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内面見抜かれちゃった話し。



私が勤めているホワイトニングサロンのお客さんに少し変わった面白い方がご来店された。
(以下Aさんと呼ぶ。)

女性の方でちょっとテンションの高い人だった。
ノリの良い人は一定数いるのでそう言う人なのかなと思っていたけど、施術が終わってから世間話をしてたのだが、Aさんはとても質問がうまい。
そして、少し話していると私の過去や頭の中を見抜く様な事を言われたのだ。
さらに質問が上手いから私は変性意識に近い状態になり、少し心地よい様な感覚になって質問される事に答えていた。

ハタと我に返り、その現象に少し驚いた。
私もそれからAさんにかなり興味が湧いてきて色々と質問をしてみた。
過去の経験の中で、苦しかったことや心を病んでいた時期の話、それから復活して行くまでの話をしてくれた。

彼女の場合は、本を読むと言う所から復活の糸口を見出したそうだ。

それからは私の得意な脳科学や心理学、真理の探究についての話をしていた。

幸い、私に理解を示してくださった。おそらくかなり勉強されていると言うのもあるが、メタ視点を持っていらっしゃったのだと思う。
人を見抜く力や、人から様々な話を引き出し、ワクワクする様な提案までしてもらい、なんだかものすごいコーチングを受けている様な感覚だった。
こう言った能力を持つ人はものすごく少ない。それは心の葛藤を体験し、人の痛みが分からないと人の内面を見抜く事はできないからだ。
きっと、Aさんはこれから大活躍されるんじゃないかと思う。

そんな人の内面と言う、目に見えないけどたしかに存在するモノについて書いてみようと思う。

しばらくの間、世の中では科学至上主義が貫かれていたように思う。
私も過去、データや統計が判断基準の中でもっと大切だと思ってたし、かなり物質的な考えをしていた様に思う。
だが、人が生きる上では必ずしも論理だけが先行するわけではない。
もちろん論理も大切だが、データや統計ばかりに目を奪われると本当に大切な事を見失ってしまいかねないと思うのだ。
そもそもデータもツールであり判断の手がかりの中の一つであって最も大切なのは私たちの感情だ。
信じられない人も多いとは思うが、
現実とは、想像と感情によってできている。
現実に起きる出来事には良いも悪いもなく、そこにどう言う意味をつけるかは我々人間次第である。
その人間の物の見方は想像(イメージ)と感情によって決まるのだ。
コーヒー1つでも、マズイと言う人もいれば美味しいと言う人もいる。
それはコーヒーに対する、想像と感情が肯定的か否定的の違いでしかない。

人は見たい様に現実を見ている。
苦しみの中を生きている人も、喜びの中を生きている人も、現実的には物凄く大きな差がある様に見えるけれど、実は違いなんてどんなイメージと感情を生み出しているかと言う心の内側の違いしかないのだ。
イメージと感情は言語から作られる。
いつも皮肉や心配事、愚痴や嘲りを言っている人はそう言うものが返ってくる。
いつも喜びや明るくていい気分になる様な肯定的な言葉をセルフトークの中で繰り返している人はそう言った現実が引き寄せられてくる。
私はこの出したものが返ってくる証拠を探しているし、実際に目にした事もある。その証拠を見つけるたびに、私は自己の肯定感も上がっていく感覚を得ている。
そうすると、良い気分でいられる時間もだんだんと長くなっている様に思う。

きっとこう言う事に気づいた人から、人を救う存在となっていき影響力を持って行くのだろうと思う。

今活躍されている人たちの話から、彼らの頭の中を想像するが、やっぱり彼らの中に否定的な言葉は少なく、俗に言う一般的な考え方よりも遥かに肯定的な側面を重視している様に思う。
それは出来ない理由よりもできる理由を探す様に、当たり前にそう言う言葉の与え方をしているのをよく目撃するのだ。

私ももっと言葉を磨き、より洗練していきたいと思う。

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