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あれから10年、これから10年

2011年3月11日14:46に日本列島を襲った東日本大震災。1か月ほど前にも再び震度6に襲われ、まだ余震と言われている。未だに廃炉処理も進まず、原発関連の避難者だけでも35000人以上いるという。あれから10年経った東京。今はコロナの影響で緊急事態宣言中。10年前の東京の夜のように20時には暗く静まり返っている。

1995年、阪神淡路大震災

私にとって、初めての大きな災害記憶は「阪神淡路大震災」。既に社会人だった。当日、普通に仕事をしていたこともあり、夜になって被害を知りショックだったのを今でも鮮明に覚えている。しかも前日まで神戸にいた。そして3月には、地下鉄サリン事件。この年、大好きだった祖父も亡くなり、自分の中での意識が一つ変わった。

2011年、東日本大震災

この日は自宅にいた。今まで体験したことのない揺れ、大きな音とともに停電。海沿いに住んでいたこともあり一晩中、津波の警報音が鳴り響き、時折、緊急地震速報とともに余震が続いていた。幸い、自宅は物が多少落ちた程度だった。停電していたため、情報はラジオとツイッター。刻々と被害の情報を目にするが、実際の映像を見たときの衝撃は忘れられない。店頭から食材、日用品がなくなっていた。ガソリンスタンドには長蛇の列。その後、計画停電があり、電車も間引き運転、通電している間にご飯を炊く、充電をする、洗濯をするなど電気を使う時間を考える日々だった。

画像を頼りに友人を探した

津波被害のあった石巻に友人住んでいた。電話は当然通じない。ネットに上がる避難所にいる人たちの名前の画像から友人を探そう!と。でもそう簡単に見つかるわけもない。10日ほどたったある日、友人へ電話がかかってきた。友人は特徴のある電話番号だったから覚えていたとかけてきた。年末に新築した自宅は津波に襲われ、無残な姿になったが友人家族は全員無事だった。

日々の備え

以前、noteにも記載したが祖父が子どものころから「寝る前に」と私に言っていたことを今でも守っているというより習慣でもある。この時は昼間の災害ではあったが、こういう習慣は続けるべきだと思った。震災前から、1週間程度の備えは常にしていたが、震災を機に、玄米を購入するようにして精米機を購入。ホームベーカリーも購入。今回、コロナ禍で再び店頭から様々なものが無くなったが、焦ることはなく過ごせた。日々の過ごし方の大切さを実感。

一期一会

阪神大震災で友人を失った。東日本大震災で石巻の友人と連絡が取れなかったこと、余震が長く続いたこと。当時、目に見えない原発事故による放射能の影響など心配事が増えた。自分の中で、また会える保証はない。だから会えた時、後悔しないようにその時を過ごそうと思った。仕事でも、この人とは二度と仕事したくない!と思われないよう、また仕事したいねと言ってもらえるような人になろうと。

悔いなく過ごす

子どものころからエンタメが好き。ライブを見に行き、観光をしている。阪神大震災の時、住みたいと思っていた神戸の街が崩壊してしまった。前日、歩いたメリケンパーク、元町、南京町、神戸国際会館……本当にショックだった。そして、東日本大震災によって、海沿いの街は崩壊していた。多くのホールも被害を受け、アリーナクラスは避難所になっていたところもあった。阪神大震災の時よりも強く、生きているうちに行きたいところに行こう、見たいものは見ようと過ごしてきた。コロナ禍の外出自粛前には47都道府県すべてに行くことができた。ライブもたくさんみた。海外にも今見ておきたいとライブやショーを見に行ったこともあった。一昨年は日本で開催されたラグビーW杯も堪能した。

明日何があるかわからない

地震はこれだけ文明が発達しても予測はできない。予測ができても逃げることしかできない。昨年、コロナ罹患者がと耳にするようになり半月後には学校が封鎖され、エンタメは全て中止された。この10年、できるだけ後回しにせず、できることはその時にする。特に友人と会うことに関してはどんなに忙しくても時間を作って会うようにした。震災から9年目にまさか、人と会うこと、出かけること、ほとんど生でエンタメが見れなくなる日が突然来るとは思わなかった。自分の中では、こんな日がきてもそれまで多くのものを経験できてよかった。

これから10年

この1年、コロナ禍において様々なことを考える機会ができた。自然災害とは違うが突然、このような日がくるとはだれも予想しなかっただろう。これまで以上に、日々の過ごし方を大切にしていきたい。被害を出さないためにも、自分の身の回りをきちんとしておくことも一つ。自宅でけがをしないようにする、最低3日過ごせるようにではなく1週間分、1か月程度の食材、日用品は置いておく。水はそれなりの時期がくれば配給されるだろう。そして、来年までに叶えたい夢がある。そのために、先月まで講座に通い勉強もした。実現させるために努力していこうと思う。10年後、どこで何をしているかわからないが、後悔しないよう日々を過ごそう。節目はそのためにあるのだと思う。



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