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短編:太陽に毛布をかけて

照明まで私を見捨てるというのか!

これは深夜三時過ぎ、蔦川月子(つたがわつきこ)がSNSに投稿した一文だ。月子は、つい先月失恋したばかり。艶のあった黒髪も今はパサパサ。心が落ち着くまで酒を飲み甘味を食べまくり、気づいた時には昼夜逆転、生活リズムが崩壊していた。

どっぷり夜型人間になった月子に追い打ちをかけるように、部屋の照明まで調子が悪いのだから困ったものだ。不規則な感覚で点滅するのがなんともいえず不愉快で、諦めて照明を切ると部屋は真っ暗。寂しい布団の中、スマホの明かりを頼りにSNSを見ることしかできない。

ふと、眠れない夜を過ごすための情報を求めていた月子の手が止まった。

「これ、三緒(みお)がお勧めしてるけど……照明用太陽って何?」

三緒は月子の高校時代の友人だ。社会人になった今もつきあいが続いており、お互いの仕事の都合で頻繁に会えない時期はSNSで近況を確認し合っている。今夜も三緒の投稿をチェックしていた月子は、彼女の紹介で『照明用太陽』という新しい照明器具が流行っていることを知った。オレンジがかった温かみのある色で発光する球体が、部屋の天井に浮いている写真を見て、月子は思わず吹き出した。なるほど、確かに太陽に見えなくもない。

三緒はインテリアデザイナーで、独創的なデザインを愛している。月子は三緒らしいセンスだと微笑ましく思いながら、その後も夜更かしを続けた。


翌日目を覚ますと、部屋はすっかり明るくなっていた。

「ま、また十四時過ぎまで寝てしまった」

スマホでアラームを設定しても、最近は自分が満足するまでぐっすりと眠ってしまう。月子はフリーランスのイラストレーターのため出社する必要がないが、本来朝起きる理由があれば、意地でも目を覚ましているのではと考える。

だらしない生活リズムに苦笑しながら、月子はのろのろと体を起こした。今日は外が暗くなるまでに照明を直すか、代わりの照明器具を調達しに行こう。ため息をついていると、玄関のチャイムが鳴った。

今日は来客も、荷物が届く予定もない。まだ寝間着の月子は、どう対応したものか考えながらドアに近づく。そっとドアスコープを覗くと、そこには大きなダンボールを抱えた三緒が立っていた。栗色の柔らかい髪が、風に吹かれて揺れている。

「ど、どうしたの急に! 何その荷物!?」と驚いた月子がドアを開くと、三緒が首をかしげた。
「あなたスマホ見てないわけ? 朝起きてすぐと、家を出る前にも何度か連絡したわよ」
「え……? ちょっと待って、今確認する! 三緒も部屋の中に入っていいよ」
「はーい、おじゃましまーす」

枕元に置いたままのスマホに駆け寄る月子の後ろで、三緒が持ち込んだダンボールを床に置いた。ガムテープをはがす音をBGMに、月子は届いていたメッセージを確認する。

『昨日もまた遅い時間まで起きてSNSを投稿してたわね? そろそろ人間らしい生活に戻さないと体を壊すわよ』『照明が壊れたなら、私がSNSでお勧めしていた照明器具を持っていってあげるわ。今日、私休みなのよ。あなたは家にいるの?』『ねえ、いるの? いないの? もしかしてまだ寝てる? 昼夜逆転しすぎ!』『もう直接あなたのアパートまで持って行くから、さっそく今夜照明用太陽を使って、生活リズムを直しなさい!』

予想していた以上に何通もメッセージが届いており、月子は冷や汗をかいた。

「三緒様……色々と申し訳ございません……」

月子が寝間着のまま布団の横でヨロヨロと頭を下げると、三緒は苦笑する。

「あなたが失恋した後って、いつもこう。学生時代から変わらないわよね。今更どうってことないわよ」
「ありがとう~……いつも三緒のおかげで立ち直ってる気がするよ」
「ふふ、今回も元気になるはずよ……この照明用太陽を使えばね!」

頭を上げた月子の前で、三緒はダンボールの中から緩衝材に包まれた状態の大きな球体を取り出した。オレンジがかった温かみのある色で発光しており、包みを解いてやるとみるみる天井へ昇っていった。調子の悪い照明に被る位置で止まり、部屋中に柔らかい光が広がる。

「わ……明るい……。これ、三緒がSNSでお勧めしてるのを見たけど……なんなの?」
「照明用太陽は、あなたみたいな睡眠不足の人に向けて作られたのよ。夜眠れないのなら、しっかり朝日を浴びることが大事。そうすると睡眠ホルモンが分泌されて、夜になると自然と眠くなるんだから」
「へぇ……? まぁ、三緒のお勧めなら使ってみるよ」
「ふふ、あとで感想聞かせてね」

三緒は照明用太陽の説明書を月子に渡すと、長居せずに帰って行った。仕事は休みだが、予定は詰まっているらしい。そんななか自分のために照明器具を運んでくれたことを感謝しながら、月子は部屋に転がる太陽に目を向けた。

