書かれています。
そうすると,自分の2世代前?で,農業をしていた人たちが鯨油を農薬として撒いていたかもしれない…と思うと,なんだかわくわくしちゃいます。


(後日談)
九州に住んでいる研究会の方に尋ねてみると、
熊本在住のFさんから

義父に聞いたら、子どもの頃、稲に油を撒いていたそうです。
何の油だったかはちゃんと覚えていないけど、菜種油か鯨油か、どちらかじゃないかと言っていました。

という連絡が。
ああ、やっぱり数十年前までは油を農薬に使っていたんだ…と思うと
胸がはずみます。
こうやって、鯨油の歴史を確認できるというのはうれしいしたのしいです。


6.最後に

だいぶ授業とかけ離れた内容になっているとは思いますが…、
こうやって気になることや知りたいことを調べられる・
そして、自分自身が楽しくなっちゃって、
どんどん知りたい・学びたいと思えることって、
とってもスバラシイのは?って思っています。

私は
仮説実験授業や研究会を通して
それを教えてもらっていると思っています。

大人になっても楽しく学ぶことができる…。
まぁ、私が相当阿部さんの油の研究が好きだから 
それを知りたいってことが一番の原動力なんですけどね。
わはは。

(おしまい)

※資料紹介については、阿部さんに掲載許可をいただいています。
阿部さんありがとうございました。

Instagramにつけた曲はこちら。

ハネモノ好きです。
でも、この曲の「ハネモノ」を「跳ね者」と思っちゃう自分がいる…💦

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たのしい教師へのトビラ

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