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映画批評「マチネの終わりに」

 私がこの映画を劇場で観てからちょうど二年が経つ。原作は読み進めている途中だが、原作と映画の比較については映画に分があるように思う。少なくとも、より私をスーッとストーリーに引き込んだのは映画のほうだった。

 映画全体を通して言えることがありそうだ。導入部分と終局部分での置石を見やるヨウコのシーンは物語を理解する鍵に違いない。そう思って観ていた。物語の伏線かも知れないし、その奥底を支配するメッセージなのかも知れない。私はこれを原作者から私たちへの挑戦状と見ている。私はその解明に成功していない。がしかし、手掛かりを提示することはできる。

 あの置石は、ヨウコが物語序盤で話していた長崎の実家の庭石に重ねられる。ヨウコは子供の頃、その庭石で遊んだ。が、大好きだった祖母は、その庭石に頭を打って亡くなってしまった。これをどう読み解けば良いか。私は考える。大切な何かが、別の大切な何かを奪い去っていった。これが方程式だ。これを解けばよいはずだ。
 半ば強引なやり方で、ストーリーをこれに当てはめることにした。大切な何かとはヨウコの「女としてのプライド」かも知れない。では、別の大切な何かとは、言うまでもなくマキノの存在だろう。ヨウコは、行き違いからマキノを諦めた長崎での日々を繰り返し思い出す。パリから東京に来て、マキノから別れを告げるかのメッセージを受けたヨウコはいったん長崎に身を置く。マキノの出方をうかがうためだろう。そして彼の真意を正そうと何度も思ったに違いない。マキノに考え直させるべく復縁をせまるという選択肢もあった。だが、ヨウコのプライドがそれを邪魔した。自信はないが、それは先の方程式の解になりうる。ヨウコは意地を見せたのだ。

 一方で、主人公マキノはどこまでもアーティストだった。ヨウコに一目惚れし、突然に恋に落ちた。ヨウコとのスカイプでのやり取りは一度ではなかったにしろ、パリでの再会、そして愛の告白はアーティストらしい。この時点でヨウコには婚約者がいた。アメリカ人の経済学者で留学時の同級生だったと思う。じつに二十年におよぶ間柄だった。女性がそういう間柄の男性と結婚する動機は限定される。少なくとも、熱烈な恋愛感情によるものだとは想定しにくい。
 そんなヨウコに対してマキノはまるで無邪気とも言える恋愛感情を剥き出しにする。ここが、マキノという人物を語るキーワードになると思う。ギタリストとしてマキノの演奏能力は凄かった。それは、師のソフエも認めたところだ。
 劇中でソフエの台詞にあるように二人はマキノの13歳の頃を振り返る。これを私流に深読みすれば、「君は13歳の頃からまるで大人になっていないよ」と、ソフエのそんな声が聞こえてきそうだ。実際にマキノは、その突き抜けない精神性の中でもがき苦しむ。一時はギターをやめてしまったほどだ。
 
 本作では物語の導入部分ですでにマキノの苦悩が読み取れる。そしてヨウコとの出会いに活路を見つけるかに見えた。が、結果は逆だった。ヨウコはマキノに余計に彼の音楽を見えなくさせた。一方のヨウコも苦悩していた。だが、けっきょく苦悩する男女は惹かれ合うのではないか。と、そんな単純な構図にはない。
 映画の結末まで観てふに落ちることがある。二人は自立した男女として新しい恋を始める、というのが大方の見方ではないか。二人は苦悩を乗り越えた男女だと評価できる。
 マキノにとって、ヨウコの存在から音楽に向かわせた瞬間があった。彼は感情の昂りから左手に持ったグラスを握り割ろうとする。が、けっきょくそれを思いとどまったその時であっただろう。
 マキノの苦悩について付言する。突き抜けない精神性ゆえの苦悩についてはすでに述べた。マキノはそれを認められなかった一方で、世間の評価はもっと認めたくなかった。マドリードで出会った新進ギタリストの台詞に、「あなたにことは知っています」というのがあった。これも私流に深読み解釈してみたい。彼は遠回しにこう言われたのではないか。「あなたのことは知っています。あなたは過去の人だ」と。それが、世間の評価だったと私はみている。マキノはそんな世間の評価を認めるわけにはいかなかった。

 本作は、これからの時代のラブストーリーだと思う。ここでは芸術や知性がキーワードとなり、高度の精神性がテーマとなる。従来あったような愛欲一辺倒の恋愛物語に観客は満足しない。そういう時代に差し掛かっている。


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