「これから私は太陽と一緒に暮らすのか……」

挨拶するように天井で輝く太陽に会釈してから、遅い昼食をとろうと台所へ向かう。簡単に食パンを焼いてコーヒーを淹れて、せっかくなので太陽と暮らす絵日記でもSNSに載せようかと考える。

失恋してから心が落ち込み、なんとか仕事をこなしながらも趣味の絵は描けずにいた月子にとって、照明用太陽は一歩前に踏み出すきっかけをくれたのだった。


十五時頃から仕事を始めて、空が暗くなり始めた頃、照明用太陽に変化があった。徐々に光が弱まり、ゆっくりゆっくりと天井から降りてきたのだ。ちょうど月子が仕事をしているパソコンの隣に着地した時には、オレンジがかった色で発光していた太陽は白くなっていた。

「確か説明書に、夜になると眠るって書いてあったな。お、お疲れさまです……」

そっと白い球体に触れると、不思議な感触がした。見た目では分からないが、球体の表面で何かが蠢いているような感覚がある。手のひらをくすぐるそれが、仄かに温かかった。

「どういう仕組みなのかわからないけど、なんか生きてるみたい。夜の間は床に置いたままでいいって書いてあったけど……ちょっと寂しいよね」

月子は太陽を抱えると、布団の上に移動した。そっと毛布をかけてやると、まるで新しい家族が増えたようだった。

「おやすみ、太陽さん。これから私の生活リズムを直してくれると嬉しいな」

優しく太陽を撫でた後、月子はスケッチブックと色鉛筆を手に取った。これは仕事で描く絵ではなく、趣味の絵だ。自分の心を癒すための絵。毛布をかけて静かに眠る太陽をスケッチして、SNSに『太陽が家に来た日』の絵日記を投稿したのだった。


その夜、相変わらず眠ることができなかった月子は、太陽と添い寝するように布団に横になり、うとうととまどろんでいるうちに日の出の時間を迎えた。隣で静かに眠っていた白い太陽が徐々に橙に色づき、ふわりと宙に浮かぶ。毛布を置いて天井まで昇った太陽は、眩しいほどの光で部屋を照らした。

「う……わ……っ、昨日昼過ぎに会った時よりも強く感じる……」

朝になり、ようやく眠気を感じていた月子には少々辛い明るさだ。しかし照明用太陽の説明書には、朝日はしっかり浴びるよう書かれていた。頭の天辺まで毛布をかけて太陽から逃げてしまいそうな自分を叱咤して、毛布を跳ねのける。太陽の下に堂々と体を晒して燦燦と降り注ぐ陽の光を感じた。

失恋して生活リズムが崩れる前から、月子は朝が弱かった。しっかりと陽の光を浴びるのは久しぶりで、不思議な懐かしさと心地よさがあった。これを持っていたんだと体の細胞が喜んでいるような感覚があり、月子の頬が無意識に緩む。太陽の優しい光に見守られながら、夢の世界に旅立った。


そして目を覚ましたのは、昨日とそう変わらない時間だった。天井で輝く太陽の光が、朝よりは落ち着いて見える。

月子は太陽に「おはよう」と声をかけて、のろのろと食事の準備を始めた。今日もトーストとコーヒーだ。ぼんやりと太陽を眺めながら、バターを塗ったトーストを齧る。

「朝日を浴びたから、今夜はいつもより早く眠れるといいなぁ……」

そんな月子の独り言に応えるように、太陽がきらりと輝く。一晩添い寝をしたせいか、月子は太陽に愛着がわいていた。今日の分の仕事を終えたら、照明用太陽と一緒に横になると温かくて安心するという絵日記を描こう。絵を描くのが好きな月子にとって、描きたいものが増えるのは幸せなことだ。鼻歌まじりに食器を片づけて、いそいそと仕事用のデスクに向かった。


空が暗くなり始めた頃、昨日と同じように太陽が天井から降りてくる。明るい橙の光が徐々に白く霞んでゆき、今日は床に着地する前に月子が腕で受け止めた。丸い体を一度ぎゅっと抱きしめてから、布団へ移動する。

「お疲れさまでした。あなたが部屋にいるだけで、不思議といつもより仕事が進んだ気がするの。ありがとね」

優しく毛布をかけてやり、寄り添うように隣に座ってスケッチブックを開いた。

「まだ仕事は少し残ってるけど、どうしても描きたくなっちゃった。気分転換ってことで……」

静かに眠る太陽を見つめながら、色鉛筆を走らせる。SNSに投稿する絵日記だ。実際の太陽はつるりとした球体だが、月子が描く太陽には目と鼻がある。絵本のような優しいタッチで、部屋の真ん中で微笑む姿や、幸せそうに布団で眠る姿を描いていく。

夢中になってスケッチブックの白いページを埋めていた月子は、自分の腹の音で我にかえった。時間を確認すると、気分転換のつもりがいつの間にか二時間以上経っている。

「いけないいけない……! まさかこんなに夢中になるなんて!」

月子は慌ててスケッチブックを閉じると、仕事の続きを進めた。


「……これは、もしかして眠気?」

夜の九時半。まだゴールデンタイムだというのに、月子はほどよい倦怠感に襲われている。横になると楽になれそうだと考えたところで、自分の体が睡眠を求めていることに気づいたのだ。スマホを見ていても手元に力が入らず、気を抜くと落としてしまいそうになる。

