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自発性隷従を働かなくさせる

 この記事では「自分」という言葉を取り巻くいくつかの事柄について考え、関連する「予備考察」(マガジンの記事たち)の延長線上にある、私が本当に思っていることを率直に述べること(パレーシア)を行いたい。

導入

 LGBTQについて考えることが少し活発になったことが背景だろうか。学校での服装(男女で別の制服の是非)が議論になっているというニュース記事などで目にすることが増えた気がする。いわゆる哲学書を読むことがあまりない人にとっては意外なことかもしれないが、服装についてはかなり以前から哲学のテーマであった。カーライルの衣服哲学などだが、そんなものはほっておこう。服装が密接に関係するルックス――見た目に対する諸規範、つまりルッキズムを導入にして話を始めたい。このテーマについての一般的な傾向は次のようなものだ――「男性らしさ」「女性らしさ」や「学生らしさ」といったような押し付けられたものに対して大事にすべきは「自分らしさ」である。そして、自分らしさは個性の尊重などに結び付けられる。
 単純化すると、差別的な「○○らしさ」vs 「自分らしさ」という構図であるから自分らしさの方には、非差別的/平等といった普遍的な価値が素朴に置かれることになる。
 大人たちがセッティングしつつ、当事者である「制服を着た」学生に意見を言わせるようなこと……そこでどんな意見が出たのかとは全く無関係に、私は、そういう企画は幼稚だと思う。なぜなら、それが表面的な思考であるからということよりも、「自分らしさ」の方に支配/差別の元があるという観点が宙吊りにされているからだ。

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原則的にはどんな人にとっても大事なことを、 テーマを分けながら書いていきます。 政治・仕事・自分……そしてパレーシアゆえに真理

私が本当に思っていること(パレーシア)についてのマガジンです 哲学の言葉をなるべく使わず、率直に語ります 働かなくさせて無効にする・その…

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