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短編:ミモザコーヒー友人付き五百円

「えぇ? 一時間も……?」

 久しぶりに会う学生時代の友人から、待ち合わせの時間に遅れると連絡があった。了解と一言返信してため息をつく。相田桃奈は、すでに待ち合わせ場所に着いていた。無人駅で、周囲には数軒の民家と畑しかない。ここで今から一時間暇をつぶさなくてはいけないのか。どうしたものかと考えて、桃奈は友人に「先に行っていい?」とメッセージを送った。二人の目的は、雑誌で知った古民家カフェだ。無人駅から三十分ほど歩いた場所にある。外で一時間待つよりは、店内でコーヒーでも飲みながらのんびりと待っていたい。友人も申し訳なく思っているのか、すぐに返信があった。「いいよ」という絵文字と「店内で待っている間に頼んだ物は自分が代わりに払う」という旨のメッセージを確認して、桃奈は歩き出す。

 無人駅を出ると、民家の庭にミモザが咲いていた。

「そういえば、古民家カフェの名前もミモザだ」

 春の香りを胸いっぱいに吸い込み、目を閉じる。雑誌で見た古民家カフェの写真と、紹介されていたメニューをひとつずつ思い浮かべた。桃奈が気になっているのは『ミモザコーヒー友人付き』で、値段は五百円ほど。店主自慢のブレンドコーヒーに砂糖菓子がついているのだ。

「どうして砂糖菓子を『友人』って言うんだろう? 雑誌に書いてあったような気がするけど、忘れちゃったなぁ……」

 桃奈の独り言は、誰にも聞かれることなくひだまりに溶けて消えた。こんな時に、隣に友人がいてくれたらツッコミを入れてくれるのに、と桃奈は一人で苦笑する。

 静かな田舎道を三十分ほど歩いたところで、駅前で嗅いだ春の香りが強くなった。店を囲むように、ミモザの花が咲いている。古民家カフェ・ミモザに着いたのだ。木製の扉を開けると、コーヒーの良い香りがする。店内のコーヒーの香りと、外で嗅いだミモザの香りが合わさり、ふわふわとした足取りで席へ案内された。

「ミモザコーヒー友人付きを、お持ちしました。砂糖菓子は、コーヒーにいれて一緒にお飲みください」
「ありがとうございます! いただきます」

 窓際の席に座る桃奈の目の前に、コーヒーと小皿に乗った砂糖菓子が運ばれてくる。砂糖菓子は花の形で、小皿にメモが添えられていた。古民家カフェ・ミモザについての説明が書かれている。桃奈は砂糖菓子を一つコーヒーにいれてから、メモを読むことにした。

 そもそもミモザは、地元を出た友人たちを待つ場所として作られた喫茶店なのだという。店名の由来は、店主の友人の実家の庭に咲いていたミモザに『友情』という花言葉があることを知り、拝借したとのこと。友人を待つ間に作り上げたブレンドコーヒーも、ミモザコーヒーと名付けた。砂糖菓子は溶けにくいものを使っており、地元に帰って来た友人たちが最寄り駅から店に辿り着く三十分の間に、ちょうどよく溶ける。店主は、その間に友人たちとの思い出を振り返り、店で待つ時間を楽しんでいたそうだ。最後に、砂糖菓子が溶けるまでの時間を、お客様にも大切な友人との思い出を振り返る時間に充ててほしいと書かれていた。

「へぇ~……思い出かぁ。友人付きってそういう意味なんだ」

 桃奈はぽつりと呟き、カップの中を覗き込んだ。メモを読む前にいれた砂糖菓子は、確かにまだ溶けきっていない。桃奈の友人は一時間遅れて来るため、合流した頃にはすっかり溶けているだろう。熱いカップに両手を添えて窓の外に目を向けると、店の扉が開く音が聞こえた。中に入って来た女性は、店内をキョロキョロと見まわした後、桃奈の元に近づいてくる。