月子は、生活リズムが崩れる前だって十時前に眠ることはなかった。照明用太陽の効果に驚きつつ、ここは眠気に抗うことなく横になるべきだと考えた。先に布団に入っている太陽の隣でまぶたを閉じると、太陽と触れ合う左半身が温かくて心地いい。

そういえば別れた恋人は体温が低かった、そう思い出した月子の心は穏やかだ。悲しみも怒りも後悔もなく、不思議なほど凪いだ気持ちで眠りについた。


ふと、眩しさを感じて目を開ける。隣で寝ていた太陽が、すでに天井に昇っていた。月子は夢も見ないほど深く眠っていたようで、寝起きの気だるさを少々感じながらも、いつもより頭がスッキリしている。

「今、何時……?」とスマホの画面を見て、驚いた。朝の六時だ。昨日は眠れずに徹夜して、太陽の光を浴びながら朝方ようやく眠れたというのに、照明用太陽のおかげでさっそく起床時間が調整されているようだ。

朝早く起きると、一日行動できる時間が長くなる。しばらく布団に寝ころんだまま太陽の光を浴びる余裕もあり、月子は天井で輝く太陽に「ありがとう」と伝えて微笑んだ。


眩しい朝の光で起きて、昼間は仕事をして、自然とまぶたが閉じる頃には夜になっている。

一週間が過ぎて、月子はすっかり昼夜逆転生活から抜け出していた。照明用太陽をお勧めしてくれた三緒のおかげだ。何かお礼しようと考えていたところで、本人から連絡があった。

『SNSに投稿してる太陽と過ごす絵日記、見てるわよ。照明用太陽の具合も聞きたいし、そろそろ会いましょうよ』という三緒のメッセージに、月子は喜んで返信する。しかし、会うなら外ではなく家がいい。月子の要望を聞き、三緒は外食したかったと少々渋りながらも、次の土曜日に月子の自宅に遊びに来る約束をした。


約束の土曜日、太陽が天井に昇る月子の部屋に三緒がやって来た。ドアを開けて月子の顔を見た瞬間、三緒は目をパチクリとさせて「焼けた?」と首をかしげた。

「日焼けってこと? 最近、そんなに外に出てないんだけどな……」
「昼夜逆転生活が直ったんだから、買い物でも散歩でもすればいいのに」
「いやぁ、私にもいろいろあるんだよ、いろいろね」

月子の含みのある言い方に、三緒は再び首をかしげる。
しばらくして月子が用意したコーヒーの香りが部屋に広がり、三緒にカップを渡してから近況報告を始めた。

「三緒がお勧めしてくれた照明用太陽のおかげで、生活リズムはバッチリだよ。おまけに失恋の傷も癒えちゃった」
「前向きになったのならよかったわ。もしかして、新しく好きになれそうな人に出会えたの?」
「うん、いる」

にこりと笑った月子が、天井を見つめた。視線の先には、橙に輝く太陽が浮かんでいる。

「……えっと、上の階に住んでる人ってこと?」
「違うよ、私は太陽さんを好きになったの」

三緒は予想外の返答に呆然として、落としそうになったカップを慌てて机に置いた。うっとりと太陽を見つめる月子の顔は、少し前まで生活リズムが崩壊していたとは思えないほどツヤツヤしている。恋をしている顔だ。

「……そういえば、さっき三緒は買い物でも散歩でもすればいいのにって言ってたでしょ?」
「あ、うん……言ったわね。それがどうしたの?」
「一日の行動時間が増えて、私もせっかくだから散歩しようと思ったんだよ。でもね、太陽さんがやきもちをやくの。外にいる本物の太陽の下を歩かないでとでも言いたげに、ぐぐぐって体温を上げて、すごく可愛いの。私は汗をかきながら太陽さんに謝るんだよ。だから昼間はあまり外には出かけないで、夜になってから最低限の買い物をするんだ。それもすぐに帰ってくるんだけどね。毛布をかけて眠ってる太陽さんが可愛くて、その隣で静かに絵を描くのが、最近の私の一番の幸せなの……」

月子が立ち上がり、頭上に手を伸ばす。宙に浮かぶ太陽を優しく撫でると、太陽の纏う光が強まり、ぽぽぽっと室温が上がった。

「太陽さん、照れてるみたい」
「……あ、熱々ですこと。とりあえず、家にいるのにあなたが日焼けしている理由が分かったわ」

三緒は戸惑いながらも、失恋から立ち直った友人を温かく見守ることに決めたようだ。

暖かい太陽に、温かい友人。今度の恋人兼照明は、きっと月子を見捨てないだろう。



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Yomeba!のショートショート公募『家電』で、優秀作の1つに選んでいただいたお話です。

※みんなのフォトギャラリーから素敵なイラストをお借りしました。ありがとうございます。


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