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「休みの日は何してますか?」

初対面の人や慣れていない人との会話。
人見知りな私はとてもしんどい。

何を話せばいいか分からなかったら、とりあえず天気の話をしろ。とよく言われている。
「今日は雨ですね…」
「明日は雨でしょうかね…」
もはや、天気の話は「私はあなたと何を話せばいいのか分からなくなってます」と同義である。

相手も人見知りだとこれは困難を極める。
「今日は雨ですね…」
「あ…そうですよね、ごめんなさい…」
私は神でもないのに、雨であることを詫びてしまう。
天照大神以外、謝罪してはいけない謝罪だ。

そんな時に便利な言葉として存在するのが
「休みの日は何してますか?」
だろう。
殆どの人間は休みの日があるし、休みの日がある以上何かはしてる。
休みの日が無い人ならば、私となんて会話してないで、今すぐ寝た方がいい。

それにこの質問の答えによって、その人の内面や何に興味があるかなど垣間見えるのだ。
なんて、人見知りじゃない人は思うんだろう。

私はこの質問がとても怖い。
聞かれ方によっては、何か抉られるような試されるような攻撃されるような恐怖を感じる時すらある。
そう感じない時もあるのだが、どちらにせよ言葉に詰まる。
熟慮して出る答えは

「何もしないことをしています…」

と、聞こえるか聞こえないか程の声で答えるのがやっとである。
蚊の鳴く声の方が響いている。


「何もしないことをしている」
これは事実でもある。
心身の体調がすぐれない時は、何もしないことをするように努めている。

もちろん「完璧に何もしない」なんてことは、不可能だ。
人間、生きていると何かしてしまうものだ。
生きている時点で、呼吸をしているし、心臓は動いているし、水も飲むだろうし、排泄もする。

じゃあ「何もしないことをする」とは具体的に何をしているかというと、出来る範囲で止めてみている。

まずスマホを切る。
スマホは「何もしないことをする」をするにおいて、とても邪魔になる。
日常の習慣で、すぐに指先がこの長方形の上で踊りたがる。
踊らされてることにも気が付かずに、踊り続ける。
切ったスマホは、私の場所からとても遠くに投げる。
なので、私のスマホはいつも傷だらけである。


あとは食事もしない。
テレビはもちろんつけない。
物を見ないように目を閉じる。
言葉を失わせる。
横たわり動かない。

すると何が起こるのか。
ひたすらに、思考する。
本当は思考もやめたい。
でも思考だけは止まらない。
もう止まらない。

何もしたくないなあ。
何もしないをしよう。
でも何もしないをしている時点で、それをしているんだから、私はすごく何かしてるよな。

スマホをしないために、スマホをしないことをしている。
食事をしないために、食事をしないことをしている。
テレビをつけないをする、目を閉じるをする、言葉を失わせるをする、横たわり動かないをする…。
そして、いつもより、思考する。
これってすることが増えているだけではないか。
思考さえしなかったら、何もしないをできるんじゃないか。
思考しないをするにはどうしたらいいのか。
って、また思考してるやん。

思考は止まることを知らない。
「何もしないことをする」私は、死を意識しだす。
嗚呼、死にたいな。

いつの間にやら、眠りについていた。
起きると、休みでない日が目前に見えていた。
私は全く何もしなくても、着実に休みでない日へ進んでいるのだ。
時間の流れは残酷でもあるが、楽でもある。
何もしなくたって、勝手に進んでいるんだから。

むくっと私は起きる。
カラカラの体に水を入れ、カラカラな体から尿を出す。
ひび割れたスマホを開き、スマホに問うのだ。
「明日の天気はなんですか?」

初対面の人が聞いてくる。
「休みの日は何してますか?」
私は胸を張って答えてやる。
「今と同じです」

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