「桃奈、お待たせ~!」
「えっ? あなた……は……」
「玲菜よ! 久しぶりね、元気にしてた?」
「あ、あぁ……! そうだ、玲菜ちゃんだ! 久しぶりだね、私は元気だよ」

 まだ到着しないはずの友人が現れて、一瞬誰なのかわからなかった。桃奈は動揺してコーヒーを零しそうになり、慌ててカップから手を離す。玲菜の顔に目を向けると、久しぶりに再会した彼女はすっかり大人の女性になっていた。小学校から付き合いがある最も古い友人で、中学まで同じ学校に通った。別々の高校に進学してからも、頻繁に連絡を取り合っていた。あまり会わなくなったのは、大学に入学してからだ。サークルとレポート、その間にバイトをしていると一瞬で時間が溶けていく。桃奈の世界は、大学の知り合いとの関りがほとんどになっていた。高校までの友人と連絡を取るのは、気づいた時にはお互いの誕生日と年末年始のみ。今回も、就職してから生活が落ち着いて、久しぶりに二人で会う約束をしたのだ。向かいの席に座った玲菜が、楽しそうにメニュー表を眺めている。小学生の頃、桃奈と二人で並んで漫画雑誌を読んでいた時も、玲菜は今と同じ表情をしていた。ふと思い出した記憶に、桃奈の頬が緩む。玲菜も、すぐに気づいたようだ。

「なにニヤニヤしてるの? 桃奈って昔から、一人で面白いものを見つけて笑ってたわよね。あと、独り言も多かった」
「ニヤニヤじゃなくて、ニコニコって言ってほしいなぁ……! さすがに大人になってからは、一人で笑ったり話したりはしてないはず」と言ってから、今日も民家の庭に咲いていたミモザを見て、独り言をつぶやいたことを思い出す。

 桃奈は誤魔化すようにコーヒーを一口飲んだ。カップの中の砂糖菓子は、まだ溶けていない。玲菜は待ち合わせに一時間遅れると連絡してきたが、何があってこんなに早く到着することができたのだろう。桃奈は気になりながらも、理由を聞こうとは思わなかった。玲菜の顔を見ていると懐かしい思い出が溢れて止まらない。予定よりも早く合流できたのだから、理由など今更どうでもいいのだ。

「桃奈って、いつからコーヒーを飲めるようになったの? 昔は紅茶の方が好きだったわよね」
「大学の時に喫茶店でバイトしたんだけどね。コーヒーをおいしそうに飲むお客さんを見てたら、いつの間にか飲めるようになってたんだよ。まぁ、砂糖を入れないとダメだけど……」
「私も苦いのは無理。今日はカフェオレを頼もうかな。あと、ミモザサンドも」
「ミモザサンドおいしそうだよね~。そういえば、小学生の時は遠足に絶対サンドイッチを持って行った気がするよ」

 レジャーシートを敷いて、仲のいい友人たちとお弁当を食べる楽しい時間。おにぎり派とサンドイッチ派と、時々麵派がいて盛り上がった。桃奈も玲菜もサンドイッチ派だが、例えば同じ卵サンドでも味付けが微妙に違うのだ。これが「母の味」の違いかと二人で笑い合ったことを、桃奈は覚えていた。

「ここのミモザサンドは、どっちの家の味に似てるかな」
「桃奈の家は、甘味があるのよね。私の家はマヨネーズの酸味が強くて、交互に食べると面白かったわ」
「私は玲菜ちゃんの家の卵サンド好きだったよ~。パセリも混ざってたよね」
「そうそう! 大人になった今でも、卵サンドを作るときは母親の真似して絶対にパセリを使っちゃうのよ。私が結婚して子どもが生まれたら、多分その子どももパセリ派になると思う」

