某アナウンサーによる透析患者批判騒動は何か問題だったのか?医療の基本原則の点から考えてみた。

某フリーアナウンサーによる透析患者への批難の件、まだ色々な記事が出ているが、結局何が一番ダメなのかっていうと、個人的には基本的な医療の考え方に反してるからだと思う。

「国籍、人種、宗教、社会的地位または政治上の意見によるいかなる差別をもしない。ただ苦痛の度合いにしたがって個人を救うことに努め、その場合もっとも急を要する困苦をまっさきに取り扱う」を基本理念として掲げているのは赤十字だが、長い歴史の中で、医療に携わってきた人たちがたくさんの戦争や災害を乗り越えて学んだ教訓でもある。

私の母はすでに引退したが看護婦だった。彼女が看護学校時代の教官たちには、第二次世界大戦中に赤十字で従軍したり軍の病院などで働いていた看護婦もいて、戦時中とはいえ、目の前の敵国捕虜に対し軍医に指示の下、治療どころか苦痛を増す薬を与えたこともあったという。その看護教官は、「軍医には逆らえなかったし、当時はそれが正しいこととされる時代だった。」と当時を振り返り、「でも戦争が終わって世の中が180度変わり、再び『ナイチンゲールの誓い(※)』に立ち戻ったとき、自分が犯した罪を心から後悔し苦しんだ。あなたたちは、私のようになってはいけない。時代や医者に盲目的に従うのではなく、常に自分の看護婦としての良心に従って判断しなさい」と看護婦の卵だった母たちに教え続けたそうだ。

現代の日本でも、殺人などを犯し、取調べや裁判などの過程を経て、罪状がすでに確定した凶悪犯や死刑囚であっても、医療刑務所で医療を受ける権利がある。医療従事者は、患者がそれまでどんな人生を送ってきたかどうかで区別しない、裁かない。目の前にいる患者を、「ただ苦痛の度合いにしたがって個人を救うことに努め、その場合もっとも急を要する困苦をまっさきに取り扱う」。医療従事者も人間である以上、個人的な好悪はあるだろうが、医療の現場においては、それによって施術が左右されることがあってはならない、少なくともその原則を守ろうと多くの人が努力している。

某フリーアナウンサーは、注目を集めるため(本人はブログへのPVアップを目的に過激な言葉を採用したことを認めている)、これまでの多くの人類が泥の中からつかんだ貴重な教訓を叩き壊そうとしたことで、多くの人々の反感を買ったのだ。そして、このような浅い認識を「本気・本音」と言い切って、何が問題なのかも認識できない人物が日本のマス・メディアにいることに対して「NO」を突きつけたのはごくまっとうな反応で、個人的には逆に安心したくらいだ。

「医療費が増大している。特に人工透析の高コストが問題だ」というならば、患者をどうやったら減らせるのか?従来の人工透析より低コストなシステムを開発できないか?そちらに注目できなかったことが残念だと思う。実際、慶應義塾大学と東京医科大学が共同で、500円玉程度の大きさの超小型人工透析装置を開発し、10~20年後の製品化を目指しているというニュースもあるし、バイオ腎臓の開発を行っている研究施設もあるだろう。「殺せ」という安易で安直な結論でなく、その分野にもっと研究費用を出すよう働きかける方がずっと社会をより明るい方へ導けると思うし、救われる人も多いはずだ。

ということで、騒動の発端となった某アナウンサーは反省と謝罪の気持ちをこめて、この分野への資金集めや支援に協力でも始めれば、多くの人の見る目が変わるんじゃないだろうか?あの騒動でムカついている人も、ぜひそのエネルギーは透析で苦しんでいる人のサポートや新しい透析機器への開発への支援に向けることをお勧めしたい。研究機関の皆様、もしかしたら注目が集まっている今がチャンスかも?

※「ナイチンゲールの誓い」は、看護学校卒業時に看護師になるにあたってたてる誓いで「われはすべて毒あるもの、害あるものを絶ち、悪しき薬を用いることなく、また知りつつこれをすすめざるべし。わが手に託されたる人々の幸のために身を捧げん。」という一節がある。

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