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因果を辿れば夢は簡単に実現する

「人生詰んだ」状態をリセットする魔法

第3章 私の激動人生
・プロフェッショナルが集まった家族
・富豪から極貧への転落
・偉人は肩書きに囚われない
・因果を辿れば夢は簡単に実現する
・10年で10倍になった

・因果を辿れば夢は簡単に実現する

読者諸君は、「夢を叶える」「目的を達成する」と言う言葉を聞いて何を思い浮かべるだろうか。

「苦手を克服し、臥薪嘗胆して努力の結果、勝ち取るもの!」

そう思い込んでいるとしたら、それは労働者教育にすっかり洗脳されている。
日本は、何でも従順に努力する労働者を大量に作りたかった時代に、努力を美徳とすることで、どれだけ嫌な仕事をさせても我慢して働く人間を大量に生産した。
日本のドラマや映画で、努力の末に成功を収める筋書きが多いのは、視聴者の大半が洗脳されており、こう言ったストーリーに共感してしまうからだ。

私も昔は、大きな目標に向かって必死に努力をしようとしていた。

ここではっきりと断言したい。
努力など、実は単なる自己満足であり、自分への言い訳である。

何故か人間は目的を達成できなくても、努力している過程で満足してしまう。目的達成を「努力した自分の肯定」に置き換えて達成した気になっている。
これでは、結局のところ、何も達成できず、自分を慰めているのと同じだ。

そこで、私は、努力主義に疑問を覚え、実際に成功を収めている人を分析した。

彼らは努力などしていない。
勝つための方法を知り、ただそれを実践しているだけなのだ。
(人によっては、この勝つための戦略模索を「努力」と定義している成功者もいる。本稿で私が否定する「努力」とは、模索をせずにただ「頑張るだけ」の状態を指している)

そして彼らは、自分が苦手なことで勝負しても戦いは不利であることをよく知っている。
よって、得意分野でしか戦わない。

「好きな分野や得意分野で、当たり前のことをしたら自然と勝っていた。」

これが本当の成功者の勝ちパターンである。
好きなことだけを確実に追い求めれば成功するのだが、大抵の人は、親が労働者なので、「嫌なことでもやらなければいけない」と、この態度を咎められ、負け犬根性を植え付けられてしまう。
日本の教育では、今でも、決められた科目の苦手克服に重きを置き、労働者養成をしている。

一方で、成功者の子どもは、努力なんかしなくてもパターンさえ押さえれば簡単に成功すると教えられるため、
自然と、世の中を舐めたような楽観主義者となり、楽々と成功する。
これが格差や分断を生み、労働者と成功者には世代を超えた垣根が生まれる。
「生まれた環境で受けられる教育が変わってしまう」のは、金銭的な部分よりも、思考習慣的なところが大きい。

成功者は、楽しいことだけを追い求める人生、労働者は自分の首を締め続ける人生。
この差に気が付くと、自然と道は拓けてくる。

東京から大阪に行くのに、とにかく西に向かって一生懸命走ったとしても無事に辿り着けるかはわからないし、ただ異常に疲れるだけだ。
そんなことをしなくても大阪行きの新幹線に乗れば、悠々と確実に早く目的地に着く。
これと同様で、成功者は、努力や根性とは無縁であり、ただ当たり前の因果の仕組みに乗っかっているだけだ。

私もこれに気付いてから、無駄に焦ることもなく、余裕を持って仕事ができるようになった。
すると、周囲からも安心して信頼して頂けるようになり、今や常に仕事の依頼が絶えない状態になっている。

自己満足の「頑張る!」を辞めて、因果に沿って確実に仕事をしていく。
あまり具体的に書くと自慢話のようになってしまうため、簡潔に述べるが、私は学生時代に抱いた夢は全て叶った。

自分自身のやりたかったことは全て達成した。
残りの人生は若い人たちの夢を裏方として支えていきたいと思っている。
これも全て努力主義から因果主義に転換したことが大きい。

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