 ミモザサンドの話題から遠足のお弁当の話になり、なぜか子どもの話になっている。玲菜は昔から、未来の家族の話をすることが多かった。

「玲菜ちゃんは、確か子どもは二人欲しいんだっけ?」
「よく覚えてるわね!」
「覚えてるよ。何回聞いたと思ってるの! 子どもの名前だって決めてたでしょ」
「あぁっ……それは今言わなくていいからね? なんか恥ずかしくなってきた……」

 頬を染めた玲菜を、桃奈は微笑ましく見守る。玲菜は昔から夢見がちで、恋多き乙女だった。友人の中で誰よりも早くに恋人ができたが別れるのも早くて、公園のベンチで泣く玲菜を遅い時間まで慰めたことを思い出す。高校に進学してからも、好きな人ができたら逐一報告された。注文して届いたミモザサンドを玲菜に分けてもらいながら、そういえばと桃奈は思う。

「ねぇ、玲菜ちゃんは今恋人がいるの?」

 桃奈の問いに、玲菜はゆっくりとうなずいた。

「いるわよ。大学の時からの付き合いで、結婚もする。プロポーズされたのよ」
「そうなんだ! おめでとう~!」
「ふふ、ありがとう! 結婚式の招待状も送るからね」
「うん……!」

 小学校から付き合いがある友人が結婚する。桃奈にとっては初めての経験で、胸がいっぱいになった。おめでとうの一言では足りなくて、何か別の言葉を伝えたくてもすぐに出てこない。一旦落ち着こうとミモザサンドを一口食べると、玲菜の家の卵サンドの味がした。小学校の遠足で、サンドイッチを交換して食べた時の玲菜のひだまりのような笑顔を思い出す。桃奈は思わず泣きそうになり、食べかけのミモザサンドを置いてコーヒーに手を伸ばした。カップの中、砂糖菓子が溶けている。

「結婚したら、これからもっと会えなくなるかもしれないけど……私のこと忘れないでね」
「えっ?」

 カップから顔を上げると、向かいの席に座っていたはずの玲菜がいない。テーブルの上にあった彼女のカフェオレとミモザサンドも、全て消えていた。しかし桃奈の口の中には、玲菜の家の卵サンドの味が残っている。狐につままれたような気分で目の前の光景を眺めていると、店の扉が開いた。

「遅れてごめん……っ! 一時間も待たせるなんて初めてだよね……」
「あ……え……? 環奈……ちゃん?」

 最寄り駅から走ってきたのだろうか。大学時代からの友人である環奈が、息を整えながら桃奈が待つ席に歩いてくる。どうして忘れていたのだろう、と桃奈の唇が震えた。今日、久しぶりに会う約束をしていたのは玲菜ではなく環奈だ。大学時代にバイト先の喫茶店で仲良くなり、今日は二人でおいしいコーヒーを飲みにミモザに来た。店に着いた時には、まだ約束の相手が環奈だと覚えていたはずだ。しかし、砂糖菓子入りのミモザコーヒーを飲んだ瞬間、忘れてしまったのだ。ふと、小皿に添えられたメモの一文が目に入った。砂糖菓子が溶けるまでの時間を、お客様にも大切な友人との思い出を振り返る時間に充ててほしいと書かれている。

 大切な友人。小学校から付き合いがある最も古い友人の玲菜が、砂糖菓子が溶けるまでの時間、桃奈の前に現れた。不思議なコーヒーと砂糖菓子に、友人たちを待ち続けるミモザの店主の強い思いが込められている。そう感じた桃奈は、コーヒーを一口飲んだ。

「ねぇ、それよりさ。窓際に座ってるから外から桃奈の顔が見えたけど、すごく楽しそうにしてたね。またいつもの独り言?」

 からかうような環奈の言葉に、桃奈は笑顔で首を横に振った。口の中は、甘いコーヒーと酸味が強いミモザサンドの味がする。

「ずっと、大切な友だちと話してたんだよ」


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Yomeba!のショートショート公募『ともだち』で、優秀作の1つに選んでいただいたお話です。

pixivにも載せています。


※みんなのフォトギャラリーから素敵な写真をお借りしました。ありがとうございます。

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